2019年8月5日(月)19:00
「天気の子」を“みんなの映画”にするために新海誠と川村元気が考えたこと
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新海誠監督の最新作「天気の子」は、離島から家出してきた高校1年の主人公・帆高が、不思議な力をもつヒロインの少女・陽菜と東京で出会い、世間や社会と対立しつつも“ある選択”を貫こうとする。3年前の前作「君の名は。」からビジュアル、ストーリーともに更なる挑戦をした本作は、一度見ただけでは気づかないであろう要素が満載の圧倒的な情報量をもっている。舞台挨拶をひかえた公開初日の夕方、新海監督(写真左)、「君の名は。」に続いてタッグを組んだ川村元気プロデューサーに、現在の心境と2回目以降の鑑賞をより楽しむための制作裏話を聞いた。【作品を見てから読むことをお勧めします】(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部)
――公開初日をむかえた今の気持ちをお聞かせください。
新海:待ち望んでいた初日でもあり、怖れていた初日でもあります。
川村:「天気の子」はチャレンジングな投げかけをしている作品ですので、僕も新海さんと同じように楽しみでありつつ怖くもあります。僕たちは、作品が投げかけていることに対して「そうだ」と多くの人たちが言ってくれるのではないかと願っていますが、こればかりは分かりませんから。
――初日午前0時からの世界最速上映に参加して、その直後に観客の何人かの方々に感想をうかがったところ 、「今の大変な世の中を生きていくことを肯定してもらえた気がする」「今のリアルな東京が描かれている」といった声がありました。
新海:最速上映にきてくださったお客様の声は、すごくうれしかったです。と同時に、基本的には楽しみにしていたファンの方々の声でもあると思っていまして。
――なるほど。
新海:最速上映のあと、皆さんがニコニコされている温かい顔を目の当たりにすることができて本当に元気づけられましたが、まだまだまったく何も分からないなという気持ちも大きくあります。これから、「ちょっと時間をつぶそう」「夏休みに家族で映画を見よう」といった、たくさんある映画の1本としてみられていって、身もふたもないというか、本当に普通の意見にさらされていくことになると思います。そこで皆さんにどういうふうに感じていただけるかが大事でしょうし、何より僕自身がそれを知りたいんですよね。
――とても冷静にとらえられているのですね。今年は7月下旬になっても梅雨があけず曇り続きで、公開初日の今日、都内では久しぶりに晴れ間がみえました。物語自体もそうですが、天気までシンクロしているように感じました。
新海:天気については、偶然だろうと思います(笑)。
川村:天気がコントロールできるんだったら、この仕事辞めてますよね(笑)。ただ、天気を気にすることは人間のどうしようもない性(さが)なんだなとは、ここ数日思いましたし、それこそが新海さんが「天気」というテーマを選んだ理由なんだと思います。「雨が降ったら、お客さんが少なくなるかも」って、映画にかぎらずどんな商売でも気になったりするじゃないですか。新海さんは、そういうみんなが気になるテーマを選んだんだなと実感しました。
――原作小説「小説 天気の子」のあとがきや、他のインタビューなどで、「君の名は。」で厳しい声をふくめ、いろいろな感想があったことが、「天気の子」の企画に影響していると話されていました。
新海:「君の名は。」は本当にたくさんの方々に見てもらえて、いろいろな感想や意見をいただきました。人生のなかできっと何度もおきないような貴重な経験をさせてもらったと思っていますが、そのときに「社会の温度」のようなものを感じることができた気がしたんですよ。
――「社会の温度」ですか。
新海:はい。「君の名は。」公開中に感じたことを、次の作品ではどのように映そうかということは考えていました。さきほど「冷静」だとおっしゃってくださいましたが、多分そういうわけでもなくて、公開されて「これは自分の見たいものじゃない」とお客さんに言われることが、僕としてはいちばん辛いんです。僕ひとりだけのことならいいですけれど、約2年間、数百人もの人がたくさんの時間と技を、この作品に注いでくださっているわけですから。関わったみんなが「やってよかったな」と感じるものにしたいですし、観客の皆さんにも「ああ、面白かった」とシンプルに楽しんでもらえるものにしたくて、そのためにできることはなんでもやりたいんです。お客さんの意見を聞いたり、社会の温度を確かめたりするのは、そのための大事な手段のひとつでもあります。
