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特集・コラム 2024年7月19日(金)18:00

【神風動画20周年コラム―肺魚―】#03 “松本大洋シェーダー”と「一杯のかけうどん」

約半年ぶりに、神風動画代表の水崎淳平氏が私小説風に同社の歴史をつづるコラム最新回をお届けします。本コラムは創立20周年企画の一環としてスタートし、20周年の節目を越えて神風動画の新ロゴも発表されておりますが、本コラムはじっくり続けていく予定です。5月に発表された「ニンジャバットマン」の新作「ニンジャバットマン対ヤクザリーグ」(水崎氏、高木真司氏による共同監督)にも期待が高まる神風動画の貴重なプレストーリーを引き続きお楽しみください。
 第3回では、神風動画のキャラクター表現の基礎となる“松本大洋シェーダー”の誕生、法人化、新たなスタッフの参加と、現在にいたる同社の萌芽期間が、水崎氏の小学校時代の思い出とともに振り返られています。本文中で紹介されている動画「ダンバインSIDE-L」は、「聖戦士ダンバイン」のオープニングとエンディングの映像を最新の技術でリメイクした作品で、神風動画がアニメーション制作、水崎氏が監督を務めています。(アニメハック編集部)


1981年秋
 昆虫大好き少年は“ヤゴ”にハマる。
 トンボの幼生の頃をヤゴと呼ぶのだが、この幼生の時期は完全に水中で過ごし、ヤゴからトンボへと“さなぎ”の期間なく成虫へと羽化して空へと羽ばたく不完全変態の種だ。
 面白いのは生活環境が水中から空へと変わる際、呼吸方法も“エラ呼吸”から“肺呼吸”へと変わる点で、幼生時は水中、成虫時は空中でわき腹の気門から水または空気を取り込んで酸素を得るように変化するのだ。
 ヤゴからトンボへと機能を変える様がとても面白く、後にロボットアニメに登場する“可変機”にはまるキッカケとなったのかもしれない。

水崎のデスクは変形トイばかり

水崎のデスクは変形トイばかり

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ヤゴは小学校の校舎脇の側溝で捕まえた。静岡のそこそこ自然に恵まれた学校の敷地には土のグラウンドも畑もプールもあり、土を掘ってオケラを捕まえるグループもいたが水崎少年はもっぱら側溝でヤゴ派で、授業の合間の休み時間になると教室を飛び出し、すぐ隣の側溝でヤゴを捕まえていた。
 成虫のトンボまでは育てたことがなく、水槽に入れてちゃんとオタマジャクシも与えるのだが何日か経つと死んでしまう。水中にも酸素が必要なのだと小学校低学年の頃は知らなかったのだ。

ある日、授業が終わりすぐに教室を出て側溝のヤゴを探していた時、ふと気がつくと自分以外は誰一人として校舎の外に居ない。不思議に思い教室を覗くと、他の生徒たちは給食の配膳と準備をしていた。
 給食時間を休み時間と勘違いしていたのだ。そっと教室に戻りつつ、このあたりから「もしかしたら自分は少し変わっているのかもしれない。」と気づき始めていた。
 友人たちが野球やサッカーなどのスポーツに向かっていく中、自分だけはまだ昆虫とロボットアニメから卒業する気も無さそうだった。

2002年10月
 神風動画のメンバーは東京都西東京市の一軒家に集まっていた。
 そこではとんでもない表現が仕上がった。後にこれを“松本大洋シェーダー”と呼ぶが、その後20年の神風動画のキャラクター表現の基礎となるものだった。
 02年当時に発行されていた月刊漫画誌のプロモーションとして、連載されていた松本大洋先生の作品を題材にショート映像を作ってほしいという依頼があり、その流れでテスト的に試作カットを作ったのだ。

LightWave3Dで出力したキャラクターの数種類のマスク画像と、桟敷君に手描きで描いてもらった三段階の密度のハッチングパターンをAfterEffectsで組み合わせたもので、98年の基礎の開発以降はこの技法は水崎の中でどんどん進歩していた。
 ハッチングパターンは不透明度や太さの違いではなく、ストロークとストロークの間隔を変えて全体の密度感を変えたもの。二値化した影マスクは輪郭だけ検出し、影の範囲を囲んだ線として使用した。これらの加工レイヤーをAfterEffects上でレイヤーを重ね、特段プログラムやプラグインなどを使用しないキャラクター仕上げを行なった。

