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特集・コラム 2018年4月26日(木)19:00

【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第3回 時空連続体が生み出す生活感

「アルプスの少女ハイジ」Blu-rayメモリアルボックス、ジャケット(価格:36000円+税、発売:バンダイナムコアーツ)

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(c) ZUIYO

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4月5日に高畑勲監督が亡くなった。大きな喪失感で落ち着かない中、マスコミからの追悼コメント依頼が来て対応せざるを得なくなったとき、「生活に潜む驚きと喜びの発見」という発想がいかに日本のアニメづくりの方向性を変えたか、影響の大きさを強調した。「美少女が食事など生活を見せるだけで30分もたせるアニメ」が当たり前になった現在、それを当たり前でなくした人がいるという歴史的評価だ。今回はその一環として、現代アニメに大きな価値を生む「生活描写」と「劇的空間の創出」について書いてみたい。
 3DCGでアニメを作る時代、これは古くて新しい問題である。たとえば2017年に映画「BLAME!」で瀬下寛之監督に取材したとき、「3DCGの映画への適用は美術部門の舞台装置のCADから来ているから、ポリゴン・ピクチュアズは舞台づくりから入っていきたい」という趣意の話に大いに触発された。言われてみれば同社で「山賊の娘ローニャ」(14)を手がけた宮崎吾朗監督は、三鷹の森ジブリ美術館を手がけた建築家だ。同作の室内描写を見て「建築の才能は3DCGアニメ向きだな」と思ったことに、今の話はつながっている。
 そうした諸々の事象は、高畑勲監督がアニメーター時代の宮崎駿と組んで実現した「描き割りからの脱出とリアル風空間における生活実感の獲得」という1970年代の挑戦を原点としている。

そうした関心のルーツは、1974年にまでさかのぼる。何もかもを変えるきっかけとなった「宇宙戦艦ヤマト」のオンエア時期だ。10月スタートの同作の裏番組は、同年1月から先行していた高畑勲監督の「アルプスの少女ハイジ」であった。そのクライマックスで始まった「ヤマト」は不運という他ない。そして「視聴率で負けた」とされることが多いのだが、実は表現面においても「ハイジ」が圧勝だったことを筆者は知ることになる。
 本放送当時、「ヤマト」の制作現場を見学に行くと、スタッフの多くが「『ヤマト』じゃなく『ハイジ』を見なさい」とファンに助言するという珍事が起きていた。その意外性に驚いたが、アニメづくりに携わっていれば無視できない、それほど大きな革新だということが、語気から推察できた。だから再放送を待ち、興味津々で観始めた。当時高校生でロクに映像の文法は知らなかったが、明らかにレベルが違うことは瞬時に伝わる。その最大の違いとは「室内の被写体の配置が醸し出す空間の正確さ」である。
 カットが切り替わるたび、小屋の室内ならテーブルと椅子を中心として食器棚と暖炉、鍋などの調理道具や屋根裏部屋に通じる階段など、生活に関連した被写体の位置関係が変わる。椅子の背もたれに丸い穴があるなど、カットがわりで瞬時に認識できるマーキングが施されているため、互いの位置関係が「あるべき距離感と配置の絵」として常に観客に伝わってくるのだ。カメラで撮ったかのような実写感覚が宿っていることに心底驚いた。
 この「配置」とは、今では広く知られている「レイアウト」(背景原図とラフ原画を描くカットの設計図)の語義と同じである。「ハイジ」の場合、カットを積みかさねていく時間の中で、次第に脳内に室内の見取り図的なものが形成されていく。近年レイアウトの善し悪しが、分断されたワンカット毎の「決まった画」「パース類の整合性」に重きをおいて追求される傾向があるが、本来はそうではない。カット前後との「つながり」という「時間流」の概念が必要なのだ。これは映画の基本でもある。

初期話数でハイジは室内をよく「移動」し、いろんな家具や食器に触れては動かしてみる。枚数はさほど使わず、ポイントを押さえた簡潔な動きだ。レイアウトで大事なのは一枚絵的な見栄えではなく、「セルの動きと背景とのマッチング」ということが、それで分かる。カットを積んで生成されるリアリティが、生活の中に潜んでいた驚きを引きずり出す。そこには観客の幼児体験と同質の視線が含まれている。生を得てから、やがて自ら動くことを覚え、室内にあるものに触ったりつかまったりした記憶が引き出される仕掛けなのだ。「ハイジ」で有名な「チーズを焼くシーンの美味しそうな感覚」にしても、熱で溶けるチーズ自体の動画から生成されるものではない。「空間の積みかさね」から伝わってくる生活実感が醸し出す味わいだ。
 その感覚は「時間」を消費する「連続性」によって生まれる。SFで言うところの「時空連続体」に近いものである。そこから派生する「画面の中へ引きこむ感覚」が、絵コンテの語源にもなっている映画用語「コンティニュイティ」の正体なのだ。
 「ハイジ」では宮崎駿が「場面設定」として美術設定、つまり「舞台装置」を立体的に描き、高畑勲演出の基礎を支えている。さらに毎週毎週、絵コンテから「時空連続体による演出意図」を読みとって、カット毎に「画面構成(レイアウト)」を積んでいった。それは実写なら「カメラマン」に相当する役割を含んでいる。脳内でカメラポジションを規定し、そこから見た目で背景原図となる絵を描いたとき、3DCG的に矛盾のない高い精度の配置が生み出される。なおかつ手描きの「絵」が可能とする独特の歪みが加味されることで、観客の想像力が触発され、目が離せなくなるのである。
 こうして日本のアニメの「背景」は、「キャラがそこにいる」と図示する描き割り的な記号を脱し、「空間と空間が積み重なって生まれるコンティニュイティ」を背負い、支え得る直接的表現へと高まっていった。それは手塚治虫式リミテッドアニメとはまた別の「毎週毎週テレビでのアニメ放送を実現する」という手段の獲得でもあった。
 だが、こうした革新を成し遂げた高畑勲監督自身は90年代、業界を席巻した「レイアウト主義」に違和感を覚えていたのではないだろうか。カチカチにパースを追い込んでディテールを積むような流行は、むしろ観客の想像力を封じこめるものとして背を向けた。そしてキャラクターも背景も筆のタッチで同質に描いて動かす映画「ホーホケキョ となりの山田くん」(99)を発表したのだった。セルアニメに別れを告げ、ふんわりした曖昧な絵が触発する想像力という「その先」を目指した到達点が「かぐや姫の物語」(13)であった……。
 高畑勲監督には、他にもさまざまな功績がある。しかし急逝にあたって第一に世に問おうと考えたのは、「今では当たり前すぎて見えなくなった功績」である。変革の原点と現況を比較し、「開拓者の意に沿っていることなのか」ということも考えた。マスコミでは一般読者向けでごく一部しか伝えられなかった話だが、多少は専門性の通じるこの場を借りて詳しく語ってみた。「かぐや」の先にあった構想とは何だったのか。喪われたものの大きさを噛みしめつつも、興味は尽きない。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

アルプスの少女ハイジ

アルプスの少女ハイジ 6

アルムの山に一人で住むおじいさんに引き取られることになった少女、ハイジ。そして、その純粋で天真爛漫なハイジは偏屈で知られるおじいさんの心をなごませ、すぐに打ち解けます。アルプスの大自然に初めて触...

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