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特集・コラム 2026年9月1日(火)19:00

【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第65回 真摯な肉体アクションを追求した時代劇アニメ「SEKIRO: NO DEFEAT」

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アニメ映画「SEKIRO: NO DEFEAT」は、斬新な試みに満ちた時代劇の野心作である。映像、作画、美術、演出と全方位的な驚きがあり、激しいアクション感覚に興奮すると同時に情緒的にも満たされる挑戦と調和のバランスが良い映画だ。
 2026年9月4日より3週間限定で劇場公開が予定され、「作画マニアが語るアニメ作画史 2000~2019」(アニメスタイル編集部編、スタイル社)の著者としても知られるアニメーター沓名健一の初監督作品である。原作はフロム・ソフトウェアの人気アクションゲーム「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」(19)で、「NieA_7」(00)、「STEINS;GATE」(11)の監督経験のある佐藤卓哉がそのエッセンスを1本の映画として脚本にまとめた。
 メインタイトルの「SEKIRO」とは主人公の忍者・狼の異名で「隻腕(片腕)の狼」を意味する。「NO DEFEAT」はテーマの「不死」の暗示とともに、勝利するまで戦い続ける主人公の不退転の姿勢を掲げているのだろう。
 原作のゲームは剣を手にした狼をコントローラーで操作し、ステージごとに強敵を倒しながら目標に近づく仕組みだ。映画と共通する時代設定は戦国時代の末期。「葦名」という架空の国の少年・九郎は「竜胤の御子」と呼ばれ、「不死の血」を備えている。主人公の狼は九郎を主君として守るよう指示された熟練の忍びで、剣の腕前と体術に優れている。左腕を失った狼は義手に仕込まれた「鉤縄」を駆使し、切り立つ壁を登り、高所から飛び降りるなど縦横無尽に移動する。この立体感覚も大きな特徴だ。
 狼には不死の能力があたえられ、倒されてもしばし戦闘不能な時間を経て復活が可能だ。戦いに際して相手のHP(ヒットポイント)のみならず「体幹ゲージ」を削り、姿勢を崩させることが肝要だ。この独自の特徴はアニメ版でもつよく意識されている。
 アニメのチャンバラは、ともすればフラッシュやエフェクトを多用したり、現実離れした体術を使うイメージ優先になりがちだが、そうした要素は可能な限り排している。剣戟重心や剣の重みなど実感豊かに描こうとする作画の姿勢に好感がもてる。古武術取材を重ね、体重移動や間合いを会得したというし、実写映画の剣戟でもここまでの迫力は記憶にない。すべての挙動をコントロール可能なアニメでこそ生まれる迫力ではないか。
 アクションと並行して深まっていく九郎との主従関係のドラマには「バディもの」の風合いもあり、全体を貫く大きな魅力となっている。ゲーム版の要素から「不死の本質」「運命に抗うこと」「主従とは何か」を絞り出し、軸にとして1本の映画に再構成したのがアニメ版「SEKIRO: NO DEFEAT」ということだろう。その取捨選択の過程で、ゲームのような巨大な獣や異形の登場は控えられている。結果的として得た高いリアリティレベルのもと、「和の風景」で展開する「狼と九郎」の旅には風情が醸し出されている。
 シーンとシーンの間を大胆に飛ばす、映画的な編集の使い方も想像力をかきたて、味わいを深めている。加えて本作では独自の「画づくり」がこうした「風情」「味」をアニメならではの格別なものへと導いた。ゲーム版はフォトリアル系3DCGを採用しているが、全編2Dの「手描きの絵」に徹底してこだわっているのだ。
 たとえばアニメキャラの輪郭は意図的に全体を「ヨレた線」で統一し、表情なども崩れた表現を採り入れている。デジタル制作以後に標準化された、均一で整ったツルツルの線に慣れた目には新鮮だ。感情の機微や戦いの気迫など、言語化や直截な視覚化が至難な要素を、線そのもののニュアンスを交えながら伝えているのもアニメ的だ。金子雄司によるアナログ手描き背景美術、時に筆目もざっくり残したような描線と色彩が、描線の美学とアクションにマッチして、「日本的な絵で構成された映画空間」が現出している。
 特筆すべきは、すべての要素が「日本の死生観と美意識」に結びついていることだ。事前情報では、もともとゲーム版にあったこれらの要素を重視し、ドラマの「切なさ」に収斂することを目指したとされているが、成功していると感じられる。
 「日本ならではのアニメ」と「アニメ表現を駆使して映画に仕上げる」という2点にこだわりがある筆者には、格別なものだった。特に前者は「時代劇アニメ」の決定版ではないかとさえ思った。
 剣戟中心の時代劇アニメは、白黒放送時代のテレビアニメ「佐武と市捕物控」(68)、「どろろ」(69)以後、数は多くないものの、よく浮上する企画である。この30年ぐらいでも川尻善昭監督の「獣兵衛忍風帖」(93)や安藤真裕監督の「ストレンヂア 無皇刃譚」(07)が、日本よりむしろ海外で高く評価されている。特に前者はハリウッドのキャストやスタッフに大きな影響をあたえ、ビデオセールスも押井守監督の「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」(95)を上回るという説がある(正確な数字は不明だが)。
 2000年代には、Production I.Gの「BLOOD」シリーズのような武装少女もの、噛み砕いて言えば「セーラー服と日本刀」のような企画が切望されていたとも聞く。実際にザック・スナイダー監督は映画「エンジェル ウォーズ」(原題「Sucker Punch」、11)の中でそれを実現している。美少女でなくても「日本刀による流血のバイオレンス」には、エキゾチックで高いニーズが存在すると考えられる。
 米国発祥の「西部劇のガンアクション」は、イタリアにわたって「マカロニウエスタン」となることで流血、残酷描写、道徳的にグレーな世界におけるアンチヒーローなどを描くようになり、世界的な人気を得た。日本発のバイオレンス系アニメには、似たような素養がある。ただし銃撃戦は「飛び道具」だから場合によって卑怯にもなるし、射手と標的には接触がない。それゆえ映画を盛りあげようとすれば、遠距離からの命中精度を競うか、クイック&ドロー、早撃ち勝負となる。
 その点で、日本の剣戟アクションには優位性があると考えられる。日本刀の剣戟は接触しなければ斬れないため、対立軸を描くドラマ構造とも親和性が高い。しかも「斬ったら血が出る」「人体の一部が欠損する」という類の描写は、殴る蹴るのボディアクションに比べて観客に生理的で激しい反応を引きおこす。さらに人気の高い「忍者」のトリッキーで超能力的な活躍を絡ませた「SEKIRO: NO DEFEAT」は、「日本独特のエンターテインメント」として、新しい可能性を拓く挑戦作として、ワールドワイドに注目されるのではないだろうか。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

SEKIRO: NO DEFEAT

SEKIRO: NO DEFEAT 0

時は戦国。雪深い峠を越えた先に、「葦名」という国がある。狼は、葦名の戦場で拾われ、忍の技を仕込まれた熟達の忍びである。狼が仕える少年・九郎は、「竜胤」と呼ばれる特別な血を引く一族の末裔。二人は寄...

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