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インタビュー 2021年1月8日(金)19:00

杉田智和、阪口大助、釘宮理恵の「銀魂」との15年――家族にも似た絆と信頼 (2)

「銀魂」スタート当初の思いとは
葛藤と変化のなかにいた杉田――「すぐそばにはお2人がいてくれて」

(C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会

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アニメ「銀魂」テレビシリーズ第1期がスタートしたのが06年。3人が最初に万事屋としてアフレコをしたのは、05年の「ジャンプアニメツアー2005」だったという。

杉田「ずっと背伸びしたまんまマイク前に立ってました。ちょっとでも力が入ったら転倒していたと思います。そのくらい地に足がついてなかった。『どうしよう、目上の人だらけだ』って。どうして自分の声はこんなに出ないんだろうとか、なんでもっと声がのびないんだろうとか、存在感ってなんだろうとか、結果を出すことばかり考えて焦っていました」

(C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会

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阪口「僕はなんの気負いもなく入れるキャラだったので、ただただ作品のノリと勢いについていくことだけを考えていました。アニメツアーということもあって、演者が楽しくなければ伝わらないと思い、あの状況を楽しむだけだったような気がします。すごく楽しい思い出です」

釘宮「そんなに最初から楽しかったなんて、うらやましいです! 私は『緊張しすぎて空気うすいなあ』『本当に酸素足りてる?』みたいな感じでした(笑)。最初の2、3年はずっとキャラが固まらなくて。オーディションの時に『“いわゆる中国人キャラクター”みたいなしゃべり方にはしないでください』と言われたので、必死に『いわゆる』の真反対をいくように演じていました。最初の頃は大助さんに『本当に神楽でした?』としょっちゅう聞いてた気がします」

(C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会

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釘宮の告白を聞き、思わず「釘宮さんが不安を抱いていたなんて。信じられないです」と驚く杉田。そして、3人が共演した01年放送のアニメ「学園戦記ムリョウ」出演時に抱えていた思いを明かしてくれた。「『学園戦記ムリョウ』の頃から、釘宮さんはマイク前でものすごいお芝居をされるイメージでした。一方当時の僕は、目の前が真っ白になって、自分が何をしているかわからなかった。不安で、つらいという気持ちしかなかった。当時は19、20歳くらいでしたが、『プロでいられない』と感じ、逃げるようにフリーランスという道を選んで。大学生というモラトリアムのなか、親と同じ公務員になる未来も3分の2くらい意識していました」。

「銀魂」の主演に抜てきされてからも、杉田の不安は消えなかったという。

杉田「むしろ不安がピークに達したんです。頂点でした。『まずい! 死んで詫びなきゃ世の中に!』って」

阪口「究極だな!(笑)」

杉田「もう死ぬしかないと(笑)。そのぐらいになってました」

(C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会

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そうした心境は、次第に変化していったそうだが、「これが転機、これがきっかけっていうのは思い出せない」という。だが間違いなく、そこには「銀魂」が、阪口と釘宮がそばにいた――「『銀魂』の現場で一緒になる人達が自分よりも若い世代になってきた時に、『これじゃだめだな』と思って。僕は基本、自己否定から入るタイプですが、自己肯定をはじめないともたないと感じ、徐々に変わっていったように思います。そして、すぐそばにはお2人がいてくれて、そのことに感謝しきれません。いろいろ踏みとどまれたなって」。杉田は阪口と釘宮の存在を「特大のセーフティネット」とも言っていた。

杉田「本当にみんなやさしい。甘やかされてます。僕は絶対に甘えてるんです。否定できないです」

阪口「それは僕もそうだからね」

釘宮「みんなそうですよ」

阪口「杉田くんとくぎみー(釘宮の愛称)にも甘えてるからね。お互い甘え合ってますから(笑)」

釘宮「皆さん、他の現場でも甘えますか?」

阪口「どんな質問だよ!(笑)」

杉田「ぞくっとしましたよ(笑)」

釘宮「どうなのかなと思って(笑)」

作品情報

銀魂 THE FINAL

銀魂 THE FINAL 6

俺の護りたかったもんは魂<ここ>にある――。地球滅亡のカウントダウンが迫る中、かつての盟友である銀時、高杉、桂はそれぞれの想いを胸にひた走る。だが彼らの前に立ちはだかったのは、あまりにも哀しい絆...

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