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インタビュー 2023年1月1日(日)19:00

アニメ宣伝20年 飯田尚史の“届ける”醍醐味、肌で感じたアニメビジネスの変遷 (2)

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■メイドアニメがジャンルだった時代 リアルメイド練り歩きPR

――ここからは、事前に教えてもらった飯田さんが印象に残っている宣伝施策の話を聞いていきたいと思います。最初は「これが私の御主人様」(05)の「メイドさん50人秋葉原ねり歩きPR計画」ですね。

飯田:この頃になるとインターネットが宣伝において強い影響力をもちはじめていて、バズを立てるじゃないですけど、アニメ誌以外でのプロモーションをイベント的にやることによって、ネット上で拡散させていく時代に入りはじめていました。そこでそうした手法をやりはじめたなかのひとつです。

――22年に「アキバ冥途戦争」が放送されていますが、この頃のメイドはまた違った意味合いで新しいものっていう感じでしたよね。

飯田:五所さんも覚えていると思いますけど、メイドアニメはもうジャンルだったんですよね。今の異世界アニメまではいかないですけど、とにかくメイドアニメがいっぱいあったんです。「まほろまてぃっく」「HAND MAID メイ」「花右京メイド隊」「会長はメイド様!」……僕が担当したものをパッと思いつくだけ挙げてもこれだけあって、時期的なこともあって僕はいまでももしかしたらおそらく日本でいちばんメイドアニメを担当した宣伝マンじゃないかと思います(笑)。今は「絶対領域」という言葉も説明が必要なぐらいになっていますけれど。

「メイドさん50人秋葉原ねり歩きPR計画」の様子

「メイドさん50人秋葉原ねり歩きPR計画」の様子

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――絶対領域……懐かしいですね。たしかにホットな言葉でした。

飯田:そんなメイドアニメの1作である「これが私の御主人様」の制作は、ガイナックスさんとシャフトさんでした。コスプレしたメイドさんを集めて練り歩くというシンプルな企画ですが、衣装も人数分つくるなどしてけっこう大変でした。ただ今だから言えますが、この企画をやる直前にメイドが取り沙汰されるある事件が報道されたので、当初50人だったのを36人に減らして実施したんです。ちょっと人数は減ってしまいましたがそれでもかなり壮観で、それこそ駆け出しの頃によく怒られたガイナックスの佐藤さんも大喜び(笑)というプロモーションで、思い出深いものでした(編注)。

編注:05年06月11日に実施。「アキバBlog」でイベントの模様がレポートされている。

■ブルーレイ無料配布~ビットレート超えているんじゃないか疑惑

――次は、08年12月23日に実施されたブルーレイディスクの無料配布の話題です。「とある魔術の禁書目録」「ケメコデラックス!」「ef - a tale of melodies.」「キャシャーンSins」「ef - a tale of memories.」「天地無用!劇場版」のPR映像を収録したブルーレイを東京・秋葉原と大阪・日本橋で配布するという施策でした(編注)。

編注:「GIGAZINE」08年12月17日掲載 ロンドローブ、「ケメコデラックス!」や「とある魔術の禁書目録」のブルーレイディスクを無料配布 

飯田:無料配布したのはコレなんですよ(と現物を出す)。

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――おおー、こういう販促物は今となっては貴重ですよね。

飯田:これもまさしく時代というか、メディアがDVDからブルーレイに転換する時期だったんですよね。最初にお話しした「serial experiments lain」の頃がレーザーディスクからDVDに変わる境目の時代で、この頃はそのDVDもいよいよブルーレイにチェンジするタイミングだったんです。
 これは意識的に日本初というのををやりたくて、実写映画もアニメもふくめてまだどこもブルーレイの無料配布はやっていなかったんです。日本初で何かプロモーションをしたくて、この企画をやった感じでした。ただブルーレイというフォーマット自体がでてきたばかりでよく分からないことも多く、僕自身勉強しながらポストプロダクションの会社さんと綿密に相談しながらつくりましたね。……実はむちゃくちゃ制作にお金もかかりました。

――ではじめの高かった時期に無料で配布するわけですものね。

飯田:当時はアニメファンも再生できるPS3は持っているけれど、またブルーレイソフトは買ったことがないという人が多くて、どういうものだろうと思っている人が多かった頃だったんです。それを無料で配布しても大丈夫かいろいろ聞いて、問題ないんじゃない? てことでやったのですが、個人的には面白いことができたかなと思っています。

