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ニュース 2026年8月13日(木)18:00

東映アニメーション作品をみよう!(1) 東映動画のアルチザンたちを論ずるために(木村智哉)

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日本の主要なアニメーションスタジオ、東映アニメーションが誕生して今年で70年となる。この夏、国立映画アーカイブで開催中の上映「フィルムでみよう!東映アニメーション」に合わせ、3人による特別寄稿で東映アニメーションとそのスタッフの仕事、作品の魅力に触れていきたい(全3回)。


第1回:東映動画のアルチザンたちを論ずるために:西沢信孝論の試み(木村智哉)

はじめに

本稿では、国立映画アーカイブでの企画上映に際し、一人の監督の仕事を取り上げて論じたい。「銀河鉄道999」、「パタリロ!」、「SLAM DUNK」、「勝負師伝説 哲也」など多数のテレビアニメでチーフディレクターを担当し、後年にはプロデューサーも務めた西沢信孝の作品群である。では、なぜここで西沢に注目するのか。
 東映アニメーション(以下・東映動画)の人と作品を論じるときには、しばしば一定の傾向が見られる。ひとつは、後にスタジオジブリの監督として知られるようになる、宮﨑駿や高畑勲らが関わった作品群を中心に扱うことであり、もうひとつは著名なキャラクターたちが登場する作品を次々と取り上げることである。しかしそこでは、通貫的な歴史の中で、多様な作品やその制作者たちを捉える視点が極めて弱くなる。
 今回の企画上映では、毎日映画コンクール音楽賞を受賞した「少年ジャックと魔法使い」、パロディ精神に満ちた「アリババと40匹の盗賊」などの作品や、芹川有吾、勝間田具治といった演出家たちの仕事にも光が当たって欲しい。また、1980年前後にアニメ業界へ参入した貝澤幸男や佐藤順一、芝田浩樹、西尾大介、山内重保らの作品にも目が向けられていいはずだ。
 加えて、これらの人々の間に挟まれた世代の監督については、論じられる機会自体が未だ少ない。1964年に演出助手として東映動画に社員採用された西沢は、その一人である。
 西沢はテレビシリーズ「ハッスルパンチ」で演出家デビューし、1970年代中葉からは、「東映まんがまつり」での複数本立てプログラムのために用意される30分~1時間程度の劇場作品も手がけるようになった。しかし、たとえばアカデミー長編アニメーション賞がかつては70分以上の作品を対象としていたこと、また西沢がテレビアニメやそのスピンオフ作品、あるいはマンガ原作の作品を多く手がけてきたことなどから、その業績は近年まで「作家」として評価するための基準と距離があったともいえる。
 にもかかわらず筆者は、何よりこうした人々の業績にこそ、商業アニメーションの表現を支えてきた気骨と感性を見出している。芸術としての映画の評価の枠組みとは別に、限られたリソースの中で最大の効果をあげようと尽力するその姿勢は、あるいは「アルチザン」のものかもしれない。しかしまずはそれでも良い。そうした仕事を通貫的に見て評価することからしか、商業アニメーションを論じることは始められないはずだからである。本稿は西沢信孝の術を探ることを通して、商業アニメーションとその作り手をいかに評価しうるのか考えてみたい。

