2023年1月1日(日)19:00
アニメ宣伝20年 飯田尚史の“届ける”醍醐味、肌で感じたアニメビジネスの変遷
飯田尚史氏
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作品とファンをつなげる大事な役割をはたしているアニメ宣伝。宣伝プロデューサー、宣伝担当としてその仕事を約20年続けてきた飯田尚史氏に話を伺った。
飯田氏は、パイオニアLDC(現・NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)でアニメの仕事をはじめ、ワーナー ブラザース ジャパン、U-NEXTを経て、2022年から日本のアニメを海外に届けるプラットフォーム事業を営むクランチロールに所属。ワーナー在籍時まで一貫してアニメ宣伝畑を歩み、多くの作品の宣伝を手がけてきた。
そんな飯田氏にじっくりと話をうかがい、これまでのキャリアを振り返ってもらった。00年代から現在にいたるアニメビジネスの変遷をたどる、宣伝の立場から見た貴重なオーラルヒストリーでありつつ、今だから話せるくだけた話題も多く飛びだした。
控えめな飯田氏いわく、「アニメ業界の方には読んでもらえるかも」とのことだが、アニメファンやアニメビジネスに興味がある方にとっても面白い内容になっているはず。正月休みの読み物として是非ご一読ください。(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部)
――私は05年頃からアニメ関連の仕事をしていますが、飯田さんにはその頃から何かとお世話になっています。アニメの宣伝の方はその後プロデューサーになるなどして入れ替わることがほとんどで、飯田さんほど長くやられている方は、すでにリタイアされている方ふくめて他にひとりか2人ぐらいしか思いつきません。
飯田:今いるクランチロールではプロダクションチームのプロデューサーをやっていますが、たしかに僕ほど長くアニメの宣伝をやり続けた人は少ないかもしれませんね。宣伝を数年やったあと制作に異動するパターンが多いと思います。どの会社でも年に数回ある上司との面談で「今後どうしたいの」という話になっても、僕は「宣伝がいいです」と言い続けていました。反対に、ある時期から僕が上司側になって下の宣伝の子たちと面接すると「そろそろ制作のほうにいきたい」という相談がほとんどでしたから、僕みたいなケースは珍しいのかもしれません。
■「serial experiments lain」をきっかけにアニメ業界に
――前々から飯田さんにアニメ宣伝についてまとまって話を伺いたいと思っていました。私自身、紙からウェブに移っていますが、アニメ宣伝の主体も今はネットやSNSに移っていて、そうした変遷のなか宣伝の立場で関わり続けてきた飯田さんにこれまでのお仕事を振り返ってもらうと、面白い話がいろいろでてくるんじゃないかなと思いまして。
飯田:面白い話ができるか分かりませんが、今言っていただいたような時代の流れはそれなりの年数を業界で過ごしているので見てきたかもしれないです。僕がアニメ業界に関わるようになったのは「serial experiments lain(※以下「lain」)」という作品がきっかけで、あれが1998年放送ですから、その翌年の99年ぐらいからアニメ業界にお世話になっていると思います。
――おお、「lain」ですか。せっかくですので、その少し前にさかのぼって最初に入った会社の話から聞かせてください。
飯田:大学を卒業して最初に入ったのは音響会社のパイオニアの子会社のパイオニアLDCという会社です。その後、会社の名前は、親会社が変わったことで何度も変わっています(編注)。あまりに変わるもので親からは「転職ばかりしていいかげんにしなさい」と怒られました(笑)。さて、パイオニアLDCに入った理由もアニメではなくて、そもそも僕はそんなにアニメが好きなほうではなかったんです。大学生のときに「アネット」(2021)などで知られるレオス・カラックスというフランスの監督がすごく好きで、彼が当時「ポンヌフの恋人」(1992)という映画をつくったのですが、その日本公開をスポンサードしている1社がパイオニアLDCだったんです。それでパイオニアLDCという名前を知って、就職活動のときに募集要項をとりよせて受けました。
編注:このあとの話でも言及されるが、パイオニアLDCは、ジェネオン エンタテインメント、ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン(現在)と社名が変わっている。