――この無料配布のブルーレイで、収録した映像のビットレートが規定を超えているのではないかという噂が流れたそうですね。

飯田:それぐらい黎明期だったんですよね。もちろん技術的な検証はしっかりやって、最終的にこれならいけるねとなってディスクを完成させて配布したのですが、収録した作品の中で「ef - a tale of memories.」(編注)の映像が奇麗すぎるという噂がネットの一部でたちまして……。当時はPS3で見ている人が多くて、その環境だと再生している映像のビットレートが表示されていたらしいんです。その数値が上限を超えているんじゃないかと。

編注:「ef - a tale of memories.」は、minori制作の美少女ゲームが原作。シャフトと大沼心監督によって07年にテレビアニメ化された。原作のゲームのオープニング映像は新海誠監督によるもの。

たしかに、ポスプロの方とは限界値までやろうと言ってたんですよ。とにかくブルーレイは奇麗なんだとアピールするためにギリギリまで映像をおいつめて収録したのですが、そうした指摘をネットで見て「あれ……やりすぎちゃったかな」と。これはまずいかもしれないという話をポスプロの方としていたら、会社宛に「ソニーさんから電話がかかってきています」と言われて、電話にでたら「ちょっとお伺いしたいことがあります」という用件で。これはすごく怒られるんじゃないかと思ってドキドキしながら会社にお越しいただいたら、ソニーの方ではあったんですけど、ブルーレイディスクアソシエーションというブルーレイディスクの規格を策定する普及団体の方だったんです。
 結果的にはビットレートのことではなくて、ブルーレイの普及に積極的に取り組んでいて面白い試みだと褒めていただいたんですけど、最初に電話がかかってきたときは、これは間違いなく怒られると思ったことは忘れられないです。そのときお会いしたソニーの方とは同じグループになったので、チャンスがあればまた何かご一緒にやりたいですねとお話ししています。

――実際のところビットレートはどうだったのでしょう。

飯田:ネットの反響を見てもう一回確認したところ超えてはいなかったはずです。作品との相性もあって、それぐらい綺麗に見えたということだったのだと思います。たぶん(笑)。

■「とある魔術の禁書目録II」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」合同新聞広告

飯田:これも思い出深くて、今日は現物をお持ちしました。10年9月26日の日経新聞朝刊に掲載された合同広告です。

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――この頃は新聞にアニメの広告が載るのは珍しかった印象で、しかもメーカーの枠を越えての合同広告だったのでよく覚えています。

飯田:ちょうど放送時期も一緒で同じ電撃文庫さんの作品ということで、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(10)と「とある魔術の禁書目録II」(10)で何かプロモーションをやりましょうとアニプレックスの当時は宣伝プロデューサーの高橋(祐馬)さんにお声がけいただきました。当時ジェネオンが入っていたビル内にあるカフェに、高橋さん、NBCの太田(勝也)君、当時はジェネオンで、今はアニプレックスの中山(信宏)プロデューサーもいたかな……の3、4人で集まって、電撃文庫つながりでとにかく何か面白いことをやろう、そしてこの作品で一緒に秋の覇権をとろうみたいな話をしまして(笑)

――「覇権」という言葉も懐かしいですね。実写映画化された「ハケンアニメ」という小説も生まれましたが、もともとは高橋さんの言葉発ですものね。

飯田:みんなで集まってアイデアだしをしているときに、誰がどう言いだしたかはちょっと覚えていないんですが、どちらからともなく日経新聞に合同広告をだしたら面白いんじゃないかという話になったんです。朝日新聞でも読売新聞でもなく、当時としてはもっともアニメから遠いであろう日経新聞に載せる。わざと遠いところにボールを投げて、そこでバズを起こすっていう手法ですね。やりましょうとその場できまって、また高橋さんが非常にフットワークが軽い方なのでそこからもう一気に進めて……このキャッチコピーがいいんですよね。

――「立ち上がれ、日本経済」ですね。

飯田:このコピーは祐馬さんが書いたものですが、コロナ禍を経た22年(※取材時)の状況を考えるとより輝きを増して、さらにぐっとくるとても素敵なコピーだと思います。本当に祐馬さんはすごいなと思います。

――この合同広告は新聞をとっている人もおっと思いますし、新聞を買ってきて写真に撮ってネットで拡散することも考えられているわけですよね。

飯田:もうそういう時代ですよね。Twitterなどで拡散することを狙うっていう。日経新聞を読んでいる方がターゲットかというと必ずしもそうではなくて、一部の方が拡散してターゲットに向かって面白いことをやっているねと思っていただくという手法ですね。