イラスト:鈴木理

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プラグインなどは表現上の近道にはなり得るが、すでに目的地の見えている道のようなもので、その道の先にはすでに先人たちがたどり着いている。これらは圧倒的に新しいものを産むには不向きで、本気で新しいものを産むのであれば道から作るべきだと思っている。
 キャラクターの輪郭などの線はノイズをマスクにして部分的にずらして表現している。
 陰影は3DCG的なグラデーションは「ポスタリゼーション」で二段階化し、セル画のように影色を入れるのではなく二段階の濃さの領域をマスクとし、それぞれ密度の違う手描きハッチングパターンを中に敷いた。それにより、キャラクターは全て同一の太さの線による、松本大洋先生の漫画原稿の雰囲気を動かしたような仕上がりとなっている。

子どもの頃にアニメ作品に対して疑問に感じていた「どの作品も仕上げ工程は同じ」というルールは、2000〜01年までのアニメスタジオでの修行期間でしっかり理解していた。アニメの世界で働く人にとって、生産数を守らないといけない事情がある。
 しかし漫画作家さんの作風は作家さんそれぞれなのにも関わらず、同じアニメーション工程を経て同じ仕上がりになってしまう。もちろんフォルムや絵柄は違うが、仕上げのバリエーションは当時の自分には少なく感じた。
 漫画家の仕上げの作風をアニメーションフィルムに残したいという気持ちがどうしても諦められず、作家性を活かした絵を動かす道筋を探したかった。それには手描きの世界にこの特殊な開発を押し付けるのではなく、この3DCGからのマスク出力方式だろうと思っていた。
 この映像が受け入れられるのかどうかは出してみないとわからないが、少なくとも子どもの頃の自分の疑問はこの技術が広まれば変わっていくだろうと確信した。

この松本大洋作品に取り組んだのは主に4人。
 水崎と桟敷氏、森田氏はこの時点ですでに上京しており、3人は00年から01年末までアニメスタジオで修行を積み、02年から西東京市で改めて神風動画を再始動させている。
 さらに案件の受注に合わせて世界観やキャラクターなどのデザイン面で募集をかけたところ、この何も実績のない怪しい3人組の所に勇気ある応募者から、不思議かつ繊細な作品ファイルが送られてきた。今現在も神風動画の中心として活躍するアーティストの“鈴木理”氏だ。神風動画への参加後はどんどん腕を磨き、後にドラゴンクエストシリーズや“みんなのうた:トゲめくスピカ”のキャラクターデザイン、「Let’s!天才てれびくん」のメインのデザインを担当し、神風動画オリジナル作品でも多数のキャラクターや世界観を生み出すことになる。

この4人で1分の映像を仕上げ、小学館へ納品する。この映像は業界に衝撃を与えることとなった。

イラスト:鈴木理

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「東京国際アニメフェア」に“神風動画”としてブースを出してもらえることになり、大型モニターと静止画パネルで「ioCI」「ガソリンマスク」、そして今回制作した松本大洋作品「ナンバー吾」を展示した。
 「ナンバー吾」は月刊誌の付録CD-ROMへ収録されたが、まだ配信サイトなどが存在しない03年当時は制作した動画の感想なども得ることができない時代だったため、この来場者10万人のイベントで展示できるのはとてもありがたかった。

当時の東京都知事だった石原慎太郎氏の鶴の一声で実行され、そのコーナーの一つとして設置された新人クリエイター枠でのブース参加ができた。その新人クリエイター枠はビジネスデイ、一般デイ共に大盛況で、新しい才能と表現に興味を持つ来場者がとても多く、その中で神風動画の「ナンバー吾」もとても注目を浴びた。新しい技術による映像は新しいものに敏感な来場者の多いこのイベントとの親和性も高かったらしく、多くの人たちと名刺の交換や商談話をさせてもらった。
 「この技術は業界を変える」と激励してくださった方、“神風動画”への出資話、法人化を進める方などに出会い、とにかくこの盛り上がりに対して冷静でいることを心掛けた4日間だった。