――もともとは実写の映画がお好きだったんですね。
飯田:どちらかというと実写映画のほうが好きでしたが、アニメにも興味はあって、高校のときは押井(守)さんの「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(84)を友達と一緒に見にいって、ものすごく衝撃をうけました。当時はまだビデオなんて高くて買えなかったので、友人が買った本編の音声がまるっと入ったドラマ編のLPをダビングしてもらって何度も聴いて、みんなでセリフの言い合いっこをするゲームをやっていたぐらいです。
その後、大学に入ってからは「アニメ」というよりいわゆる「アニメーション」のほうに興味がうつって、フレデリック・バックやノーマン・マクラレンなどの作家のアニメーション作品を好んで見てました。カナダがそういったアニメーションの支援に力をいれていて、カナダ大使館から16ミリのフィルムを借りて大学の文化祭で上映会をやったりしていました。
――そういう系のサークルに入っていたのでしょうか。
飯田:それこそアニメ研究会に入ったんですけど、僕は「アニメーション」についていろいろ語りあえたらと考えていたら、普通にみなさんが考えるアニメがメインのほうだったので、サークルにはあまり出なくなりました。
そんなふうに映画やアニメーションなどの映像が好きでパイオニアLDCに入社して、まずどういう仕事をするかというと、だいたい当時のレコード会社って最初の2~3年は営業をやらさせるんです。いわゆるレコードセールスですね。僕は広島の営業所に配属されて、なんだか全然違うところにきちゃったみたいな~ところから、その後大阪の営業所に移り、そこに今や有名なベテランアニメプロデューサーである川瀬(浩平)君がいたんです(編注)。で、川瀬君から「これすごく面白いアニメだよ」と「新世紀エヴァンゲリオン」(95~96)のビデオを渡されて全部見て、これまたすごく面白くてハマりました。
編注:川瀬浩平氏は、パイオニアLDC(現・NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)、ワーナーブラザーズジャパンで飯田氏と同僚だったアニメプロデューサー。22年10月1日にカスケードワークス合同会社を設立して独立した。
――川瀬さんも営業のお仕事をされていたんですね。
飯田:僕が広島にいるあいだに新入社員としてLDCに入社されて大阪の営業所にいて、僕が大阪に移ってから一緒になったんです。
ここで最初にお話した「lain」の話になりますが、ちょうど「lain」が放送しているときに僕は大阪の営業所でアニメの販促担当をやっていたんです。それで次はこのレーザーディスク(※編注)を売りますと「lain」の案内がきて早速テレビで見たのですが、これが僕にとって本当にショッキングな作品で。オープニングの「bôa(ボア)」の音楽も格好よかったし、とにかく内容・映像ともにぶっ飛んでいるなと。サブカル的といいますか、当時のテレビアニメとは一線を画す、まったく違う感じのエッジのたった映像で。
編注:レーザーディスク 直径30センチの光ディスクに両面で最大2時間の映像を記録できた。パイオニアが普及に主導的な役割を果たした。しかし、よりコンパクトで映像が綺麗なDVDが普及したことにより役割を終えた。
――たしかエンディングが仲井戸麗市さんでしたよね(※名義は「仲井戸‘CHABO’麗市」)。
飯田:そうでしたね。今のネット時代を予見するような内容でもあり、僕も学生時代は秋葉原に通うにわかテックオタクだったので、いろいろな意味で「lain」には衝撃をうけて、とにかくすごい! と思ったんです。
ただ営業所の他のメンバーはどうもピンときていなかったみたいで、「なんだこれ」みたいな雰囲気のなかで僕ひとりだけが「これは大変なアニメだ。世に知らせないといけない!」と大騒ぎしていて、最終的に本社の制作プロデューサーに営業向けのプレゼンを頼むことにしたんです。大阪営業所まできて作品を説明してほしいと。そうしたら本編の制作が忙しいなか東京の本社から来てくれることになったんですけど、営業所の入り口に黒い眼鏡をかけてロングコートを着た長身の香港マフィアみたいな怪しい男が立っていて、誰だと思ったらそれが「lain」のプロデューサーの上田(耕行)さんだったっていう(笑)。上田さんとはそれが初対面でした(編注)。