――ちょうどこの頃だったと思いますが、この合同広告のようにメーカーの垣根を越えた「アニメメーカー横断 宣伝マンブログ」などをやられていましたよね。

飯田:僕も当時の高橋さんのインタビュー(編注)を読んで思い出しましたが、「アニメージュ」さんがメーカーの宣伝の人を集めて飲み会を何度かやったことがあるんですよ。それ自体は2、3回で立ち消えちゃったんですけど、そのときに高橋さんが「みんなで何かやりたいですね」という話をして、そのあとも彼がリーダーとして有志で集まるようになり、みんなで宣伝マンの横断ブログをやりましょう、イベントをやりましょうという話に発展した感じです。

編注:「ASCII.jp×ビジネス」2011年06月29日掲載 アニプレックス 宣伝プロデューサー 高橋ゆま氏インタビュー(後編)

――他社のメーカーってある意味ライバル同士でもあると思いますが、その部分は残しつつも一緒にやっていくというのはすごくいいなと思いながらいろいろな施策を拝見していた覚えがあります。

飯田:これも高橋さんみたいな方がいたからこそかもですが、これは以前から考えていることで、僕がメーカーからプラットフォームに移ってからより実感したことなんですけど、メーカーの現場の人間同士って実はけっこう仲が良かったりするんですよ。

――なるほど。

飯田:パイオニアLDC時代、広島や大阪で営業をしているときもそうでした。出張先でメーカーセールス同士、仕事が終わると一緒になってよく飲んでましたね。僕はアニメについての深い知識などを、バンダイビジュアルのセールスの方に懇切丁寧に教えてもらってましたし。こういった横断みたいな企画が実現できるのは、コンテンツメーカーならではなんですよね。これが自動車メーカーだったらまず無理だと思います。なぜなら普通の消費者が車を一時期に何台も買うことは基本ないからです。買うのはたった1台、そうなると完全にメーカー同士ライバルですからコラボレーションを一緒にやりましょうというのは、特に営業成績を競いあう現場レベルではなかなかありえない世界だと思いますね。
 それに比べるとコンテンツメーカーって、目に見えない奪い合いはあるとは思いますが、作品に関しては決して被らないじゃないですか。合同広告に関して言えば、「とある魔術の禁書目録II」を見たい人に「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」を無理強いしてまで押し売りすることはできませんし、その逆も同じで、そもそも両方楽しんでもらえば良いわけすし。そこがエンタメの世界のコンテンツの面白いところなんです。ライバル会社なんだけれどライバルじゃないというか、だからコラボレーションができるんですよね。

――今のお話で言うと、例えばPrime VideoとNetflixとU-NEXTがコラボして何か面白いことをやろうというのはまず難しいわけですね。

飯田:同じコンテンツがそれぞれのプラットフォームにあって、ウチで見ましょうと勧めて競っている業界でもありますからね。そこはメーカーとプラットフォームの違いですよね。

――無責任な話ですが、そこをなんとかクリアしてコラボできるようになったら、また面白い地平が生まれる気もします。

飯田:そういう可能性を探るっていうのは全然ありではないでしょうか? 配信業界みんなで盛り上げるみたいな。誰か音頭とってチャレンジしてくれないかなと他力本願で思ってしまいますけれど。

■ブッキング忘れから生まれたネットラジオと炎上事件

――長年やられていた宣伝活動のなかで、これはピンチだ、まいったなみたいなことはありましたか。

飯田:本当にやばかったみたいなことはとても記事にはできないので、気になる業界の方は個別飲み会にでも誘ってください(笑)。そうですね。ネットラジオでの炎上事件は今でも記憶に残っていますね。