東京国際アニメフェアから2カ月が経過。
 03年5月、有限会社神風動画として法人化した。活動拠点は武蔵野市へ移転している。
 当時の法人化は主として“株式会社”か“有限会社”の2択で、それぞれ最初に用意する資本金の金額に違いがあった。
 神風動画は現時点でも有限会社だが、06年以降は有限会社の新設はできないため、この名称は創立からそれなりに年月が経過している会社という一つの目安にもなっている。
 この時期、コミックスウェーブさんからの相談でオリジナル作品を作ることとなり、森田氏と桟敷氏は企画立ち上げの準備に取り掛かっていた。
 後に「カクレンボ」という30分の作品になるものだったが、契約を明確にしていなかったため結果的には神風動画作品という所からはいつの間にか離れてしまうことになる。

東京国際アニメフェアでは多くのビジネスチャンスをいただいたが、案件を着地させていくまでの経験値が低かったため入金までの暖機運転のような状態が複数案件で続いてしまい、法人化早々に資金難に落ち、一時期は残金が150円になった時もあった。

※実際はうどんでした

※実際はうどんでした

イラスト:鈴木理

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受注した案件の制作は進むが、会社の残高は最低ラインだった。
 打ち合わせ帰りに鈴木氏と“なか卯”に寄り、うどんを2人で分けたのは今でも心の支えになっている。その時の鈴木氏はタバコも買えず我慢してくれていた。

不安定になった会社の資金管理の反省も活かし、水崎自身はさらなる“開発”に比重を置くために、将来の監督となる人材を探すことになった。
 そこにやってきたひとりが“横嶋俊久”氏だった。後に「COCOLORS」で“ファンタジア国際映画祭”でグランプリにあたる今敏賞を獲り、「SAND LAND」の監督となる人物だ。
 面接をしたタイミングでは神風動画も引越したばかりで部屋にはたいした家具もなく、後に横嶋氏に聞いたところ「実体のない会社かもしれない」と警戒したそうだ。
 神風動画を受けた理由もとても緩くて良かった。「絵を描いてお金をもらえるラッキーな仕事」というくらいの温度だったが、ポートフォリオに描かれた人物スケッチ(街中や電車移動時に描いたような感じ)は荒削りではあるものの、人の味わいのようなものを深く汲み取っていた。
 熱心な絵描きタイプではないぶん、自分以外との距離感やチームワークの計り方がとても上手く、立ち回りの上手さはゆくゆくは監督として立てるタイプだろうとすぐにピンと来た。

イラスト:鈴木理

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東京国際アニメフェアからはワンテンポ置きながらも、あれをきっかけにゆっくり仕事が来るようになった。
 そこからはゲームムービーやMV、オムニバス映画のショートなど、短く密度の高いアニメーションを受けられるようになっていく。
 あの「一杯のかけうどん」の件から20年以上が経過した今、ありがたいことに活躍の場はいただけているが、そのおかげで少々の浮き沈みがあったとしても全く動揺せずにいられた。
 何かがあったとしても残金150円までは耐えられる。そこからもう一度浮上できる自信もある。
 ヤゴから呼吸機能を変えてトンボへ変わるように、いつでも根本から変わる覚悟を持っていることはひとつの強さだと信じている。

水崎 淳平

神風動画20周年コラム―肺魚―

[筆者紹介]
水崎 淳平(ミズサキ ジュンペイ)
クリエイティブプロデューサー。グラフィックデザイン・ゲーム・アニメーションなど多岐に渡る業界経験を元に、2003年有限会社神風動画を設立。スタイリッシュな映像センスと遊び心に溢れた作家性を武器に革新的な映像を生み出している。「ドラゴンクエスト IX 星空の守り人」やテレビアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」OP、安室奈美恵やEXILEのMVなどの短編作品を経て、長編作品「ニンジャバットマン」が世界的に話題となる。

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