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特集・コラム 2024年11月1日(金)19:00

【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第54回 国境と半世紀の時を越え、人を動かす情熱のアニメ

「ボルテスV レガシー」

「ボルテスV レガシー」

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今回は映画「ボルテスV(ファイブ)レガシー」(以下「レガシー」)の公開を契機に、原点であるテレビアニメ「超電磁マシーン ボルテスV」(1977)(以下「ボルテスV」)について歴史的意義を語り、そこに込められた情熱を探ってみたい。
 まず映画の成り立ちを確認する。原典となった日本の「ボルテスV」はロボットアニメブームの産物であった。5機の戦闘マシーンが変形合体して巨大ロボットとなり、怪獣的な敵ロボットと戦って異星人の侵略から地球を守る、という仕立ては、その当時の典型と言っていい。
 同作は諸外国にも輸出され、特にフィリピンでは知らない者はないほど有名となったばかりか、1986年2月に起きた革命にも影響をあたえたとされている。深い感銘を受けた同国のマーク・A・レイエス監督たちフィリピンの人々が、自国キャストと3DCGによるロボットアクションでハイクオリティ志向の実写化を実現したのが「レガシー」のテレビシリーズ全90話である。
 原典は全40話なので、2倍以上に増えている。増量の秘密の一端は、第1話と第2話をまとめた映画を見て理解した。ストーリーの骨子はおおむね同じなのだが、戦闘描写やドラマ面がちょうど倍ぐらいに引き延ばされ、詳細化されている。つまりかつてアニメから受けたインパクトの記憶が脳内で膨らみ、いまの表現力で実写やリアル系CGでデコレートし、アウトプットするとこうなるということなのだ。
 その一方で、原典「ボルテスV」がいかに史上大切かつ特異な作品なのか、キーパーソン長浜忠夫監督がどんな人物で何を実現したのか、見聞きする情報から判断するに、認識不足であるようにも思える。なのでこの際、日本のロボットアニメ史と絡め、この実写化の意義を明らかにしていこう。
   ×   ×   ×
 日本でロボットアニメブームが起きたのは、1972年末に放送された「マジンガーZ」からである。74年に入って同作の玩具「超合金」がポピー(バンダイの系列会社)から発売され、大ヒットしたことが70年代のアニメ史を決定づける。その玩具はミニカーに使われていたダイカスト合金を採用、ズッシリと重みがあり、冷たく堅い質感がロボット玩具で遊ぶときの喜びを何倍にもした。これによって、ロボット玩具は新しいステージを迎える。「合金玩具販売」を主目的にしたアニメ企画が続発するようになったのだ。特にいくつかのメカが集合する「合体」、別の形状となる「変形」の2つの「プレイバリュー」が年々、研鑽されていった。
 「ボルテスV」では、5台のボルトマシーンがVフォーマメーションをとって変形し、合体して巨大ロボットになる。その「変形合体」でも、完成度が高い玩具として記憶されている。
 プレイバリューのうち「変形」は80年代、タカラ(現・タカラトミー)のオリジナル玩具が輸出先のアメリカで「トランスフォーマー」として再統合され、アニメ化される。これが2000年代、スピルバーグのプロデュースにより実写映画化されて世界中で大ヒット、現在でもひとつのフランチャイズになっている。その際に「巨大ロボットがもし現実に存在したら」と欧米風リアリズムに基づき、すさまじいディテールが付与された。アニメ版のシンプルなフォルムにパネルラインを数多く入れ、隙間からメカニズムが垣間見えるような方法論である。「ボルテスVレガシー」は、これを応用した作品でもある。
 筆者としては「長浜忠夫監督と富野由悠季監督、2人の交点が歴史的結実として国際化したのか」という点で感慨深い。その理解に必要な流れを重視しつつ解説を続けよう。