――ウェブラジオ「のら犬さんのアニメ!ギョーカイ時事放談」ですね。このラジオの成り立ちから聞かせてください。

飯田:もともとは、映像・音楽メーカー合同でやっていたネットラジオ番組「キャララジオ」(06~08)の1番組が前身なんですよ。これは先ほどお話したアニメメーカー横断とは別の文脈で生まれたもので、メーカー持ち回りでラジオのネット配信をやっていたんです。ほとんどのメーカーさんの番組では声優さんをパーソナリティにして番組をつくっていて、ジェネオンの回のとき、お恥ずかしい話なんですけど僕が番組のことをすっかり忘れていたんですね。もう声優さんもブッキングできないタイミングだったので、当時たしか「撲殺天使ドクロちゃん」のDVDの発売・販売元でタッグを組んでいた同僚の川瀬さんと当時ショウゲートの伊平(崇耶)さんにパーソナリティをお願いしてやってもらうことになったのがはじまりなんです(※「偽・うpのギョーカイ時事放談」)。これが意外とアクセス数を稼げたので、ギャラもかからず作品の宣伝ができるし、案外面白いから続けるかでスタートしています。

――なるほど。

飯田:そうしてはじまって4回目に大炎上したんです。バーナムスタジオ、今はライデンフィルムさんの代表でもある里見(哲朗)プロデューサーに当時ゲストにきてもらったのですが……。

――事前に教えてもらった「GIGAZINE」の記事を読みましたが(編注)、ニコニコ動画の話題で炎上したのですね。当時のニコニコ動画は、許諾なしでアニメの動画などが見られる状態にあって、私も最初はそういう場所だったという記憶があります。

編注:「GIGAZINE」2017年10月26日掲載 アニメ制作者がネットラジオでニ○○○動画を痛烈に批判

飯田:当時よくこんなことをそのまま流したなと思うんですけど、ラジオのなかでここに書いてあるとおりのことをしゃべっていたのがネットの一部でかなり話題になってしまい、ちょっと青くなりまして。

――ただ、ラジオで言われていることは今読んでも非常に道理がとおっているように思いました。別に間違ったことを言われているわけではないですよね。

飯田:そうなんです。某掲示板のスレッドがたしか23スレくらいいっちゃってヤフーニュースにも転載されて、さすがに社内でもちょっと……ということになって、役員会あたりで議題になったらしいのですが、戻ってきた上司から「間違ったことは言っていないから」というようなことを言われてホッとしたのを覚えています。このラジオがきっかけとは言いませんが、このあとドワンゴさんはジャスラックと契約を締結されましたね。当時の杉本(誠司)社長には番組にも出演していただき、そこで今後はきちんと権利処理をしますとお話されていました。

――「ギョーカイ時事放談」が、飯田さんの声優ブッキング忘れをきっかけにはじまったとは知りませんでした。こういう話は聞かないとなかなかでてこないですね。

飯田:お恥ずかしい(笑)。まあ別にお話する機会もありませんから。

■グローバル会社のパワー、アニメビジネスの変化

――時系列が少しさかのぼりますが、ジェネオン エンタテインメントからジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン(09~13)、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン(13~)と社名が変わる過程でNBCユニバーサル傘下となり、外資系の企業になったわけですよね。外資系になると企業文化も違ってくるのではないかと思うのですが、働いていてそうした変化は感じられたでしょうか。

飯田:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンも、そのあと転職してお世話になったワーナー ブラザース ジャパンも、日々の業務では外資系だから日本の企業と違うとは個人的にあまり感じなかったです。あ、ひとつありましたね。サンクスギビング(※アメリカ合衆国やカナダなどで祝われる祝日のひとつ。アメリカでは毎年11月の第4木曜日)を越えるとアメリカは「もう今年はおしまい」ってムードはあって、日本もそれにあわせていろいろ前倒ししなきゃいけなかったのは大変だった記憶があります。
 というのは別として、世界中にエンタメを展開しているグローバルな会社だからこそのパワーや強みを感じたことはありました。具体例を挙げると、ワーナー時代に携わった「ニンジャバットマン」(18)がそうで、グローバルに展開する「バットマン」というIPと忍者を掛け合わせて神風動画さんにとんでもなくクールでハイクオリティな映画を制作していただき、それを日本発で全世界の175カ国ぐらいにパッケージや配信で展開したんですよ。世界中からリアルタイムの数字が送られてくるのを見て、日本の支社がつくった作品がまさしくワーナーブラザースというハリウッドの巨大エンタメ企業を通じて世界中にリリースされて実際に見てもらえていることにえらく感動しましたし、初めてすごく身近に感じることができました。

「ニンジャバットマン」

ニンジャバットマン

Batman and all related characters and elements are trademarks of and (C) DC Comics. (C) Warner Bros. Japan LLC

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――今でいうところの日本発のアニメがNetflixで全世界同時配信されるのに近い感覚ですね。