(C)2019「天気の子」製作委員会
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――川村さんは、「天気の子」の初期プロットをはじめて聞いたとき、どう思われましたか。
川村:僕は、何より新海さんがつくる映像が好きなんです。なので、大好きな“新海さんの雲が”いっぱい見れるなとまず思いました。雲を生き物のような多様性をもった存在としてあんなふうに描く画家は、僕の知るかぎり世界でもそうはいないはずです。「言の葉の庭」で描かれた雨もすごく印象に残っていましたから、雨や水の表現も見られるだろう。そんなふうに、まずはビジュアルがすごく楽しみだなと思いました。
――物語については、どう思われましたか。
川村:作品で描きたいことを聞いたとき、本当にすごいところに気づかれたなと思いました。ルールから外れたことを言うとメッチャ怒られるみたいことが「もう嫌だな」と僕をふくめたみんなが感じている気がしていたんですよね。大人も子どももそうですし、SNSにいる人たちの間でも、ちょっとでも間違ったことを言うと袋だたきにあうような息苦しさが蔓延(まんえん)していて。
そんなふうに感じている人は僕もふくめ多くいるはずですが、ともすればそんなことを言っている自分が批判するほうに回っちゃったりもする。そんな矛盾を抱えていることを僕自身、息苦しくて嫌だなと思っていましたから、新海さんの話を聞いて「ああ、そこを突き抜ける物語をやるのかな」と。主人公が最後にとる行動を見て、観客はなんて言うんだろうとすごく興味がわきました。
――新海監督は、プロデューサーである川村さんとどんな話をされたのでしょうか。
新海:とにかく、いっぱい話し合いました。ふたりで飲みながら話すこともあれば、洋次郎さん(※野田洋次郎/RADWIMPS)と3人、チーム全体……それぞれの場で話したことがモザイクのように組み合わさって、本当にいろいろな人の意見が集合体のようになって「天気の子」の物語に生かされています。そのなかで、川村さんがいつも示してくれたのは、「そっちじゃないんじゃないですか?」ということだったと思います。川村さんご自身が、どこまで確信をもって言われていたのかは分からないんですけれど。
――例えば、どんな場面で川村さんの助言があったのでしょうか。「世界から猫が消えたなら」や「億男」などの小説を執筆し、「映画ドラえもん のび太の宝島」(18)、「映画ドラえもん のび太の新恐竜」(20)では脚本も手がける川村さんは、一般的なプロデューサーとは違った見方をされるのかなと思います。
新海:そうですね……。「君の名は。」はとても上手くいった実感のある映画なので、今回は違ったものをつくりたいと思いつつも、ともすれば演出の方向が寄っていくことがあるんですよ。そういうとき、こちらとしては迷うわけです。同じことをやっていいのか、でも同じことをやることこそ観客は望んでいるんじゃないかと。そんな迷いのあるプロットを川村さんに示すと、「同じ方向にいかないほうがいいんじゃないか」と理屈こみで言ってくれるんです。それを聞くと、どちらの方向でいくか迷っていたのが消えて、じゃあこっちをもっと掘っていこうとなる。そうするとまたなんらかの迷いがでてきて……という繰り返しですね。
川村さんはそういうとき、「では何をやればいいのか」という答えまでは、たぶんもっていないと思うんですよ。でも、「そっちではないだろう」「何かが違うんじゃないか」という嗅覚のようなものは明快で、そこは本当にすごいなと。ついでに、答えも示してくれれば楽なのにと思うときもありますけど(笑)。
川村:(笑)。お客さんって、けっこう残酷なところがあるじゃないですか。つくり手が「いろいろ考えた結果、こうなっているんです」といくら言っても、「まあ、そうかもしんないけど、なんかつまんない」となることも多い。
新海:そうですよね。
