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特集・コラム 2022年5月7日(土)19:00

【編集Gのサブカル本棚】第14回 「中二病」としてのサブカル≠サブカルチャー

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サブカルと書かれた本を書店で見かけるととりあえず手にとってしまう筆者は、最近サブカルという言葉の使われ方が変わってきたなと感じている。近年はアニメ・漫画・ゲームなどのカルチャーを総称した意味で用いられることがほとんどで、意味合いも総じてフラットな印象をうけるが、筆者が大学時代をすごした1990年代後半頃は違っていた。ネットが普及しはじめたばかりで雑誌や書籍の情報源としての役割が今よりも大きかった頃、サブカルという言葉には蔑称・自虐的な意味合いがあって、サブカル好きを公言するのはちょっとイタい人というニュアンスが自分自身のことを含めてあった。今で言う「中二病」「意識高い系」に近い感じで、ポジティブな文脈で自分から言い出す言葉ではなかったように思う。
 「サブカルチャー世界遺産」(扶桑社刊)によれば、サブカルチャーとは主流文化であるメインカルチャーと対になる概念としての下位文化が元々の意味で、日本に入ってきたアメリカの60年代カウンターカルチャーとの密接な結びつきのなかで根付いた言葉だという。大人に眉をひそめられ公に文化と認められることはないが、若者はその価値を分かって熱狂している。それがサブカルチャーというわけだ。ここからは筆者独自の解釈だが、サブカルチャーを略したサブカルという言葉には、コストパフォーマンスをコスパ、コミュニケーション能力をコミュ力と言うような、もとの言葉を軽薄化させた意味合いがつきまとう。「これは自分にしか分からない」と思いこむ肥大化した自意識、それをちょっと本や雑誌を読んだりイベントに参加したりしただけでインスタントに身につけたいというお手軽な感覚。それらを俯瞰して見て「サブカル(笑)」と自嘲したくなる恥じらいをふくんだ概念が自分にとってのサブカルで、今風の言葉で言えば「こじらせている」に近い。
 人と違うものを見たい・聞きたい・やりたいという貪欲な好奇心、作品や事物そのものだけでなくその副産物や周辺の事象に関心を向ける視点(インタビューや内幕記事を好む)、誰も見向きもしないものを蒐集・体系化して新たな価値をつくりだそうとする行為、物事を違った角度から見ようとする反骨精神(斜に構えすぎるとダークサイドに落ちるので注意)を感じられる作品や人、それらを扱うメディアが自分の考えるサブカルというものだった。サブカルという言葉自体の意味合いは変われど、サブカル的な概念は今もしっかり息づいているように思う。

「オタク」はいなくなった?