2つの劇場作品:「マジンガーZ対暗黒大将軍」と「世界名作童話 白鳥の王子」

マジンガーZ対暗黒大将軍」では、カメラワークにより特定の対象へ観客の注意を向けさせるショットを繰り返し見ることができる。たとえば冒頭、ボスたちは海辺の廃工場でグレートマジンガーと予言者の姿を目撃した直後、強烈な雷光で気を失う。そこで一度ホワイトアウトした画面は、次に工場の天井近くに取り付けられた滑車のアップへと切り替わり、続いて地面に倒れ伏したボスたちへと再フォーカスされる。これはボスたちの受けた衝撃を、観客に視覚から追体験させる演出だろう。
 人物から事物へと焦点が切り替わるシーンもある。光子力研究所が襲撃を受けたとき、甲児の弟であるシローを捉えたカメラは、次に手前の箱へと再フォーカスされる。この箱にはシローが兄に渡すためのプレゼントが入っており、彼はこの後、崩れる所内からそれを持ち出そうとして重傷を負うことになる。先述のカメラワークは、その展開を暗示して注意を向けさせるためのものなのである。
実写ならばありふれたこうしたカメラワークを、アニメーションで表現するためには、多層式撮影台の上に、複数の素材を立体的に配置する必要がある。こうしたマルチプレーンカメラの機能は一般的に、空間的な奥行きを表現するために用いられる。だがここではむしろ、作中へと観客の視線や心情を没入させるために用いられていることが目を引く。兜甲児とマジンガーZの苦戦は、このようなドラマパートの演出の積み重ねによっても、盛り上げられていくのである。
 一方で文部省特選をとった「世界名作童話 白鳥の王子」は、「マジンガーZ対暗黒大将軍」とは対照的な、おとなしい作品に思えるかもしれない。しかしここにも、アニメーションならではの大胆かつ繊細な演出を見出すことができる。
 兄たちを白鳥に変えられたエリザは、その呪いを解くために誰とも口を利かず肌着を編み続け、そのために魔女とみなされて火刑台に引き出されてしまう。この火刑のシーンでは、劇伴を一切廃した緊迫感の中、十字架に繋がれて真っ直ぐに空の向こう――すなわち観客――を見つめ涙を流すエリザの姿、編んだ肌着を丁寧に畳んで編み棒とともに籠へとしまう仕草の枚数をかけたカット、鐘や太鼓の音、そして炎にまかれた彼女の憂いに満ちた表情などが、静かに積み重ねられていく。
 そこへ響き始めた劇伴とともに、白鳥たちが飛来する。エリザが肌着を投げると、それをまとった兄たちは一人ひとり人の姿へと戻り、その周囲を無数の白い羽が雪のように舞い散る。火刑の火は、その無数の羽によって治まるのである。
 羽によって火が消えるなど、本来ならばありえないことだ。しかし本作では、緊迫感ある演出の先に解放感をもってそれを描くことで、その奇跡を受け入れさせることに成功している。できる限りの手段を用いて観客の感情を劇中へと引き込む演出術には、「マジンガーZ対暗黒大将軍」と共通のものがあるのではないだろうか。
 なお、本稿では紙数の都合で割愛するが、それは「パタリロ! スターダスト計画」での、土田勇による幻想的な背景美術を活かした画面構成にも、うかがうことができることを付記しておきたい。

OVAという領域の中の「湘南爆走族」

「湘南爆走族」は、テレビ放送や劇場公開を経ることなくアニメのビデオソフトをダイレクトに販売する、オリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)としてリリースされた作品である。OVAはしばしば「メカと美少女」的な側面が特筆されがちだが、未だアニメがゴールデンタイム放送の花形であった時代、テレビで取り上げにくい不良・ヤンキーものもまた、レンタルビデオ店を主な市場として、その一ジャンルを形成していた。
 ただし本作については、息子を通じて読者だったという西沢も、そしてプロデューサーの栗山富郎も、それが青春劇であるという共通見解を持っていた。したがって作中でも、ケンカのシーンはカメラを引いた、どこか哀愁を感じさせる描かれ方になることが多い。こうした認識は原作者の意図とも一致しており、𠮷田聡はOVA版に高い評価を与えている(※1)。
 かといってこのOVAは、原作を全く変えず落とし込むようなことはしていない。第1巻「湘南爆走族―残された走り屋たち―」は、いくつものエピソードの中から特に表題作を選んだものである。前半には湘爆メンバーや津山よし子らメインキャラクターの紹介を盛り込みつつ、後半では交通機動隊員・桃山勘介の出番を極力削り、「横須賀ハッスルジェット」の解散式をめぐるドラマが中心に描かれる。
 映像面での独自の見所も多い。冒頭では、作中で江口が「最高だ」と言う、薄紫色に染まった早朝の海岸線をバイクで走る光景が映し出される。POVから俯瞰、ローアングルと大きくカメラ位置が移動する中で、道路の白線や空の雲、防風林などの背景動画により醸し出される独特の視覚効果は、本作の開幕を強く印象付ける。
 一転して本編内では、湘南の空が鮮やかな青で表現される。それは同時代の、わたせせいぞうによるグラフィックデザインを彷彿とさせるものだ。その鮮やかさは、ハッスルジェットのリーダー真紫準が語る解散理由、すなわち米軍基地の街・横須賀で、夜学と工員の二重生活をしながらの走り屋では「夢想」はできないという灰色の世界観と対照的で、江口との「考え方の違い」を示しているようにも見える。
 何より終盤、様々なキャラクターたちの思惑の末に行われる公道レースの後、波止場に残された真紫のバイクと静かに響く波の音、そしてそれに続いて水平線から昇る太陽とともに流れるエンドロールは、さながら一本の長編映画を見終えたような強烈な満足感を与えてくれるはずだ。
 「残された走り屋たち」は、東映Vシネマがリリースされる前の作品でありながら、破格のヒット作となった。翌年には実写映画版「湘南爆走族」が、「スケバン刑事」や「ビー・バップ・ハイスクール」と連続して公開されていることを考えれば、本作は東映本社の「不良性感度」路線と混交し合いながら、グループ全体の経営戦略を強力に後押しする力を持っていたと言えるだろう。
 一方で「湘南爆走族」のOVAシリーズは、劇場映画ともテレビとも違う、この媒体特有のマニアックさを含んでもいた。第1巻の時点で西沢は、「原沢の初恋」も扱いたかったと述べていたが(※2)、これは2巻「1/5 LONELY NIGHT」で、表題作と組み合わせてアニメ化されている。また栗山も、「地獄の軍団」のリーダー権田二毛作をメインにした話を撮りたいと語っていたが(※3)、第3巻「10オンスの絆」では、まさに彼を主人公としたエピソードが描かれるのである。
 権田は「残された走り屋たち」でも「1/5 LONELY NIGHT」でも「10オンスの絆」でも、人間らしい弱みを見せることで極めて魅力的に映るキャラクターである。「湘南爆走族」のOVAは、このような原作の様々な魅力を1巻ごとに取り上げていく傑作エピソード集としての側面も持っている。
 このとき西沢たちスタッフには、まず彼らが「湘爆らしい」と考えるストーリーを選びだし再構築するという、一種のファン精神が宿っていたように思える。そこにはOVA草創期特有の、マニアックさと結びついた自由さの一端が見られるのではないだろうか。

