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特集・コラム 2024年8月12日(月)19:00

【編集Gのサブカル本棚】第40回 「コミティア」と読む行為の大切さ

「COMITIA 149」は8月18日に東京ビッグサイトで開催

「COMITIA 149」は8月18日に東京ビッグサイトで開催

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2月25日に開催された「COMITIA(コミティア)147」に足を運んだ。コミティアが、コミックマーケット(コミケ)のような同人誌即売会と大きく異なるのは、既存の創作物をもとに描くパロディなどの二次創作をあつかわず、オリジナル作品(一次創作)のみが販売されること。また、コミティアでは、「仲間内のというニュアンスを持つ」という理由で同人誌という言葉を使わず、イベントで流通する創作物のことを自主制作漫画誌と呼んでいる。

コミケとの違い

初めてコミティアに参加して感じたのは、会場で新しい作品に出合うのにちょうど良い規模だなということだった。東京ビッグサイトのほとんどの会場を使うコミケと違い、東1・2・3ホールのみを使うコミティアの来場者数は1万5000~2万5000人ほど(公式サイトより)で、混雑具合も、ゆっくり会場をみてまわれるぐらい。会場の中央には各サークルで販売する見本誌が並べられたコーナーが用意されていて、この仕掛けは素晴らしいなと思った。サークルで本を手にとって買わずに立ち去るのは心苦しいが、このコーナーであれば気兼ねせず立ち読みができて、気に入ったらサークルまで買いにいける。実際に見本誌コーナーで存在を知って購入した本もあった。
 コミケはサークル数が多すぎることもあって、買う側は事前に立ち寄りたいサークルをチェックして、そこを見てまわるだけで精一杯となることがほとんどだ。当日ふらっと立ち寄って買うケースは少ないと思われ、売る側からすると事前にいかに情報がいきわたるかが鍵となる。言い方を変えると、作品を認知してもらうための勝負は開場前にすでに終わっている。一方、コミティアでは会場が回遊しやすく、見本誌コーナーで作品をじっくり見ることもできるため、当日会場で新たに出合う作品が多くなる。出展していた知人に聞いたところ、コミケに比べるとスペースでじっくり本を見て買うかどうかを決める読者が多いのだそうだ。これは一度でもコミケで売り子をやった人は頷いてくれると思うが、コミケで長いあいだ本を手に取って読む人の大半は買わないケースが多い(買う人はほとんど見ずに買う)。そんなところも、コミケとコミティアの大きな違いと言えるかもしれないと思った。

描き手や読み手を育てる場

コミティアは今年で40周年をむかえるアニバーサリーイヤーで、「COMITIA 147」ではコミティアの歴史をまとめた証言集「コミティア魂 漫画と同人誌の40年」(フィルムアート社刊)が先行発売されていた。同書にはコミティアが生まれ、今のかたちに進化していった経緯が、漫画や同人誌、やおい文化など周辺分野の事情とともに綴られている。著者のばるぼら氏は、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」などの労作を多数手がけるライターで、「コミティア魂」も細部までいき届いた記述で大変興味深く読ませてもらった。ウィキペディアを適当にまとめたような、がっかりする注釈をつけている書籍も多いなか、「コミティア魂」では著者に深い見識があることが窺える注釈も読みごたえがあって勉強にもなった。京都アニメーションがアニメ化した「日常」で知られる漫画家・イラストレーターのあらゐけいいち氏が描いたユーモラスな漫画と、コミティアへの思いを書いた文章も心に残った。
 ご興味ある方はぜひ同書を読んでいただきたいが、筆者がコミケなどの同人誌即売会とコミティアとの違いでなるほどと思ったのが、コミケ側の証言者として登場した筆谷芳行氏による、「(前略)コミティアのスタッフはみんなが編集者じゃなきゃダメってこと。漫画編集者的にやっていくべきだと思ってた」という発言だった。参加者が入場券代わりに購入しなければならない冊子「ティアズマガジン」には、コミティアで販売された作品が紹介され、開催後には見本誌読書会も開催される。作品が発表されたあとのフォローが手厚いのは、読まれることで描き手のモチベーションが上がり、成長していくことを期待してのことだろう。なんでもありで百花繚乱のコミケも良いなと思うが、コミティアの描き手や読み手をじっくり育てる場としてのあり方にも共感をもった。

消費ではない受容の大切さ

作品は読まれてこそ、映像作品も見られることで初めて完成するとよく言われる。また、現代はSNSや業務メールを中心に、プロアマ問わず誰もが多くの文章を書く時代にもなっている。けれど、肝心の読む行為が、だいぶ手薄になっているのではないかと個人的に感じている。SNSで言われることが多い「日本語が通じない」という言い方には、見出しだけ読んで本文を読まないというケース以外に、そもそも他人の書いた文章の意図が分からない、分かろうとしないという断絶のケースが多く含まれているように思う。
 すべての投稿にインプレッション(表示回数)がつき、自分が書いたものがどれだけ読まれたかが可視化されるSNSの世界は残酷なところもあって、それがすべてだと考えてしまうと精神衛生上よくない。よくこんなに酷い言葉を考えつくなと思う攻撃的な言葉がSNSで生まれがちなのも、自分の書いた文章が、どのように読まれるのかを想像できていないからだろう。書くためのノウハウはたくさんあって、プロ顔負けの文章も世に沢山でているが、それらを正しく読むためのノウハウは意外とないように思う。
 自身を振り返ると、自分の書いた文章を初めてきちんと読んでもらったのは大学時代、文芸研究部に所属していたときだった。部誌が完成したあと、各人が書いた文章の感想を述べる「読み合わせ」という会を行っていた。一応学内に配布はしていたものの、まあ読まれるわけがない部誌でも、最低限部員同士では読んで感想を述べあう。今思うと、けっこう貴重な機会だったなと思う。筆者は参加したことがないが、特定の小説などを課題図書にして皆で語りあう読書会というのもあって、おそらくそこでは人によって作品の読み方がまったく違うことが発見できるのだろう。
 純文学の世界では、雑誌や書籍の部数より新人賞の応募数のほうが多くなる、読み手より書き手のほうが多い逆転現象が随分前からおきていると言われる。発信したい人は多くいて、それを消費する人は多いかもしれないが、受容する人は極端に少ない。これは文章や創作物全般広くに感じられる最近の傾向のように思えて、受容されないと何ごとも残っていかないのではないかと危惧している。話し言葉の分野では、人の話をよりよく聞くためのノウハウ本が最近多くでている印象で、受容の大切さの萌芽は生まれつつあるようにも感じている。
 コミティアの創作の場をつくる試みは、描き手だけでなく、それを受容する読者も一緒に育てていこうという意図が明確に感じられて、足を運んでよかったと思った。(「大阪保険医雑誌」24年5月号掲載/一部改稿)

五所 光太郎

編集Gのサブカル本棚

[筆者紹介]
五所 光太郎(ゴショ コウタロウ)
映画.com「アニメハック」編集部員。1975年生まれ、埼玉県出身。1990年代に太田出版やデータハウスなどから出版されたサブカル本が大好き。個人的に、SF作家・式貴士の研究サイト「虹星人」を運営しています。

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