飯田:自分はいち宣伝としての関わりでしたが、世界の人に見てもらえていることをすごくリアルに感じられました。そういう体験ができたのはグローバルに展開できるIPやフランチャイズをもっている会社だからこそで、外資系の企業の醍醐味だと思います。そうした環境のなかでダイナミックな作品づくりに関わることができたのは得難いチャンスでしたし、本当に良い経験をさせていただいたなと思っています。
 そして、今クランチロールにいるからこそ感じることなんですけど、「呪術廻戦」「チェンソーマン」「モブサイコ100」など挙げていくときりがありませんが、今はまさしく日本原作のアニメーションが世界中で本当に広く楽しまれているんですよね。ハリウッドメジャーのIPである「バットマン」が世界中で劇場公開されて知られているのと同じことが起こっている。これは日本人としてとても誇らしいことだと思いませんか?

――今はアニメのビジネスも大きく変化していて、かつてのパッケージ販売から今は海外配信の比重が大きくなっていると、いろいろなところで語られています。

飯田:僕は中学生くらいのときは秋葉原のラジオ会館のNEC Bit-INNに遊びに行っていたような人間なので、ある種の郷愁とともに、テクノロジーの発達がこのビジネス変化をもたらしたことがよくわかります。インターネットがすべてを変えましたね。
 世界中で日本のアニメーションがネットを通じて楽しまれるようになり、ビジネス的に世界展開が非常に重要になってきたことでいうと、日本のアニメがターゲットにする地図が変わっていった感覚があるんですよ。非常にざっくり言うと、かつては秋葉原や池袋に行くのを好むような方をターゲットにしていた時代から、劇場アニメの「涼宮ハルヒの消失」(10)のヒットあたりからはじまり、「君の名は。」(16)「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(20)にいたる巨大ヒットのなかでターゲットが日本全体になっていった。そして今次のステージとして、ターゲットが世界そのものになっている。アニメのビジネスをやっている僕らがターゲットにしている人たちがどんどん広がっている実感があって、時代のなかでジオグラフィックなそうした移り変わりがおきている気がしています。

■絶対に失敗できないプレッシャーと至福があった「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」

「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」

「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」

(C) 鎌池和馬/アスキー・メディアワークス/PROJECT-INDEX MOVIE

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――「ニンジャバットマン」のほかに、ワーナー ブラザース ジャパン在籍時に印象的だったお仕事はあるでしょうか。

飯田:NBCからワーナーに移って長くやらせてもらいましたが、そのなかで特に思い出深いのは「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」(13)ですね。日本のワーナーのアニメプロダクションチームが最初に手がけた劇場作品ということで、まだ設立されたばかりのアニメチームの今後はこの映画にかかっているぐらいのプレッシャーがありました。絶対に失敗は許されないぐらいの雰囲気があって、実際当時のホームエンターテイメントのトップから、「この映画を必ず成功させてほしい。そのために他の仕事は何もしなくていい」というようなことを言われて、実際にそういうシフトを敷いてくれたんですね。今までの長い仕事人生のなかで、そんなことを言われて、かつ有言実行されたのは最初で最後でした。

――すごいですね。

飯田:宣伝って同時にいろいろな作品を抱えながら仕事をするのが普通なのですが、このときだけはもうこの1本の宣伝だけを考えればいい。もちろんプレッシャーはありましたけれど、ある種至福のときでしたね。何より作品が素晴らしかったですから、もうあのときは「これが失敗したら自分の責任、辞めよう」ぐらいに勝手に思いこんで、エンドルフィンがドバドバでながらブレーキの利かない状態で仕事してましたね。あとで聞きましたが、まわりからみてもこのときの僕はちょっとおかしくなっていたようです(笑)。
 映画の場合、もちろん本編の出来ありきではあるんですけど、最初の土日だけは宣伝の責任だと思っているんですよ。まだ見たことがない作品を、お客さんに劇場まで足を運んでお金を払って見ていただくようにするきっかけをつくるのが宣伝の仕事ですよね。公開後は口コミなどの要素も入ってきますが、最初の土日、特に初日だけはいかに宣伝が頑張るかの勝負でしょう。
 で、「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」の公開日の土日を終えた月曜に、裁判の判決を前にしたような面持ちで出社してきた僕に、劇場マーケティングのトップの方がいらっしゃって(親指を立てて)こういうサインマークを送ってくれたんです。そのときはむちゃくちゃうれしかったですねえ。