編注:上田耕行氏は、パイオニアLDC(現・NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)のアニメプロデューサー。「serial experiments lain」ではプロデューサーを務め、のちに同作のHD化にも取り組んだ。そのときの裏話は以下のインタビューを参照(上田さんのお写真あり。聞き手の五所がアニメスタイル在籍時に構成を担当)。
▽「WEBアニメスタイル」掲載:「灰羽連盟」「lain」がBlu-ray BOXで発売! 上田耕行プロデューサーに、BD化作業の舞台裏を訊く
上田さんにいろいろプレゼンしていただいて僕らも営業を頑張ろうとなり、そこで本当にむちゃくちゃ頑張っちゃったんですよ。「確約」というレコード業界用語があるんですけど、ようは営業して小売店から「何枚仕入れるよ」という「確約」をとってレーザーディスクを納品するわけですね。大阪の市場ってだいたい東京の半分ぐらいなんですが、営業みんなに発破をかけて頑張ってほぼ東京の数字に近いぐらいの数字の確約をとって、会社のなかで妙に目立ってしまったんです。
それで、なんだか大阪でひとり頑張っているやつがいるらしいと、当時アニメの部署にいた川村(明廣)さん――今はワーナー(※ワーナー ブラザース ジャパン)の――から呼ばれるかたちで、次の異動のときに東京のアニメの部署に行くことになりました。当時の僕はどちらかというと映画の部署に行きたかったので「えっ」って感じだったんですけれど。だから、アニメ業界に入ったのは「lain」がきっかけなんです。
――私も当時レーザーディスクを買いました。本当に異彩をはなっている作品でしたよね。
飯田:僕にとってはものすごい衝撃作でした。その年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の優秀賞もとって今になってもカルト的な人気が絶えない作品になったと思いますが、それがきっかけでアニメの部署に移ることになったんです。
■昔のアニメ宣伝は「毎月10日が命」
――東京のアニメの部署に配属されて、最初どんな仕事をされたのでしょう。
飯田:右も左も分からないなか、最初は声優のプロモーションが中心で飯塚雅弓さん、水野愛日さん、山本麻里安さんの担当などをしていました。その後、だんだんとアニメ作品の宣伝にシフトしていった感じですね。パイオニアLDC内で“黄金期”と僕らが勝手に呼んでいた作品群があって、第1黄金期として「天地無用」シリーズがあり、僕が宣伝の仕事をはじめた頃はちょうど第2黄金期で、「HELLSING」のテレビシリーズ(01)、「ちっちゃな雪使いシュガー」(01~02)、「まほろまてぃっく」(02~03)、「藍より青し」(02~03)などの作品がありました。
そのなかで僕がアニメの宣伝として本格的に仕事できたと思うのは、「まほろまてぃっく」あたりからです。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の山賀(博之)さんが監督のガイナックス作品で、まだまだ宣伝として未熟ななかガイナックスの佐藤(裕紀)さんに大変お世話になりました。
――「てんちょさん」の愛称で知られる名物広報の佐藤さんですね(※現在はGAINAX京都のプロデューサー)。
飯田:そうです、そうです。今はだいぶ対等にお話できるようになったんですが当時の僕にとっては大大先輩で。アニメに対しての愛がとても深い方なので、結果仕事に対してもとても厳しい方でしたね。僕はまだ駆け出ししたので当たり前なのですが、「あんた、宣伝やったことないやろ」と怒られて電話をかけるのも怖くてしょうがないというぐらいで、目をつぶって電話をかけたこともあるぐらいです。でも、今振り返ると本当にありがたかったなと思っていて。
――佐藤さんからはどんなことを教えられたのでしょうか。
飯田:作品のキャラクターというものをどうあつかうべきか、宣伝的にどう見せていくかみたいなことを教えていただきました。例えば、版権イラストがどうすれば魅力的にみえるか? とかですね。むちゃくちゃ怒られると同時に、すごくいろいろ教えていただいて、「エヴァンゲリオン」のような作品を広報されていた方からアニメの作品宣伝のなんたるかを直接伝授していただいたのは本当に幸運だったなと思います。
――当時と今ではアニメ宣伝の方が注力するポイントが違っていたと思います。例えばですが、いかにアニメ雑誌に載るかが大事だったのではないでしょうか。
飯田:もう毎月10日が命ですよ(編注)。たくさんある作品のなかからいかにアニメ誌のページをとって、版権の描きおろしイラストの発注を獲得するか。引いては表紙をゲットするかというのが、当時のアニメ宣伝のなかで最大の仕事でした。その後、「メガミマガジン」がでてきて、月末というタイミングもでてきました。