おわりに

「湘南爆走族」の後、東映ビデオは、「BE-BOP-HIGHSCHOOL」や「新歌舞伎町ストーリー 花のあすか組!」など、同路線のOVAを次々とリリースしていく。そこでは有迫俊彦や角銅博之、そして「残された走り屋たち」の助監督でもあった梅澤淳稔ら新進気鋭の演出家たちが、同年代のスタッフらとともに新鮮な感性を発露させることになる。たとえば「BE-BOP-HIGHSCHOOL」1巻で、蹴り上げられた缶からこぼれる液体のグラフィカルなエフェクト表現は、鮮烈な印象を与えてくれる。また、「花のあすか組!」で描かれる新宿歌舞伎町の、黒バックに色とりどりのネオンが浮かぶ背景美術は、梅澤が後にシリーズディレクターを務める「GS美神」のオープニングを連想させるものだ。テレビ以上劇場未満というOVAの領域は若手監督の登竜門として、東映動画のアルチザンたちの技巧と感覚とを、着実に育んだはずである。
 それゆえ、ある種のマニアックさを含んだ領域であっても、先述のような映画的満足感を与えてくれる普遍性を、そこには見出すことができる。西沢信孝のフィルモグラフィは、その系譜を見直すための指標ともなってくれるはずである。
 ジャンルを問わず、企画意図や観客層の深い理解と適切なリソース配分の上にエンターテインメントを作り上げるその仕事ぶりは、まさに一級のアルチザンと言って差し支えない。映画を芸術として評価する基準がどうであれ、映画そのものはそれより先に存在する。今回の企画上映が、東映動画の数々のアルチザンたちの手腕を確認し、再評価する場となることを願ってやまない。

●木村智哉
開志専門職大学アニメ・マンガ学部教授。専門はアニメーション史、メディア産業史。著書に「東映動画史論:経営と創造の底流」日本評論社.2020.

※1 「湘南爆走族 Blu-rayコレクション Vol.1」付属解説ブックレット、東映ビデオ、2014年、p.20。
※2 「湘南爆走族~残された走り屋たち~スーパーライブ オリジナル・アニメ設定資料集」少年画報社、1986年、p.81。
※3 前掲「設定資料集」、p.93。

作品情報

銀河鉄道999(TVシリーズ)

銀河鉄道999(TVシリーズ) 17

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