 ロボットアニメブーム初期は「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「グレートマジンガー」と、永井豪とダイナミックプロの原作による作品が続いた。当時は「テレビまんが」という呼称が一般的で、「マジンガーZ」は「仮面ライダー」を頂点とする変身ブーム(第二次怪獣ブーム)の中、「テレビマガジン」「テレビランド」など児童向け「テレビまんが雑誌」の看板作品に成長していった。
 やがて玩具メーカーは「玩具発」のオリジナルによるロボットアニメ開発に乗り出す。その第1作が1975年から放送された「勇者ライディーン」である。ポピーで超合金開発の中心人物だった村上克司が、鳥型形態ゴッドバードに変形する玩具ギミックを考案し、メインアニメーターの安彦良和がロボットをキャラクターとしてブラッシュアップした。そして前半2クールのチーフディレクターは富野由悠季(富野喜幸名義)である。制作現場は創映社サンライズスタジオなので、79年の「機動戦士ガンダム」のルーツともされる作品であった。
 「レガシー」はアニメ版「ボルテスV」の第1話と第2話のストーリー展開を驚くほどの細密さで再現している。人物描写については子どもの日吉に危険な訓練をさせず、初の戦いが終わった後には子どもたちと母親の剛光代博士がハグして家族愛を強調するなど、現代風のアレンジが施されている。77年当時の「テレビまんが」は概して2クール(半年)以上放送されるため、初期話数は毎週の放送を安定に回す目的で重要な位置づけにあった。特に第1話は観客をつかみ、視聴習慣を根付かさなければならない。
 「ボルテスV」の総監督は長浜忠夫(詳細は後述)なのだが、第1話の演出は富野由悠季(とみの喜幸名義)なのだ。この「長浜・富野」の2人の「協力と相克」が、ロボットアニメの熱量を高め、進化に導いたと言っていい。
 「ライディーン」に話は戻る。諸事情により後半2クールは富野監督が降板し、すでに「巨人の星」で著名な演出家として知られていた長浜忠夫が総監督に就任することになった。それでも富野由悠季はペンネームを使って各話演出として現場に残り、長浜監督の方法論を身近で吸収しようと考えた。
 長浜忠夫監督の初期作品は東京ムービー(現・トムスエンタテインメント)である。同社は人形劇団ひとみ座の作品をフィルム化する東京人形シネマをルーツとしている。長浜監督はそこで横山光輝原作の人気漫画「伊賀の影丸」を人形劇化している。つまり舞台で演じる人形劇に対し、カット割りを加えて時間と空間を映画的に高めた「テレビまんが」である。そこでテレビ局サイドから「生命のない人形が演出できるなら、アニメも演出できるはずだ」ということになり、おおすみ正秋監督らとアニメ演出家に「人形劇出身」という一派を確立することになったのだ。
 長浜忠夫はひとみ座を代表するNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(65)で、ダイアローグ演出を担当していた。つまり「生命のない人形」を「生きている」と錯覚させるには、セリフ回しが重要ということだ。自身も舞台俳優の経験がある長浜は、アニメの場合もアフレコ前にオールラッシュを流し、自らセリフをアテて尺を調整していたという。「絵から発想しない演出家」として日本のアニメ表現に重要なファクターを加えたのである。
 その「ライディーン」における初仕事は第27話「シャーキン悪魔の戦い」で、敵側司令官のシャーキンを退場させることだった。シャーキンは「仮面の美形キャラ」で、後のシャア・アズナブルのルーツともされる。その回には「巨人の星」を3年半担当し、その長い時間でテレビアニメの表現を根幹から改革した演出家としての姿勢がすでに噴出している。
 長浜演出は「熱いドラマ」とされがちだが、具体的には徹底して主人公をピンチに追いこんでいくことに主眼がある。その設計はかなり構造を論理的に積んであり、「コンフリクトを乗りこえること」というドラマの本質が強く意識されている。そのコンフリクトを最大化させる存在が「ライバル」なのだ。「巨人の星」を振り返れば、主人公・星飛雄馬に設定されたライバルのうち、少年時代から好敵手として立ちはだかる花形満の顔が浮かぶ。その手腕がロボットアニメに持ちこまれたのである。
