第27回東京国際映画祭 アニメ特集 コラム

今なぜ庵野秀明なのか

庵野秀明庵野秀明の映像活動を総括

 第27回東京国際映画祭(2014年10月23日より)で「庵野秀明の世界」が特集される。1978年、アマチュア時代の自主制作作品から興行収入50億円を突破した2012年の劇場映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』まで上映。さらにはPVやCM、オープニングアニメ、パイロットフィルム、実写映画用劇中アニメ、美術館用アニメなど、多彩な映像活動を含め、トークショー交えて36年分の活動をここに総括する画期的な上映イベントだ。

 長大な時間とともに、庵野秀明監督の中で変化し成長していったもの、逆にいかなる時流の中でも揺らぎがなく変わりえないもの――凝縮された上映期間の中で、そんなコントラストが浮き彫りになるにちがいない。

 待望の企画に際し、庵野秀明の「人と作品」を知るうえでのガイドとなる切り口を、ここに提示してみよう。

映像感度の高さと視点

 上映は「アマチュア」「アニメーター」「監督(シリーズ&長編)」「監督他(短編)」と、職歴を手がかりに大きく4つに分類され、全方位的に作品を楽しむことができる。ここでは概括として、年代記的各論とは違う角度で映像作家・庵野秀明の資質の一端を探っていこう。

 庵野秀明の「作家性」とは、以下に集約されると常々考えている。それは「(1)映像感度の高さと視点」「(2)ディテールをひとつに編みあげ、表現に変換する能力」「(3)アニメ・特撮への造詣の深さ」の3点である。

 もうひとつ別に2006年に自ら「カラー」「スタジオカラー」とプロダクションを立ちあげ、作品をつくる基盤を確立させた「経営者・リーダーとしての資質」があり、そこにもクリエイションとは切って離せない部分があるが、ここでは割愛する。

 まず1点目、庵野秀明ならではの「映像感度の高さと視点」とは何だろうか。分かりやすい事例は、今回のキービジュアルにも使われている「電柱」である。エヴァシリーズの映像でも、つとに強調されているアイテムだ。

 「電柱」は日本の都市部であれば、誰もが日常の中で目にしているはずである(埋設地域でない限り)。ところが「ここに電柱が!」と、いちいち気にしながら歩いている人は少ない。そしてある時期までは、アニメも特撮も積極的に「電柱」「電線」を描こうとはしていなかった。現在の深夜アニメ等では積極的に描く傾向にあるが、それはエヴァ以後の変化であり、かつては「ノイズ」あつかいされていた。

 この変化はなぜ起きたか。そこに「庵野秀明の視点」の秘密に迫る手がかりがある。人としての「眼」が違う。厳密には「視覚情報を処理する脳の特性」が違う。その違いは作家性と呼べる域に高まっている。  アニメもミニチュア特撮も、共通した原則的な作法が存在している。それは「省略と誇張」である。両者とも限られたリソース(時間・空間・金・人・モノ等)で映像という高度な表現を成立させている。そのためには、何から何まで細かく描いてはいられない。これをプロジェクト的に言い換えると「選択と集中が重要」ということになる。

 だから「意味のない(注目度の低い)アイテム」は、対費用効果が乏しいとして画面からオミットする。演出上必要とされたら、簡略化した記号に置き換えて省力化をはかる。固定金具は描かない、柱上トランスは単なる箱、碍子は白い丸、たるんだ電線は省略、単なる「縦棒と横棒」を「電柱」と思ってください、どうせ記号ですから……。そんな風にディテールを「ノイズ」扱いする作法なのである。


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