■作品を“届ける”宣伝の醍醐味

――長く宣伝の仕事をされてきて大変なことも多かったと思いますが、そのなかで今お話しされたような得難い体験もあるわけですね。

飯田:原作者やクリエイター、アニメ制作会社の方たちが心をこめてつくった作品をひとりでも多くの人に届け、作品にこめられた思いやメッセージが伝わることで初めて作品として完成すると思っています。ただつくって、そのまま大事に蔵にいれるためにはつくっていないはずで、“届ける”ところに宣伝の意義があるのではないかと思っています。ひとりでも多くの人にそうした思いやメッセージを届けること、それをする役割が宣伝ではないかなと考えています。
 そういう意味では、制作と宣伝のどっちが偉いとかそういうことはなくて、どちらも意義深い重要な仕事ですよね。僕自身はそんなふうに考えながら宣伝の仕事を続けてきましたし、ファンの人に喜んでいただいたり、その人の人生にとって何か良いものになったりすればいいなと思いながらやってきました。

――私は仕事柄、日々アニメの情報に接しているから麻痺してしまっていますが、ふだんアニメに関心がない人に知ってもらう大変さというのもありますよね。

飯田:そこはメディアの方も一緒だと思うんです。いろいろな方が記事を書かれて、それが雑誌やネットメディアに掲載されることで、その記事をご覧になった方がこの作品を見てみようかなと思う。そうしたきっかけづくりをしているわけですから、とても重要で必要な仕事だと思います。そうした体験みたいなものを共有できる場としてイベントもすごく大事ですし、僕自身とても好きなんですよ。

――今日は触れられませんでしたが、ジェネオン在籍時には毎年ロンドローブ(編注)のイベントを開催されていましたね。

飯田:イベントって、思いや体験の共有の場だと思うんです。国内のイベントももちろんそうなんですけど、僕は以前から「アニメ・エクスポ(AX)」「オタコン(オタク・コンベンション)」、フランスの「ジャパンエクスポ」など北米や欧米を中心に海外のイベントに何度もいかせてもらっていて、当時の上司には本当に感謝しかありません。日本のアニメを見て拍手喝采したり喜んだりする外国の方たちを直接見ることで、今だと当たり前のことですけど、アニメというのは国境や人種などさまざまなことを越えていくことをかなり早い段階で体感できたことが、結果的に僕の今のキャリアに繋がっていると思います。

編注:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンのかつて存在したアニメレーベル。命名は前述の上田耕行プロデューサー

――長く宣伝の仕事をされていきて、現役の宣伝の方にアドバイス的なものはありますか。

飯田:たいしたことは言えませんが、宣伝の仕事って調整役というか、製作委員会方式の作品だと、各社さんの意見の妥協点をさぐ探って落としどころを決めるみたいになることがままあるんですよね。宣伝の仕事をしたことがある方なら分かると思うんですけれど。
 ただ、相当の覚悟でのぞむことがまれにですがあるんですよね。僕にとってはそれが「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」だったように何がなんでもヒットさせなければいけないという作品や、このメッセージをなんとしても届けたいみたいな作品に出合ってしゃにむにやっていると、そのうち「もうこれは飯田さんの宣伝作品なので好きにプロモーションやってください。お任せします」みたいなときになることも、本当にごく稀にですがあります。そうしたらもう宣伝無双モードです。

――任されるということは責任もともないますから大変なことにも思えます。

飯田:もちろんそうです。原作サイドも制作サイドにも認められてが前提で、そのくらい作品に入り込む必要があります。だけど、その域にいけると宣伝って本当に楽しいんです。いつもは無理ですけれど、宣伝の仕事をしたからには一度はそういう経験をしてほしいなって思いますね。

――はじめはなかなか自由にできないなか、熱中してやっているとどこかで好きにやっていいタイミングがくるときもあるわけですね。

飯田:そのぐらい作品にたいする愛情や熱意をもって宣伝に取り組んでいると、まれにそういう瞬間があります。そういうときってもう作品のいちばんのファン(と思い込んで)になっていますから、そんなに的外れなこともしないですし、自分自身を振り返ってもそれなりに上手くいった実感があります。そういう経験が一度でもできると、やっぱり宣伝って楽しいなと感じられるんじゃないかと思いますね。「これでいいですかね」といろいろな人の顔色をうかがう――そうなりがちなんですけれど――だけじゃなくて、作品のファンの代表として、これがいちばん伝わる、喜んでもらえる、楽しいはずだという絶対の自信をもって思う存分やれるのは本当に楽しいですし、自分の経験のなかでも宣伝の醍醐味のひとつだった気がします。

