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特集・コラム 2026年3月21日(土)19:00

【編集Gのサブカル本棚】第57回 「負動産」になりつつある蔵書の価値

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昨年10月に「現代ビジネス」で掲載された記事「約2万冊の大半が『ゴミ』に…知の怪人・荒俣宏が蔵書を処分して感じたこと」(初出は「週刊現代」/https://gendai.media/articles/-/158888 )が愛書家のあいだで話題になった。作家・博物学者として知られる78歳の荒俣氏が、終活の一環で2万冊の蔵書を整理した経緯を赤裸々に語ったものだ。蔵書の約半分は、ミュージアムや海外の古書業者に引き取り・買い取りしてもらえたものの、残りの約1万冊は古本屋から引き取りを拒否され、最終的に産業廃棄物として処分することになったそうだ。
 荒俣氏は、70年以上かけて蒐集した貴重な稀覯本ですらゴミとなって運ばれていくのを見送るのは「心が引き裂かれるような思い」で、蔵書を処分した経験を通して「肉体が死ぬ前に、精神的な『死』を迎えるなんて、思ってもみませんでした」と振り返っている。
 蔵書の約半分はあてがついたのだから、「約2万冊の大半が『ゴミ』に…」の見出しは煽りすぎな感がある。それでも、日本有数の蔵書家として知られる荒俣氏ですら、その蔵書の半分は値段がつかず捨てるしかなかったという厳しい現実に筆者自身ショックを受け、とても考えさせられた。

本は「負動産」?

本に限らず自身のコレクションがある人は、できることなら自分がこの世からいなくなってもそれらを誰かに継承して大切にしてもらいたいと考えていると思う。けれど、いざ売却しようとすると自身が考えているよりも市場価値がないことが判明し、その多くは持ち続けるかゴミとして処分するしかないことが分かる。一度でも自分のコレクションを売ったことがある方は、そのことを実感しているはずだ。
 「開運!なんでも鑑定団」で高額査定された美術品も、いざお金に換えようとしたらそのほとんどが鑑定金額の何分の1かにしかならないはずで、結局のところ買い手がいないと値段はつかない。本の買い手や引き取り手が見つからないのは、寂しいことだが、それらを引き継ぐ先がない=必要とされていない現状のあらわれなのだろう。
 かつてはどの家庭にも置いてあった百科事典や、愛書家が本棚にずらっと飾っていた文学全集などが、古本屋のワゴンやブックオフの格安コーナーで数百円で投げ売られているのをよく見かけるようになった。古本屋のワゴンに並んでいるのはまだいいほうで、買い取られたものの最終的には店頭に並ばず、処分されている本も多くあるはず。貴重な本やコレクションは図書館、博物館、大学などに寄贈してなんて話も現実的ではなく、そこまでの余裕がない施設がほとんどだろう。
 バブル経済期のリゾートマンションなど、所有するだけで負債となって処分も困難になる不動産のことを俗に「負動産」と呼ぶ。本にも同じ側面があって、値段がつかないのはもちろんのこと、まとめて処分しようとしたら逆に多額の費用がかかってしまう。
 荒俣氏の談話が身につまされたのは、私事で恐縮ながら父が昨年4月に急逝して(享年81)、筆者自身が「処分する側」に立ったことも大きい。木版画の仕事をしていた父は典型的な「捨てられない人」で、実家は木版画の道具を始め、大量の紙や木材、書籍などが仕事部屋だけでなくリビングや玄関にまであふれている状態だった。江戸時代の製法でばれんを制作したり、木版画に関する本を自費出版したりするなど、門外漢の身からみても父の遺品には価値が分かる人にはそれなりに貴重なものもふくまれているようだが、残された母からすれば日常生活を圧迫するゴミでしかない。週末に実家に行って少しずつ整理しながら処分し、その一部を父の木版画仲間に譲るなどしているが、約1年たった3月現在でその半分も整理・処分できていない。
 当人が死んだら大半の所有物は無価値となり、そのほとんどはゴミ=負債となる。頭では分かっていたつもりだが、父の遺品を片付けながら自分の蔵書もいつかは誰かにこのように処分されるのだろうと実感し、そのためにできることはしておいたほうがいいのかもしれないと考えるようになった。