メインカルチャーの対立概念としてのサブカルチャーの存在意義は失われて久しい。前述の「サブカルチャー世界遺産」は2001年の刊行だが、約20年前の時点で「サブカルチャーの死」は自明のものとして扱われ、それゆえ「世界遺産」として残そうという趣旨の本だった。筆者がアニメ情報サイトの編集部員として日々接している国内アニメの分野にかぎっても、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」「シン・エヴァンゲリオン劇場版」などのメガヒットによって、サブどころか堂々たるメインとして映画業界を席巻し、出演声優がゴールデンタイムのバラエティ番組に出演する姿もたびたび見かけるようになった。親がアニメ・漫画・ゲームに親しんでいる世代となり、子どもに禁止するどころか自分が親しんだ往年の名作を息子や娘に与えて“エリート教育”をしている話も珍しくない。公の美術館で漫画やアニメに関する展覧会が日常的に行われ、アカデミックな世界で研究・学習も多くなされている。
 ネットが当たり前のものになって以降、アニメにかぎらずどんなマイナーなジャンルも検索すれば何かしらの情報がでてきて、同好の士が繋がることも容易くなった。これはあらゆるジャンルがタコツボ化したとも言えて、誰もが知るメインとなるものがなくなった代わりに、同じアニメでも少しジャンルが違っただけでまるで言葉が通じなくなることもよくある。一方、作品数が増えて選択肢が増えているはずなのに以前よりも中間層の作品のファンが薄くもなっていて、ごく一部の作品のみが注目・ヒットする一方で、まったく話題にのぼらない無風状態の作品が日々生み出されてもいる。
 カードゲーム、プロレス、アニメ・ゲームとエンタメ事業を幅広く展開するブシロード創業者の木谷高明氏に取材したとき、これからのエンタメは「勝ち組感」が大事だと語られていたのが印象に残っている。自分が楽しむものに大切な時間とお金を使うファンは、半年後に話題にならなくなるような作品に“張る”ことは避けたいと思う。だから、皆が知っている「勝ち組」と言われる作品になだれこむ。これは何が面白いのか自分では判断できなくなっている傾向の表れでもあり、木谷氏は「オタクはいなくなった」という趣旨の発言もされていた(編注1)。
 木谷氏が言う「オタク」は、筆者が考えるサブカルの意味に近い。知る人ぞ知るマイナー作品こそを偏愛し、ヒットするような作品は距離をとることが多いのが、自分が考えるオタクやサブカル好きの人の態度だった。最近はファンのことをユーザーと呼ぶことが増え、ファンの多くも自分たちがお客さんである(作品提供者からすれば実際その通りなのだが)ことを良しとする風潮が加速しているようにも感じている。作品との向き合い方も能動的から受動的に変化して、一見能動的に見える行為でさえも、周りの空気を読んだりウケを狙ったりしたものが多いように自分には見える。個人的に好きでなく可能なかぎり使わないようにしている言葉だが、作品のことを「コンテンツ」を呼ぶようになったこととも深く関係しているはずだ。

世間の余剰物としてのサブカル

90年代にダーク系のサブカル出版物を多く世にだしていたデータハウスの鵜野義嗣社長は“すねた本”がウケるのは世の中に余裕があるときだけの「貴族文化」で、生きていくだけで精一杯な今の時代にはそぐわないと近年のインタビューで語っていた(編注2)。何かの役に立ってお金を稼ぐ「コンテンツ」こそが求められ、世間の余剰物としてのサブカルは求められていない。この現状分析は筆者が考えるサブカル的なものが廃れた理由にもあてはまり、個人的には寂しいかぎりだがその通りだと思う。
 そんな状況でも書店の新刊コーナーをのぞくと「これぞサブカル本」と言いたくなる好書を見つけて嬉しくなることがある。また、最近では「ZINE(ジン)」と呼ばれる自費出版物の世界で、深くて面白い内容のものも多い。サブカルにお世話になってきた私自身も、微力ながらそんな情報を発信していければと日々考えている。(「大阪保険医雑誌」22年2月号掲載/一部改稿)

編注1:ブシロード木谷高明氏のエンタメ仕事術(後編) “勝ち組感”をつくるための広告手法
https://anime.eiga.com/news/106061/

編注2:「東洋経済オンライン」「非会社員」の知られざる稼ぎ方 「悪の手引書」編み出した男の強烈なとがり方(聞き手:村田らむ氏)

■転載にあたっての追記
 今回の原稿は、大阪府保険医協会の会員向け月刊誌「大阪保険医雑誌」に寄稿した連載コラムの転載です。同誌では「失われたサブカルを求めて~深掘りしたい日本のアニメ・漫画文化~」のタイトルで連載しています。編集部の方が「サブカル本棚」を読まれたことをきっかけに「サブカル・サブカルチャーをテーマにした連載を」という依頼をいただきました。今後も定期的に転載していく予定です。
 「サブカル本棚」に転載する前提で執筆することを快諾いただいた大阪府保険医協会さんに、この場を借りて御礼申し上げます。

大阪府保険医協会

五所 光太郎

編集Gのサブカル本棚

[筆者紹介]
五所 光太郎(ゴショ コウタロウ)
映画.com「アニメハック」編集部員。1975年生まれ、埼玉県出身。1990年代に太田出版やデータハウスなどから出版されたサブカル本が大好き。個人的に、SF作家・式貴士の研究サイト「虹星人」を運営しています。

作品情報

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 24

炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助が無限列車に乗り込むシーンで終了したテレビシリーズ最終話から繋がる劇場版。

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