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特集・コラム 2018年4月5日(木)19:00

【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第2回 物語性が必要とする《線》の選択

「メガロボクス」キービジュアル

「メガロボクス」キービジュアル

(C) 高森朝雄・ちばてつや/講談社/メガロボクスプロジェクト

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線の味わいにこだわる作品が現れて、実に嬉しい。それは春新番組のテレビアニメ「メガロボクス」(4月5日深夜よりTBS系)のことである。古典的名作「あしたのジョー」連載開始50周年記念作品で、近未来社会を舞台に原典のエッセンスを投影した異色作だ。その「線のこだわり」も出崎統の監督デビュー作であるアニメ版第1作目「あしたのジョー」(1970)の描線と、おおいに関係がある。
 アニメ版「ジョー」はボクサーのハングリー精神、情熱と闘志を鮮烈で革新的な映像で描きぬいて強い印象を残した。中でも当時最新鋭の「トレスマシン」による「線の表現」は独特のものがあった。これはスポーツ根性ものをブームにした「巨人の星」(68)の途中から導入されたものだ。ディズニーが1961年の長編「101匹わんちゃん」から電子写真技術によるコピー機(ゼロックス)を採用し、動画のラフな鉛筆線をセルへ転写し始めた潮流を受けたもので、日本ではカーボン熱転写により類似機能を低価格で実現した。
 それがトレスマシンだ。文献によってはゼロックスと混同されているが、まったく別の機械である。セルと動画の間にカーボン紙をはさみ、ローラーで送って加熱すると鉛筆の黒い主線の部分がセルの裏面に焼きつく。色鉛筆のカゲ指定は転写されないので、そこはハンドトレスする。表面にトナーが付着するゼロックスに対し、マシントレスでは線が裏側につく。カーボンの盛り上がりが「堤防」になって絵の具をせきとめるため塗りやすく、作業上大きな違いがあるという。ゼロックスではカット袋からの出し入れで表面の線が剥離するが、トレスマシンではそういうことのない一方、カーボンが長期には絵の具と化学反応を起こして劣化し、茶色くなって消える。このように一長一短がある、原理の異なる技術なのだ。
 古くからあるハンドトレスはセル表面にペンで動画の線を引き写す古典的な手法で、均質で滑らかなアウトライン(主線)となる。線の切れているところには微細な入り抜けがあって、綺麗なラインを引くのには熟練を要するなど、美観を重視する。そのルックと価値観は「漫画映画=子ども向け」という固定観念ともマッチしていた。

当初マシントレスの導入は機械化による効率化を主目的としていたが、劇画ブームと同調していたこともあって、さまざまな副次的効果をもたらす。1970年代初頭は1963年の「鉄腕アトム」を契機に業界入りした若いクリエイターたちが20代後半から30代前半の円熟期に向かった時期にも該当し、「粗さ」をむしろ情熱的表現の武器として前人未踏のチャレンジに走ったのだった。それはカラーテレビの急速普及時期とも重なり、映像の効果や工夫が伝わりやすくなった結果、エスカレートしていく。
 肌の起伏や金属の質感を「タッチ」と呼ばれる細い線の掛けあわせで立体的に表現し、アクションシーンで何本もの線を重ね、太さを変えて勢いをつけ、紙の下に凹凸のある木材やヤスリを置いて鉛筆の腹でこするフロッタージュ画法を取りいれる等々……。平面的なセルに独特の線の効果を乗せることで、アニメのルックは一挙に変わっていった。
 ところが1970年代後半になると、トレスマシンの粗い線は次第に後退し始め、かつてのハンドトレスの細く均質な線に近づく。これにはいくつかの原因があった。原画から動画に引き写すと線のニュアンスが変わってしまうこと、粗い線と粗い線を中割すると線がフリッカ(パカパカ)に見える場合があること、そして決定的なのは、動きで表現するアニメーションの本道へ戻したいという欲求である。
 トレスマシン導入時期は、タツノコプロ作品のようにスポンジやドライブラシ、エアブラシによって絵の具で美術的に仕上げる「特殊効果」も同時に進化し、爆発の質感やディテールを補強していた。ところが中には「エフェクトもアウトラインとベタ塗り表現で描くべきだ」と考えるアニメーターたちがいた。つまりシルエット変化により、本来は何にもない空間から実感をとらえるという、パントマイムの動きにもつながる発想を重視して添加物を拒絶する発想だ。そして実際に主線が細くなるのと同時期には、ブラシなど特殊効果を最小限に抑え、純粋な線と塗りのフォルム中心で表現する爆発表現が台頭し始めるのである。

このように「線の問題」を考えることは、アニメーションの根幹、本質を考えることにもつながるのである。
 さて、90年代後半から現在はデジタル制作が台頭し、動画の鉛筆線をスキャナで取りこむようになった。その時、線はどう変わったのだろうか。ペイントが閉領域に対するコンピュータ処理となった結果、線をつなぎ忘れると塗れなくなったので、「主線を細く均一にする」という傾向はさらに徹底されるようになってしまった。
 デジタルスキャンであれば、本来はトレスマシン以上に線の種類は自由自在になるはずだが、逆になってしまったのである。その分、髪の毛を細かく分けて線の数を多くしたり、カゲの塗り分けやアクセサリーを増やすなど色の違うパーツを多くして、「絵を濃くする」という手段が強化されていった。それは作業負担の増大にもつながっていて、「第一原画」「第二原画」と工程が増えたことにも関係している。
 こうした傾向に対するカウンターとして、線へのこだわりを見せた作品もいくつか存在している。「天元突破グレンラガン」(2007)、「ガンダム Gのレコンギスタ」」(14)、「タイガーマスクW」(16)というタイトルが、すぐ浮かぶ実例である。
 「メガロボクス」の場合、まず作画上で線を太く濃く、タッチを重ねて描くようにしている。その上で線に撮影処理を加え、あたかもカーボンを通したかのようなカスレやピンホール(熱が回らない部分の丸い穴)までも再現している。特筆すべきは、これは「あしたのジョー」の精神性を継承する目的が前提で、内容が求める《ルックの工夫》であるという点だ。つまり「どんな線を選ぶか」には作り手の意図が反映する。それは物語内容と不可分であるということで、アニメを語るときにはルックやその技術が無視できないと伝えてくれる側面でも、意義の大きな挑戦である。
 こうした意図的な表現が、過去を知らない若い視聴者にどう写るのかにも興味がある。単なるノイズや古くさいものと受けとめられる可能性も大だし、逆に見たことのない新鮮なものに見えるのか。その両極の中から、画面を見ているだけでは絶対に分からない技術の工夫や表現の開拓精神について、少しでも関心が高まってほしいと願っている。

氷川 竜介

氷川教授の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家、明治大学大学院特任教授。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

メガロボクス

メガロボクス Check-in15

薄暗い地下のリング。JD(ジャンク・ドッグ)と呼ばれる男が今日も八百長試合に身を沈めていた。生きるために。だが――。彼は出会ってしまう。自分のすべてを賭けて挑みたい、「運命」に。

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