 シャーキンは長浜発案のキャラではないが、殺したことによって凄まじい反響が起きた。悲劇の最後を迎えたことによって、思わぬ観客層がロボットアニメに存在することが明らかになったのだ。それが77年以後のアニメブームを支えることになる「女子中高生」である。ティーンの女性層にとっては、「悲劇の美男子」こそが王道中の王道、涙を振り絞ってカタルシスを得る存在というわけだ。
 「ライディーン」以後、「ライバルの美形キャラ」が定番化する。76年には「ライディーン」のスタッフが続投するかたちで「超電磁ロボ コン・バトラーV」がスタート。敵側に配置された大将軍ガルーダが、自らの正体に気づかないまま戦わされていたという悲劇が、やはり前半2クールの節目に用意され、またしても大反響を呼んだ。
 数次の手ごたえを得た長浜忠夫監督は、それならば「敵ライバルキャラ」と主人公サイドの間に「究極のコンフリクト」を設定し、1話完結のロボット戦をやりながらも、3クール以上の大河的なドラマ構成をやってみようと挑戦の意欲に燃えた。その核となる存在がアニメ版「ボルテスV」のプリンス・ハイネルなのである。フィリピン版の日本における本格的な展開はこれからなので詳述は避けるが、その「究極のコンフリクト」が「家族」に収斂していく仕掛けは、当時よりも現在の観客のほうがしっくり来るかもしれない。
 長浜忠夫監督が、いかに当時この作品にかけていたか、数々のエピソードが残されている。特に第28話「父 剛健太郎の秘密」では関係各所に調整して「主役ロボットが登場しない回」を実現、それまで謎とされていた主人公サイドの父親と、敵とされているボアザン星人との関係を差別問題に絡めて入念かつドラマチックに、きらびやかに描いた。後に迎える悲劇性を固めるために……。そしてそのエピソードを1人でも多く観てほしいと自費で告知ハガキを作成し、アニメ関係者に拡散したのである。
 「レガシー」のテレビシリーズが全90話になったひとつの理由は、このエピソードを「ボアザン星編」として複数話数でじっくり描いたからだという。「角のある人びとが上流階級として角のない人びとを暴力・武力で支配する」という状況は、最終的には立ち上がった民衆による「革命」へと結びついていく。その部分がフィリピンの人びとの琴線に触れたわけだ。
 最後に私事になってしまって恐縮だが、付記しておく。今回の実写化は「作品を分かってくれる層に向けて、しっかり届ければ響く」という長浜忠夫監督の確信が間違っていなかったことが実証されたと感じ、非常に嬉しかった。劇場で鑑賞したときは、あまりにも「テレビまんが時代」のままなので、聞いてはいたのにあらためて驚き、多少照れくさく、そして画面から放たれる情熱そのものを身体で受け止める体験に対し、懐かしいというよりもむしろ新鮮に感じた。回顧ではなく、新しい挑戦に思えたということだ。もしかしたら同時多発的に、日本を含む各国でそうしたムーブメントが立ち上がっているのかもしれない。
 筆者はちょうどアニメ版「ボルテスV」のころ、長浜忠夫監督と知己を得たばかりか、「アニメージュ」創刊直前に商業雑誌用の寄稿に添える写真を撮影させていただくなど、何かとご縁があった。それなのに革命つながりの「ベルサイユのばら」(79)1クール目の総監督を担当された直後、1980年に48歳で急逝され、残念でならなかった。伝聞で恐縮だが、晩年には「富野監督作品のプロデュースをしてみたい」と語られていたとも聞く。今回述べたような進化をもたらす「協力と相克」に新展開があった可能性を記しつつ、人が世を去っても残り続ける「情熱」とは何か、改めて感じいった。それを深く考察していくことが、せめてもの恩返しかとも思っている。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

超電磁マシーン ボルテスⅤ

超電磁マシーン ボルテスⅤ 0

遠い宇宙からプリンス・ハイネル率いるボアサン星の侵略軍が地球に飛来した。健一をはじめとする剛3兄弟と峰一平、岡めぐみの5人は密かに建造されていたボルテスVに搭乗しボアザン星人と闘う。

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