■秋葉原・池袋→日本→世界 アニメビジネスのターゲットの広がり

――飯田さんはパイオニアLDCからお仕事をはじめて、ワーナー、U-NEXTと移り、今のクランチロールでは制作プロデューサーの仕事につかれています。その足跡自体が、アニメのビジネスの変化とシンクロしているのが面白いですよね。

飯田:僕は「エヴァ」などで知られるレコード会社による製作委員会方式、パッケージビジネスが全盛期の頃にアニメの宣伝の仕事をスタートさせて、それこそDVDやブルーレイが5万から10万以上飛ぶように売れるような経験をしてきました。パッケージの販売数がビジネスの成否のほぼすべてだった時代です。さっきお話したターゲットの地図の話でいうと、この頃が男性だったら秋葉原、女性だったら池袋に行くようなアニメファンに向けて作品をつくっていた時代だったと思います。そうしたアニメファンに刺さることがパッケージが売れることであり、ビジネスの成功が決まっていた時代です。
 その時代はつい最近まで続いていましたが、それと並行するように10年代頃から劇場アニメ「涼宮ハルヒの消失」「君の名は。」「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」の流れで、劇場アニメのビジネスが拡大していきました。これが最大化したとき、ターゲットが日本全国になってアニメのビジネスが展開されるようになりました。
 ちょっと時期はずれますが、劇場アニメが拡大しつつあるコアの約10年間に僕はワーナーにいて、映画配給宣伝のプロの方からするとほんとに爪の垢程度ですが、「とある魔術の禁書目録-エンデュミオンの奇蹟-」「ニンジャバットマン」「アクセル・ワールド INFINITE∞BURST」(16)「劇場版はいからさんが通る」(17)などの劇場アニメで宣伝担当、宣伝プロデューサーを経験しました。そこでハリウッドメジャーのワーナーブラザースという配給システムのもと映画宣伝を経験するという望んでもできない機会を与えられたのは僕にとって大きな宝物ですし、劇場アニメが拡大しているときにそれが経験できたのはラッキーだったなとも思います。
 そして、5、6年前からNetflixをはじめとするグローバルプラットフォームが台頭してきて、非常に大きなビジネスモデルの地殻変動があったと思います。パッケージ、配信&グローバルとアニメのビジネスが移行していくときに、若干のずれはありますが、ご縁があってU-NEXTさんに転職して僕自身、軸が大きく変わりました。アニメ業界がパッケージ主導からいよいよ配信に基軸を移しはじめる頃に、僕もちょうどそちらにシフトすることになったんです。

――U-NEXTに移られて、アニメ業界の見え方は変わりましたか。

飯田:U-NEXT時代は、プラットフォームビジネスと本格的なデジタルプロモーションというものに初めてふれて非常に目が覚める思いがありました。良い意味で自分がこれまでやってきたフィジカルプロモーションの限界も感じましたし、今までの自分の宣伝の考え方をいったん全部リセットするような思いで、大きな挫折感もありつつ貴重な勉強をさせていただきました。
 U-NEXTに在籍した短い期間で僕がやったことで言うと、「PAYBACK<プレイバック>」というプロモーション施策を立ち上げました()。アニメの作品数ナンバーワンのプラットフォームであるU-NEXTで、今オンエアされている新作ではなく、今までつくられてきた名作を見ると面白いですよと、出演声優さんにでていただいて作品を語っていただくという内容です。パッケージの時代は、廉価版のDVDやブルーレイのボックスをリリースすることで、過去の名作やメーカーのカタログのプロモーションができたんですよね。その配信版というかたちです。

――ジェネオンにも廉価版のシリーズがありましたね。それこそ「serial experiments lain」もでていました。今でもいろいろなメーカーで廉価版のブルーレイボックスが発売されています。

