2021年1月30日(土)19:00
【編集Gのサブカル本棚】第2回 「サイコト」「COCOLORS」の美術に影響を与えた吉田博の木版画
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「サイコトちゃんねる」()がすごい。劇場アニメ「サイダーのように言葉が湧き上がる」(略称「サイコト」/6月25日公開)のイシグロキョウヘイ監督が自らYouTuberとなり、各部署のスタッフにスポットをあてたメイキングを、制作素材をふんだんに使いながら毎週ディープに解説している。企画初期の赤裸々な話から各アニメーターにスポットをあてた作画エピソードまで話題は幅広く非常に面白い。おそらくイシグロ監督が手弁当でやっているのだろう。オリジナル作品をファンに届けるための途方もない労力と、スタッフの仕事を伝えたいという静かな情熱に頭がさがる。
「サイコトちゃんねる」第11回では、美術監督の中村千恵子氏の仕事が紹介され、本作特有の背景美術がつくられた経緯が語られている。フォトリアルの方向ではなく、1枚絵としての魅力をいかした「サイコト」の美術スタイルは空の描き方が特徴的で、雲の輪郭が実線で描かれているのを見ると通常のアニメと違うことがよく分かると思う。美術の方向性には、1980年代のポップカルチャーを代表するイラストレーターである鈴木英人、わたせせいぞうの作品にくわえて、吉田博や川瀬巴水の木版画も参考にしたとイシグロ監督は語っている。
吉田博と川瀬巴水は近代日本版画で「新版画」と呼ばれるジャンルの作家で、精緻な絵柄が特徴。複数の版と30回以上刷ることもある複雑な工程で、繊細な色合いが表現されている。一般的な木版画のイメージとはまったく違っていて、実際に見ると「え、これが木版画?」と驚くはずだ。東京都美術館で吉田博の没後70年展が開催中なので機会があればぜひ実物を見ていただきたい(注1)。
吉田博の代表作「帆船」は、同じ絵柄をもとに朝、昼、夕など時刻の変化にあわせて色彩を変えた連作で、アニメの美術に同じ構図で塗りを変えて昼や夜を表現したものがあるのに近い。また、新版画は1人でつくるわけではなく、版元と呼ばれるプロデューサーのもと、絵師、彫師、摺師の職人による共同作業でつくられる。こんなところも商業アニメとの類似が感じられる。
木版画では、版木を彫って線で囲まれた面をつくり、そこに色をのせた複数の版を和紙に摺って重ねることで複雑な色合いを表現する。これは今のデジタル絵がPhotoshopでレイヤーを重ねたり、アニメの撮影(コンポジット)でフィルターやマスクをかけたりする感覚に近いのではないか。そんなふうに考えて、木版画そのものをモチーフにしてつくった「COCOLORS(コカラス)」という作品がある(注2)。神風動画が自主製作し、2017年に公開された3DCG中編映画で、作中のキャラクターが木版画をつくる描写もある。
「COCOLORS」は縁あって制作中から個人的に取材をしていて、監督の横嶋俊久さん、美術監督の末弘由一さん、世界観設計の橋口コウジさんに何度かお話を聞かせてもらった。横嶋監督もイシグロ監督と同じように吉田博や川瀬巴水の木版画が好きで、通常のアニメでは美術段階で塗りつぶすことになる主線(おもせん/線画を構成する線)をあえていかした背景美術を、3DCGのキャラクターと融合させるチャレンジをしている。主線を画面にだすため、通常のアニメ作品より何倍も手間のかかる背景原図(背景のもとになる線画)のほとんどを橋口さんが1人で描き、その原図に色を塗る作業も美術監督の末弘さん自らほとんど1人で担当した。
新版画に例えると、横嶋監督が版元、背景原図の橋口さんが絵師、美術監督の末弘さんが摺師となって、3人の間でトライ&エラーを繰り返しながら「COCOLORS」の背景美術をつくりあげた。「サイコト」と作品のルックはまったく異なるが、新しい表現をしようと同じ木版画家を参考にしているところに不思議な偶然を感じる。
「サイコト」と「COCOLORS」は、どちらもマスクが重要なアイテムとして登場するところも共通している。「サイコト」のヒロインはコンプレックスの大きな前歯を隠すためにマスクをし、灰に覆われたディストピア世界が舞台である「COCOLORS」のキャラクターは皆フルフェイスのマスクをして顔を見ることができない。両作品ともコロナ禍前につくられた作品(「サイコト」は本来20年5月に公開される予定だったが延期された)で、マスクはディスコミュニケーションを描く役割をはたしている。
またイシグロ監督は、サンライズでOVA「FREEDOM」(2006~08)の制作進行をしていたとき、主線をいかした美術の背景原図制作のために漫画家の人に参加してもらい、この作業がいかに大変なことかは分かっていたと「サイコトちゃんねる」内で話していた。まさに「COCOLORS」の橋口さんが漫画家サイドからの助っ人として「FREEDOM」の原図整理に参加したのが初アニメ仕事だったそうで、クレジットを調べると同じ話数に2人の名前がある。もしかしたらそのとき2人は顔をあわせていたかもしれない。さらに言うと「FREEDOM」のオープニング・エンディングは神風動画代表の水崎淳平氏が制作している――「サイコトちゃんねる」を見てそんな奇縁にも気づけてちょっとうれしくなった。
(注1)3月28日まで開催。「没後70年 吉田博展」公式サイト
(注2)大阪・シアターセブンで2月27日からアンコール上映開始。配信はされておらず長らく劇場でのみ見られる作品だったが、昨年末に待望のブルーレイが発売された。1月30日~3月18日まで期間限定ショップ()で2次受付販売中。くわしくは公式Twitter()を参照のこと。
編集Gのサブカル本棚
[筆者紹介]
五所 光太郎(ゴショ コウタロウ) 映画.com「アニメハック」編集部員。1975年生まれ、埼玉県出身。1990年代に太田出版やデータハウスなどから出版されたサブカル本が大好き。個人的に、SF作家・式貴士の研究サイト「虹星人」を運営しています。
作品情報
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7 回⽬の夏、地⽅都市̶̶。コミュニケーションが苦⼿で、⼈から話しかけられないよう、いつもヘッドホンを着⽤している少年・チェリー。彼は⼝に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた。矯正中の⼤きな前...
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