川村:そう言って切り捨てることができるのは、お金を払ってくださった観客の権利ですから。つくっていると、どうしても「俺たちはすごいことをやっているんだ」みたいな考えに流れがちですが、そこはフラットに見ているところがあるのかもしれません。
僕から答えを言わない理由は単純で、新海さんが何をやるのか見たくて一緒にやっているからです。自分でも小説や脚本を書いているので、自分なりの純粋な発露はそこでやっている。新海さんと映画を作るときは、新海さんはなぜこういうことを言いたいんだろう、僕がこの方向は違うと思ったところにどう正解をだすんだろう、というところにすごく興味があって、それは野田洋次郎という人がこの物語を読んだときに、どういう言葉を書いてくるんだろうと思うのと同じです。僕自身がまず驚いたり喜んだりしたくて、最初に素直な感想を言うことができる観客に近い存在としていたい。そういう気持ちが、ずっとあります。
(C)2019「天気の子」製作委員会
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――最速上映のあと、渋谷で正午過ぎからの回も見てきましたが、2回目ではじめて気がつく要素がたくさんありました。いろいろな意味で情報量が本当に多くて、情報量のコントロールについての試行錯誤も多くあったのではないかと思います。
新海:密度のコントロールは難しいことですが、特に意識していたことのひとつに、ある種、観客が麻痺してしまうぐらいの情報量を浴びせる瞬間をつくろうというのはありました。これは「君の名は。」のときも同じで、やっぱり映画のなかにそういう瞬間が何回かあったほうがいいと思っています。
ただ、麻痺させたまま終わってしまうとよくありませんから、観客が「あ、そういうことなんだ」と理解が追いつく瞬間もどこかにつくらなければいけません。そうした両方の瞬間を意識しながらも、主人公の感情については手放さないようにして、観客が今何を気にすればいいかというところだけは常に明快にしておく。そうした部分はコントロールしたいなと。例えば、このシーンでは帆高の行く先を気にすればいいのか、それとも映像と音楽による怒涛のようなものに身を浸せばいいのか、それとも何が起きているのか分からないという混乱を観客に与えればいいのか。そこは全部自分で分かったうえでやりたいと思っていて、それが外れてしまったら映画のコントロールが自分の手から離れてしまっているのだと考えていました。
初見ですべての要素を見きれるわけではありませんから、1回目でここまでは理解してもらいたいというラインも最初から決めています。そこから漏れてしまいそうなところは本筋とは関係ない部分にするなどして、最初に見たときはここまでのみ込めて、2回目以降はこういうところにも気づいてほしいというところまで、なるべく考えて設計するようにしています。
――なるほど。ビジュアル、物語ともに、ここまでは絶対に分かってほしいところから、気づく人が気づけばいいというところまで、いろいろなレイヤーを用意しておくと言いますか。
新海:そうですね。映画には無数の要素がありますから、そのうち初見の観客に届けなければいけないのはどの部分なのか明快にしたいなと。どこまでやりきれているのか自分では分かりませんが、そうしたことを意識してつくっていました。
――物語は切実なものでありつつも、ここでは言えないこともふくめ、見ていて楽しくなるサービス満点なところもありますよね。花澤(香菜)さんと佐倉(綾音)さんが演じる役の名前や登場の仕方など面白かったです。
新海:声優さんのファンならクスリとできる要素を入れつつも本筋からは離れないようにして、声優さんをまったく知らない人でも楽しめるシーンにしたつもりです。たくさんの人に見ていただける大きな船としながらも、そうした仕掛けをたくさんいれたいなというのはありました。
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「あの光の中に、行ってみたかった」。高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。彼...
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