漫画本の価格上昇

筆者の場合、とりあえず漫画を減らせば蔵書がだいぶスッキリする。特に何十巻と続くシリーズ物はかさ張るので、これまでも引っ越しのたびに漫画を優先して処分してきたが、その後も面白い作品に出合うとまとめて購入したり(処分したものを買い戻すことも)、連載物は定期的に最新刊を買ったりすると、あっという間にけっこうな分量になってしまう。
 電子書籍に切り替えればいいのだろうが、本コラムの第27回「紙の本を買う意味」(https://anime.eiga.com/news/column/editor_bookshelf/118816/ )で書いたように、筆者は紙の本原理主義者で、漫画についても基本的には紙で読みたい。同じコーラでも、ペットボトル、缶、瓶、コップで飲むと味が違うように、単行本や雑誌を手にもってページを捲りながら読むのと、ウェブやアプリで読むのとでは、現状の技術ではまだまだ体験そのものが大きく異なると考えているからだ。また、電子書籍に切り替えると積読し放題で、別の意味で歯止めがきかなくなりそうだという不安もある。紙の本は場所をとるが、物理的に歯止めがきくのはメリットでもあると思っている。
 以前は漫画喫茶で読める類の漫画は手元におかないという自分ルールをつくり、読んだらまめに処分するようにしていた。そんな漫画喫茶もコロナ禍を経て店舗数が急速に減り、常備される漫画本も絞られるようになった。これではいざ読みたいと思ったときに手元にないと、もう一度買い直さなければいけなくなる。
 紙の漫画単行本の価格も近年急激にあがり、B6サイズの青年漫画単行本がそろそろ1冊1000円を超えてもおかしくないぐらいにまでなった。物価高の影響に加えて、もともと薄利多売で価格が低く抑えられていた紙の単行本が売れていないからだと思われ、部数が少ないから価格が上がる、買い控えられて更に部数が減る、というスパイラルに陥っているようだ。実際、数年前の漫画本を買おうと思ったら新刊はとうに品切れで、中古で数千円のプレミアがついていることもあった。そんなことを考えると漫画も処分できなくなってくる。

蔵書一代

どんな本も一代限りで本人の手元を離れ、古本屋などを介して別の人間に渡っていく「蔵書一代」という言葉がある。ただ、媒介となる古本屋も減少傾向にあり、これまで以上に散逸する本が多くなっていくことは想像に難くない。
 音楽や映像は、ご存じの通りすでに配信が主流になっている。音楽を聴くためにCD、映像を観るためにDVDやブルーレイを買う人はコレクターとしても減少の一途をたどっており、筆者の仕事の分野でいうと、最近のテレビアニメは映像ソフトがまったく売れず、ソフトを発売しない配信オンリーの作品も増えてきている。
 多くの娯楽がスマホで楽しめ、手元に物をおかないのが当たり前になりつつある現在、蔵書やコレクションは時代に逆行した、かなり贅沢な趣味になってきているということなのだと思う。その現実を踏まえて、愛書家はそれぞれのやり方で蔵書と付きあっていくしかないのだろう。(「大阪保険医雑誌」25年12月号掲載/一部改稿)

※「d-lab gallery」(埼玉県入間市豊岡5-2-15 101)にて開催中(3月19~29日開催/24、25日は休廊)のグループ展「木版画の世界 描く 彫る 摺る」にて、父・五所菊雄の版画が展示中です。

五所 光太郎

編集Gのサブカル本棚

[筆者紹介]
五所 光太郎(ゴショ コウタロウ)
映画.com「アニメハック」編集部員。1975年生まれ、埼玉県出身。1990年代に太田出版やデータハウスなどから出版されたサブカル本が大好き。個人的に、SF作家・式貴士の研究サイト「虹星人」を運営しています。

作品情報

帝都物語

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明治40年。実業家・渋沢栄一が中心となり、天皇家のアドバイザーを務める土御門家の陰陽師・平井保昌らが加わって、帝都東京を軍事的のみならず霊的にも世界最強の都市に改造しようという秘密計画が進められ...

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