僕が宣伝の仕事をはじめた頃はアニメのデジタル化の転換期でもあって、「まほろまてぃっく」第1期のキービジュアルはたしかセル画でガイナックスさんからいただきました。それをフィルムにするんですよね。場面写真もフィルムをチョキンチョキンと切って、それをメディアの方にお渡ししていました。そのあたりを経験している宣伝は、僕らが最後の世代だと思います。
編注:3大アニメ誌「アニメージュ」「アニメディア」「ニュータイプ」の発売日。かつてはこの3誌の発売日にあわせて多くの情報解禁がなされていた。
――アニメのウェブ媒体をいち早くはじめられた「アニメ!アニメ!」(04~)創設者である数土(直志)さんから聞いたことがありますが、今では当たり前になっているプレスリリースをネット黎明期にはそもそもつくっていなかったそうですね。
飯田:いつからプレスリリースをつくるようになったかを正確には覚えていませんが、これも告知解禁のニュースがネットメディア主流になって10日基準が崩れたのと同じ頃だったと思います。アニメ誌さんには申し訳ないのですが、今の若い宣伝マンに10日発売あわせの情報解禁を意識している人間はいないでしょう。かつて自分の部下に10日基準の話をしたら、みんなポカンとしていて時代は変わったなあと思ったことがあります。速報性という意味では雑誌はウェブにかないませんから、各アニメ誌さんは他の部分で勝負されているはずです。
プレスリリースをつくるようになったのは、ウェブが主流になってシンプルに媒体数が増えたからだと思います。雑誌が主流の頃はアニメ誌と声優雑誌だけに情報を送っておけばよかったですから、数カ所に個別に話をすればすんだのですが、今は下手をすると100媒体ぐらい、いやもっとそれ以上に送らなければいけなくて、必要性に迫られてつくるようになったのだと思います。それだけアニメが良い意味で世間的にも注目されるようになったということなんでしょうね。
――その後、パイオニアLDCは親会社が電通に変わり、03年に社名がジェネオン エンタテインメントに変わります。
飯田:パイオニアLDCは、レーザーディスクというハードの販売を支援するのが目的の会社でしたから、レーザーディスクがDVDに変わった時点でソフトをやる意味もなくなってしまったのだと思います。親会社であるパイオニアとして、パイオニアLDCという会社の存続意義がなくなったから譲渡されたというふうに理解しています。
一方、ちょうどアニメの海外ビジネスが大きく伸びた時期でもありましたから、電通さんとしてはアニメについては海外ビジネスにも期待はされていたのではないでしょうか。残念ながら、そのあと見事にこの時のアニメ海外バブルはパッケージビジネスの衰退とともにブラックマンデー的な弾け方をしてしまうのですが……。
■アニメ化のきっかけ作りにも関わる
――飯田さんは、上司との面談で宣伝の仕事を続けることを希望していたと話されましたが、制作(プロデューサー)の仕事をすることには興味がなかったのでしょうか。
飯田:制作っていろいろな仕事がありますが、そのひとつにまずアニメの原作を探したり、企画提案書を作ったりする仕事がまずありますよね。僕は宣伝の仕事をしながら、その部分を独自にやってところがありますね。というのも、宣伝って御用聞きじゃないですけど、出版社さんとかいろいろな会社に出入りするじゃないですか。僕自身いろいろなところをフラフラするのが好きな人間なので、そうしていろんな会社で雑談していると、「こんな作品のアニメ化どうですか」みたいな話をふられることがあるんですね。
宣伝って、もしかすると制作Pより幅広くいろんなところに出入りしているので、そこでそういった話がはいってきて、僕なんかは気になった作品については「これ、アニメ化決まっていますかね?」と聞いて、良さそうなものは社内のプロデューサーにつなぐ。そんな動きを宣伝の仕事の他に片手間ですがやってましたね。
――なるほど。
飯田:例えば、とあるゲーム原作のアニメ化のきっかけの話になりますが、「lain」の話題のときにお話したとおり、にわかテックオタクでパソコンも好きだったので、当時初台にあったPC専門誌の出版社に夜、会社帰りによく行ってたんですよ。たいした用事はないんですが、PC関係の編集者ってアニメが好きな人が多かったので、行くと結構喜ばれて(笑)、そんな人達と深夜にアニメ談義をしていただけなんですが。