飯田:以前は過去の作品をリパッケージすることで、その作品の再認知・価値をあらためてプロモーションする施策ができたんです。今は市場がシュリンクしちゃってなかなかそこまではできないので、配信プラットフォームのなかで名作や過去のカタログをもう一回認知してもらうことはできないかと考えたんです。プラットフォームのなかでのキュレーションとして、エバーグリーンな名作の価値を発信してみんなに知ってもらうことは今でも課題だと感じています。クランチロールでも何かできるとよいと思います。特にそうした作品をつくったクリエイターへのリスペクトは海外のファンはとても強いですから。
 そんなふうに今のアニメビジネスのターゲットは、日本から世界全体にまで広がって、そんななかたまさかこれもご縁があって僕はグローバルプラットフォームであるクランチロールに今たどりついているという感じです。
 それにしてもこの数年の間の変化の大きさには驚かされます。オフィスが渋谷なので、スクランブル交差点をとりまくようにアニメの宣伝の看板がそこらじゅうに掲示されているのをみながら出勤しています。東京アニメセンターだって、秋葉原から気がついたら渋谷に移っていましたし。10年前の僕が聞いたら「何を言っているんだ」ときっと信じなかったと思います。

■“届ける”仕事は変わらない

――飯田さんが在籍されているクランチロールが、そもそもどんな会社か聞かせてください。

飯田:ざっくり言うと、アニメを世界中のアニメファン、アニメコミュニティにプラットフォーム事業を中心に、イベント、劇場アニメ、ゲーム、グッズ、出版などを通じてお届けしている会社です。22年は「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」「ONE PIECE FILM RED」の海外配給が話題になりましたね。

――飯田さんはそこで現在どんなお仕事をされているのでしょう。

飯田:僕は東京オフィスのプロダクションチームに所属しています。「プロデューサー」と名刺にありますので、宣伝中心から初めて今更ながらですが制作職になった感じでしょうか。
 移って最初の2カ月ぐらいは、これから動いていく作品の原作やシナリオを集中的に読みこんでいました。そのあと(22年)8月に「クランチロール・エクスポ2022」という自社主催のアニメコンベンションがアメリカで行われて、今回は一部のパネルディスカッションが日本で収録したものを事前収録・配信したので、その収録のサポートなどをしていました。
 制作的なことで具体的なタイトルとしては、LINE漫画さん原作のウェブトゥーン「神之塔 -Tower of God-」というテレビアニメの第2期(※「神之塔 -Tower of God- 2nd SEASON」)の準備を担当プロデューサーとして進めているところです。とても面白い作品です。U-NEXTほかで第1期を配信していますのでぜひ見てください。

――クランチロールで制作の仕事に就かれて、ゆくゆくは飯田さん企画のアニメをつくろうという展望はありますか。

飯田:今はほんとに修行の身という感じでやっていますが、がんばります。まずは英語力向上でしょうか。あとは、業界にいらっしゃる優秀なアニメプロデューサーさんたちとタッグを組む、配信プラットフォームとしてサポートをしての作品づくりをできればよいと思っています。
 そして、若い後進のプロデューサーの発見・育成もテーマです。世界にうって出たいという、ぜひ我こそはという方は応募してくださいませ。
 それにしても、たしかに僕は今の会社では制作ですが、プラットフォームのビジネスって、「DtoC(Direct to Consumer)」という顧客に直接届ける仕事で、これってすごく宣伝的な側面が強いのです。そういう意味で言うと実はスタンスは全然変わっていません。作品をアニメファンの皆さんに送りとどけること、世界中にアニメファンを増やしていくことが仕事です。

――なるほど。今日伺って分かったようにこれまでも宣伝の仕事をしながら、アニメ化のきっかけづくりをされていたわけですものね。

飯田:プロデューサーの仕事っていろいろあると思いますが、僕はひとりでも多くの人に作品を届けるという目線を軸にやっていければなと思っています――今回インタビューの機会をいただいて自分の仕事を振り返ってみると、すごくラッキーでありがたかったなとあらためて思います。自分の能力やレベルはつたないものですけれど、パッケージ、配信、劇場、グローバルという領域を踏破して、全部やらせてもらってきたのは希有な経験ですし、本当に感謝しかないです。

――今日は長時間のお話ありがとうござました。最後に23年の抱負や告知がありましたらお願いします。

飯田:近いところでいいますと3月4日に「クランチロール・アニメアワード2023」( )というイベントがありまして、これまではアメリカでおこなわれていたのですが、7回目となる今年は初めて日本で開催します。ファンによる人気が高いアニメシリーズ、キャラクターやクリエイターの功績を称える授賞式をするという内容で、司会はジョン・カビラさんと、声優の天城サリーさんが担当されます。投票も1月19日から25日の間に行われます。
 個人的にもとてもワクワクしているイベントです。日本のアニメファンや業界の皆さんにも注目していただけたらうれしいです。

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