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特集・コラム 2018年12月12日(水)20:30

【明田川進の「音物語」】第18回 田代敦巳氏の思い出(後編)後ろから「余裕だね」と声がして

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グループ・タックが自分たちでつくった初の長編映画が「ジャックと豆の木」(1974)です。虫プロが倒産してスタジオが空いてしまい、スタッフも何人か残っているからと、そこを「ジャックと豆の木」スタジオにして制作がはじまりました。この作品は田代氏がプロデューサーと音響監督をやることになったので、僕は外部との仕事をメインにやろうと役割分担ではじまっていったのがその頃だったと思います。東京ムービーや円谷プロの仕事をしていたので僕はそのスタジオにほとんどおらず、タックのみんなに会うのは、忘年会や休みの日にみんなでやっていた野球のときぐらいでした。

「ジャックと豆の木」が完成したあと、一部のスタッフはサンリオに誘われて移ることになりましたが、やりたい方向性が違うからと田代氏たちは断っていました。それとは別に、僕はサンリオのプロデューサーになった元虫プロの富岡厚司さんから映画部をつくるから手伝わないかとの誘いをうけました。富岡さんは徳間にいたこともあって、僕は外部の仕事のひとつとして、英会話のカセットや、地方の人が村会議員や町会議員になるためのハウツーを教える10本組ぐらいの講義録カセットをつくっていました。タック本体の仕事からは離れて、社内にあまりいないまま外部の仕事をしているなかで映画をつくってみたいと思うようになり、サンリオの映画部の仕事がみえてきた感じでした。

タックを離れることを社内で話したら、田代氏は「えっ!?」っという感じになりました。みんなで一緒にやっていると思っていたのに、どうして僕がそんなことをという話になりますし、結果として自分たちが断った会社に行くことになるわけですからね。相当ショックだったと思います。

そこから2、3年、田代氏と断絶の時代があったのですが、あるときからタックの仕事を請けるようになりました。田代氏から仕事の話をもらったとき、「僕はタックを辞めているのにいいの」と言ったら、「何言ってるんだ。アケさんは今でも会社の発起人だし、いつでも戻ってきて大丈夫なんだから」と言ってくれて、そこからは矢継ぎ早にタック絡みのシリーズの音響監督をやることになりました。

途中からタックは、音響よりアニメの制作がメインになりました。ギっちゃん(杉井ギサブロー氏)は、「田代氏は自分の好きなものしか音響をやらない」と言っていましたが、タックは田代氏がやりたいことをやるための会社だったと思います。手塚先生もそうでしたが、自分の会社でやりたいことをとことんやろうとすると、費用もスケジュールもかさみます。「三丁目の夕日」のアニメ(1990~91)などは、田代氏がいちばんやりたかったもののひとつだったはずで、相当手間隙をかけてつくっていましたが、残念ながらあまりあたらなかったようです。この作品は、のちに実写映画になって非常にヒットしました。

僕が仕事をしている音響の現場に、何度か田代氏がきたことがあります。僕が音響監督をやっている後ろから「余裕だね」という声がしたので振り返ったら、田代氏が後ろに立っていて(笑)。そのときは、ある作品の監督を石黒(昇)氏に頼めないかという話をしたと思います。

田代氏が亡くなったのは突然のことでした。僕はその前に何かの会であっていて、そのときは何も知らないまま、「あれ、ちょっと痩せていない?」と聞いて嫌な顔をされたことがあったんです。あとから聞いたら、そのときすでに病気だったそうですから、隠していたのを僕がそんな風に言ったから気を悪くしたのでしょうね。その後、たしか「昆虫物語 みつばちハッチ ~勇気のメロディ~」(2010)の発表会にでることになっていたのを欠席して、その何日か後に亡くなったと記憶しています。

田代氏がいなくなったタックを今後どうするかという話し合いに僕も呼ばれて、いろいろ話を聞いたり他の会社に行って事情を聞いたりしましたが、なかなか難しい状況でした。タックを辞めていたギっちゃんも、自身が請けている仕事をタックに回したりしていたそうです。その後、ギっちゃんと2人で青山にある田代氏のお墓までお参りに行きました。

グループ・タックの代表的な作品のひとつに、「まんが日本昔ばなし」(1975~94)があります。僕はほとんど関わっていませんが、これは「ジャックの豆の木」が大変な手間をかけてつくったのにそれほどは当たらなかったことをうけて、今後は経費をかけず、なおかつ面白いものをつくるにはどうしようと考えて生まれたものでした。各話の演出家が映像の手法を独自に考え、貼り絵でアニメをつくるなどすれば、たくさんの原画がいりませんし、つくる側も自分なりのことができるから面白がることができます。この手法は、タックをなんとかしたいと思ったギっちゃんが考え出したものです。

明田川 進

明田川進の「音物語」

[筆者紹介]
明田川 進(アケタガワ ススム)
マジックカプセル代表取締役社長、日本音声製作者連盟理事。日本のアニメ黎明期から音の現場に携わり続け、音響監督を手がけた作品は「リボンの騎士」「AKIRA」「銀河英雄伝説」「カスミン」など多数。

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