スマートフォン用ページはこちら
ホーム > ニュース総合 > 東映アニメーション作品をみよう!(2) 大川博 その先見性と苦悩(津堅信之)

ニュース 2026年8月18日(火)18:00

東映アニメーション作品をみよう!(2) 大川博 その先見性と苦悩(津堅信之)

イメージを拡大

日本の主要なアニメーションスタジオ、東映アニメーションが誕生して今年で70年となる。この夏、国立映画アーカイブで開催中の上映「フィルムでみよう!東映アニメーション」に合わせ、3人による特別寄稿で東映アニメーションとそのスタッフの仕事、作品の魅力に触れていきたい(全3回)。


第2回:大川博 その先見性と苦悩(津堅信之)

大川博。1956年7月創業の東映動画(現・東映アニメーション)の設立者であり、初代社長。日本初の本格的で集約的なアニメスタジオのトップとして、1971年8月17日に74歳で没するまでの約15年間、君臨した。
 また、東映動画創業に先立つ1951年4月、大川は、日活、東宝、松竹、大映に次ぐ大手5社目の映画会社として設立された東映の、やはり初代社長に就いた。
 大川博の名と、以上のような外見的なプロフィールは、古いアニメに詳しいファンであれば知っている。とりわけ、「東洋のディズニー」を目指したとされる東映動画が初期に制作した長編アニメ「白蛇伝」「わんぱく王子の大蛇退治」「太陽の王子ホルスの大冒険」など、どの作品にも冒頭のスタッフ一覧で「製作・大川博」と大書される。
 しかし、実のところ大川博とはいかなる人物なのか。熱心なファンであっても、答えられる者は少なかった。私自身も高校生の頃――年代でいえば1980年代半ばであるが――には、スタジオジブリが設立されて、宮﨑駿、高畑勲らが東映動画出身だというつながりから、東映動画の初期作品を見て、大川博の存在と名を知った。

東映動画の親会社に相当する東映が設立された1950年代は、文字通り映画の全盛期だった。先行する映画大手4社は競って作品を制作し、観客にアピールしていた。
 後塵を拝する形になった東映、そして大川博が注目したのが、子どもの観客である。
 当時、続々と公開されていたディズニーの長編アニメの興行が好調で、観客としての子どもはいたが、映画館という場は、まだまだ大人の娯楽場という認識が強い時代でもあった。したがって、子ども向け映画というものは少なく、子どもが映画館に行くとすれば、両親など保護者に連れられて一般の劇映画を一緒に見る、というのが普通だった。宮﨑駿は映画好きの父親に連れられて「毎週見にいっていた」と回想しているし、その宮崎アニメの音楽を数多く担当した作曲家・久石譲も、高校教師だった父親の補導の担当場所が映画館だったということで、父親とともに映画を年間約300本見たという。
 こうした中で、大川博が注目したのが、子どもの観客、そして自社の映画の海外輸出だった。
 まず大川は、子ども観客向けの映画制作に乗り出す。それが、中村錦之助や大川橋蔵、東千代之介ら、いま風にいうとアイドル俳優が主演する時代劇映画だった。子ども向けを意識して、わかりやすくスピーディな物語、上映時間も40~50分と短かった。「東映娯楽版」と称された、これらの活劇映画は、年少の観客を熱狂させたが、他社の映画関係者の反応は冷ややかだった。映画本来の格式も重厚さもないと揶揄されたが、大川は聞く耳を持たなかった。
 そして、海外輸出を目的の一つとして大川が注目したのは、長編アニメだった。
 戦後の日本映画界にとって、自社映画の海外輸出は夢だった。しかし、言葉や文化の壁が認識されて、なかなか軌道に乗らなかった。そこで大川は、漫画映画(長編アニメ)なら「無国籍」なので海外輸出に向いている、と考えたのである。
 大川の考え方の是非はともかく、映画の海外輸出を目指して東映動画を設立したのは確かだし、大川の視野には、東映娯楽版のヒットで実証した子ども観客の存在もあったはずである。子ども向け長編アニメはディズニーしかなかった当時、東映動画の長編アニメの観客も、ターゲットは子どもだった。

子ども観客の発掘や海外輸出について、他社は少なくとも戦略的ではなかった。大川博は、そんな領域に足を踏み入れたのである。
 それ以外にも、「予算即決算主義」という映画製作費の基本的な考え方の徹底、そして当時映画界から敵視されていたテレビに注目して、テレビ放送局・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)を設立した。大川の直接の関わりはないものの、東映が制作し、1971年からNET系列で放送が始まったのが、特撮テレビドラマの金字塔「仮面ライダー」である。
 東映の傍系にあたるプロ野球球団・東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が、強打者・張本勲を擁して初の日本一のタイトルを獲得(1962年)した際の球団オーナーも大川博だった。大川の先見性を述べれば、両手に余る。
 そうした中で、東映動画の歴史や長編アニメが取り上げられるのは、ほぼ常に、制作者側、つまりアニメーターや演出家らの立場からだった。制作者たちの創作性や苦労があり、それと対峙するかのような経営側があるという構図である。
 特に、大川博が社長の座にあった1960年代は、東映動画の組合活動が活発だった。そこでは、制作者たちが自身の権利を守り、向上させ、それを作品制作へ昇華させようとする組合活動の結果としての長編アニメ群、というストーリーができあがる。大川博は、東映や東映動画の制作陣から見れば「敵」だった。
 映画業界にかかわらず、労働者(制作者)と経営者が対立するのは、ごく一般的である。しかし、東映動画史では、制作者たちが一致団結して理想を掲げ、経営側の理不尽な方針や要求に屈することなく長編アニメを制作してきたという武勇伝が強調される。
 私は常々、そうした「不公平性」に疑問を感じてきて、10数年前から、大川博について調べ始めた。東映動画が制作した数々の作品の意義を論じるならば、設立者であり経営者だった大川の歩みを示して、東映動画の歴史的位置づけを多少なりとも立体化する必要があると考えたからである。
 すると、大川本人の自伝が2冊あり、また周辺スタッフの回想録もあった。なにより、社長職にあったことから、週刊誌など一般の雑誌類を含めて、大川へのインタビューが膨大に残されていた。そして、大川に実際に接した映画制作関係者や、ご遺族からもお話しを聴いた。
 これらの成果は、評伝「日本のディズニーを目指した男 大川博」(日本評論社)としてまとめることができた。