そんなあるとき、編集者の方からむちゃくちゃ面白いゲームがあって「これアニメできないっすかね?」と教えてもらって、早速自分でもプレイしてみたら10分かそこらやったぐらいで、「lain」以来の大きな衝撃をうけたんです。これはもう絶対にアニメ化したいなと。教えてくれた編集者に「すごく面白い」と早速連絡をして、すぐに2人で勝手に企画書を書きはじめると同時に社内の制作プロデューサーに相談しました。
――一緒に企画書を書いた編集者の方は、お仕事とは関係なく協力された感じなのでしょうか。
飯田:その編集者さんはちゃんと企画協力としてアニメのエンディングにはクレジットされています。その方とは仲が良かったので、ある種遊びのようにああだこうだ言いながら企画書を書いて、制作プロデューサーに「はい、できたよー」って渡して。それを携えて原作元さんにアニメ化の提案にいっていましたね。
――不夜城の編集部にいろいろな人が訪れて、雑談のなかから何かが生まれたという話は本でよく読んだことがあります。飯田さんきっかけでアニメの企画が生まれたケースがあるわけですね。
飯田:昔は今みたいに入館・入室セキュリティとかほとんどありませんでしたから、アニメ誌の編集部にふらっと入って席の横に座り、「来月なんとか描きおろしできませんかねえ」みたいな話を夜な夜なしていました。編集部の皆さんは昼間は取材などででていますから、確実に戻られていらっしゃる夜の9時ぐらいに行くのが普通だったんですよね。
これは名前を出してもよいかな? 「薄桜鬼~新選組奇譚~」を初めて知ったのも夜中の雑談がきっかけでした。仲の良い編プロ(編集プロダクション)さんがいて、そこもまた帰りがけに夜遅くに遊びにいって深夜2~3時頃に眠くなると帰る感じだったのですが、あるときそこの女性編集者さんから、「これむちゃくちゃ面白いんです」と教えてもらったのが「薄桜鬼」だったんです。ちょうどその編プロさんで「薄桜鬼」のストーリーブックをつくっていたんですね。その方曰く、「こういう本をこれまでたくさんつくってきましたが、こんなに面白いのは初めてです。アニメ化すると絶対面白いと思います」と言われまして。
で、これはぶっちゃけて言うとカズキヨネさんの描くキャラクターの美麗さとパワーはすごいなと思ったんですけど、僕は男性なので、中身に関して=ゲームについては僕じゃなくて嫁さんがハマっちゃったんですよ。もうむちゃむちゃハマって、半分大げさですけどこれをアニメ化しないと離婚するぞくらいの勢いでした(笑)。
――奥様にアニメ化にむけて動いてほしいと言われたわけですね。奥様はアニメやエンタメ系のお仕事をされているわけでは……。
飯田:そのときはもうまったく関係ないんですけど「ぜひやれ」と、なかば脅されるように言われまして、これはもう家庭の平和のために「こんな作品があるんだけど…」と、今は、グッドスマイルフィルムの取締役である小倉充俊プロデューサーに相談し、原作元のアイディアファクトリーさんにお話しにいってアニメ化することができました。その先の展開についてはファンの皆さんはご存じの通りだと思います。
小倉さんは漫画でもノベルでもそうなのですが、その作品の最適解なかたちでアニメというメディアに落とし込むことに関しては本当に天才的なプロデューサーですので。こうした力のあるプロデューサーが側にいたのは心強かったです。
――今も続く人気シリーズですものね。
飯田:僕は今のクランチロールの前にU-NEXTにいましたが、ちょうどそのときの21年に「薄桜鬼」の新作OVAがU-NEXT独占先行配信で参画することになって。小倉さんもすでにNBCからグッドスマイルフィルムに移っていたんですが、会社は全然変わっているのに僕らがまたチームを組んでやることができたっていう。感慨深いものがありましたね。「新選組から呼ばれちゃった」みたいに冗談言ってました(笑)
宣伝の仕事をしながら、他のタイトルでもそういうことをちょくちょくやっていたので、流れでホン読み(脚本打ち合わせ)やら、その後の制作現場も参加させてもらったこともありました。制作的な仕事のほんの一部ではありますが。
――宣伝のお仕事をしながら制作的なこともされていたわけですね。
飯田:そこは制作の領分だから手をだすなという会社もあると思いますが、ありがたいことに僕は非常に自由な環境でやらせてもらっていました。
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ネットワーク社会。今よりも多少未来の東京のこと。情報端末NAVIが普及し、テレビと同じくらいにメディアとしての力を持っている。人とコミュニケートするにはネットワークを通してがあたり前という時代。...
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