大川博は、経営者としての苦悩も抱えていた。設立後から飛ぶ鳥を落とす勢いで発展してきた東映だったが、日本の映画界は1958年をピークに観客動員数が下がり始め、数年で半減するほどの不況期に入った。
 業績を回復しようと、大川はさまざま手を打ったが、あまり功を奏することはなかった。東映のバックについていた東急グループとの関係も悪化し、テレビやプロ野球など関連事業でも問題が相次いだ。
 大川博は、いわゆる「ワンマン社長」である。同時に、ワンマン社長ならではの名声を獲得し、かつ苦悩を抱えたのも大川だった。
 ただ、東映動画は、大川他界後の大規模な合理化・人員整理など混乱を経ながらも、現在まで、日本を代表するアニメ制作スタジオとして存在感を維持し続けている。宮崎駿や高畑勲など、やはり日本を代表するアニメ制作者も数多く輩出した。
 大川他界後、東映動画の合理化を断行したのが、東映の二代目社長・岡田茂である。岡田は当時の東映動画について「つくればアカ(赤字)が出る。食ってはいけない。(中略)良心などといってはいられませんよ」と慨嘆した。
 しかしその岡田茂は1996年、東映動画設立40周年のパーティー会場で、関係者に「動画を作った大川さんは、やっぱり偉かったなあ」とつぶやいたという。「日本映画界のドン」とまで称された岡田茂でさえ、合理化断行後の日本アニメ界を予測できなかったのだろうが、岡田は結果としてのアニメ隆盛と、その源流の一つを作った大川博の業績を認めたのである。

大川博の評伝を刊行してまもない頃、取材調査中にお会いした東映動画の元経営者から「会わせたい人がいる」と、ご連絡をいただいた。指定された喫茶店に出向くと、大川博社長時代の東映に在籍していた人物がいらっしゃった。その方は、拙著を読んでおられて、「面白かった。自分と同時代の話だから」とおっしゃりながら、私に拙著を手渡した。見ると、拙著には付箋がびっしりと貼りつけられている。拙著の中で、疑問のあるところ、また異論を付箋に書きつけていたのである。
 同時に、多くのお話しを伺ったが、大川博について、また別の視点がさまざまあり、刊行前にお会いしたかったなあと思うことしきりだった。
 もっとも、付箋に何が書かれているのかを見るのが怖くて、持ち帰った拙著はほとんど開いていない。
 幸い、ここ20年くらいで、東映動画をはじめとする日本のアニメ史に興味をもつ若い研究者が増えた。戦時中など、研究対象年代やテーマにやや偏りはあるが、1970年代から80年代にかけても、そろそろ細かい調査や記録を行わないと、貴重な史実が埋もれてしまう。
 その研究では、東映、東映動画、そしてテレビ朝日が制作してきた作品が、限りなく重要な現物資料になる。そして研究を続けていけば、拙著に貼りつけられた数多くの付箋が、1枚1枚剥がれていくことになるのだろう。

大川博の主要な自伝、評伝は下記の通り。

・大川博「この一番」東京書房,1959.
・大川博「この一番の人生」実業之日本社,1963.
・ダイヤモンド社「歴史をつくる人々 東映社長大川博 真剣勝負に生きる」ダイヤモンド社,1967.
・大路真哉「大川博半生記  東映王国を築いた」政経日報社,1958.
・岸松雄「偉大なる青雲  闘魂と努力の経営人 大川博伝」鏡浦書房,1965
・日経新聞社「私の履歴書 大川博」日経新聞社,1959(新聞連載、再録書あり).

●津堅信之
アニメーション研究者。デジタルハリウッド大学特任准教授。専門はアニメーション史。近著は「日本アニメ史」(中公新書)、ほか著書多数。

作品情報

白蛇伝

白蛇伝 0

白蛇の精白娘は、幼い頃かわいがってくれた許仙のことが忘れられず美しい娘となって彼の前に姿をあらわした。二人を手引きするのは、魚の精の少青。たちまち、二人は恋に陥ってしまう。しかし、このことはたち...

アニメ映画・OVA情報TOP 作品情報TOP イベント一覧

特集コラム・注目情報

イベント情報・チケット情報

関連するイベント情報・チケット情報はありません。

イベントカレンダーへ

  • 新着イベント
  • 登録イベント

Check-inしたアニメのみ表示されます。登録したアニメはチケット発売前日やイベント前日にアラートが届きます。