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特集・コラム 2025年1月12日(日)19:00

【明田川進の「音物語」】第84回 杉井ギサブロー監督との対談(後編) ラッシュを“映画”にする音響の力

杉井ギサブロー監督(左)と明田川進氏

杉井ギサブロー監督(左)と明田川進氏

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明田川進さんと杉井ギサブロー監督との対談後編では、杉井監督が明田川さんを誘って京都精華大学のアニメーション学科でともに教えたときの思い出、意外にも少ない杉井監督と明田川さんがご一緒した仕事について、アニメーションに音をつける意味などが語られました。

――杉井監督が2006年に京都精華大学のマンガ学部アニメーション学科の専任教員に就任されたのは、どういう経緯があったのでしょうか。

杉井:お話をいただいたとき、僕は専門学校がずっとやってきたことを今さら大学がやっても仕方がないでしょうと、最初はお断りしたんですよ。そうしたら再度お話がきて、どうしてもアニメーション学科を独立してつくりたい、カリキュラムから全て任せて好きにやっていいと言っていただけて。で、専門学校が教えているようなアニメのつくり方をやるのは興味がないから、根本的な「アニメーションとは何か」というカリキュラムでいいんだったらと引き受けました。そのときすぐアケさんを誘ったのは、アケさんって教育が上手いなと前から思っていたんです。その頃もう東映あたりで教えてたよね。

明田川:うん、教えてた。

杉井:アニメ業界には、人に教えるのが上手い人と個人技が上手い人の2種類がいて、職人仕事ですから、人に教えるのが上手い人がなかなかいないんですよ。スタジオで学校的なものをつくってもたいがい失敗していて、それは教える人が上手くないからだと僕は思っていました。僕自身は最初が運よく東映動画だったから、大塚康生さんたちからアニメのつくり方のノウハウを体系的に教われて、映画とは何かというところから心理学なども勉強することができたんです。
 そういう経験がありましたから、大学でアニメーションを4年も勉強できるのなら専門学校の延長線上ではいけないと思い、将来アニメーションを担っていくような人になるための授業をやりたいと考えたんです。もちろん全員がそうなれるわけではなく、あくまで大学の方向性としてですけどね。アニメーションがデジタルやAIへと進んでいく時代に対応できるように、その先にあるアニメーションとは何かとういことに対応できる学生を育てていこうと。
 僕が学生たちによく話していたのは、卒業してアニメの仕事をするようになってから3年後、自分で何かをやろうとしたときに大学の勉強が役にたちます。だから、今はとにかく大学で勉強しましょうと。そんな考えでカリキュアラムをつくるとき、僕は音響は専門ではないから、昔からよく知っている友達ですでに他でも教えているアケさんに頼んだんです。

明田川:京都精華大学さんは、ありがたいことにアフレコやダビング・ミキシングができる立派なスタジオを音響の授業のためにつくってくれました。そのスタジオを使って1年間じっくりかけて作品の音を仕上げられる。こうした体験は、他ではなかなかできません。
 僕は特任教授として、毎週日曜に京都に前乗りして、月曜は大学で朝いちから夕方まで授業。生徒からの質問に答えるなど何かあった場合はもう一泊する場合もありましたが、だいたい月曜の夕方か夜には新幹線で東京に帰るという生活を送っていました。

杉井:アケさんはマジックカプセルの経営者でけっこう忙しかったから、専任ではないかたちでお願いすることになったんです。それとは別に、京都といったら僕のなかではアケさんというのもあったんですよね。アケさんの叔父さんが京都の花街として有名な上七軒の会長をされていて、僕らは若い頃に叔父さんのところでお世話になったことがあるんです。置屋をやっているから舞子さんが2人ぐらい住みこみでいてね。アケさんふくめて何人かで遊びに行って、2日ぐらい泊めてもらったんです。

明田川:冨田勲さん、太田淑子さんも一緒だったね。「どろろ」のために知恩院の鐘の音を録りにいこうと、冨田さんのクラウンにみんなで乗って行きました。

杉井:手塚治虫先生の「陽だまりの樹」がアニメになって僕が監督したとき、主人公の(伊武谷)万二郎が置屋で目が覚めるところからスタートさせたのは、そのときの経験がもとになっていて、あの置屋のモデルはアケさんの叔父さんの家なんです。観光客として外から見るのと、内側から見るのとは全然違っていて、あのときの体験は貴重なものでした。その後、僕がひとりでアケさんの叔父さんをたずねることもあって、京都は僕にとってなじみのある場所になったんです。そんなこともあって、京都ならアケさんはきっと引き受けてくれるだろうと思ったところもありました。

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――監督、音響監督として、おふたりはそれぞれの仕事をどのようにご覧になっていますか。

明田川:これはよく話すんですけど、僕ら音響サイドの仕事って、まず監督ありきなんです。監督がこういうものをつくりたいというのがあって、それをいかにふくらませ、音で表現するための素材を提供しながらつくりあげるのかが、僕らの仕事のメインですから。映像がないかぎり、自分たち発で何かをつくるということは基本的にはありません。そういう意味では、受け身のようなかたちでやっているところがあるんですよ。今日もギッちゃんの話を聞いていると、僕自身からでた発想や企画で何かをやったようなことって、これまで一度もない気がします。

杉井:田代氏も似たようなことをよく言っていて、それで音響ディレクターをやめてプロデューサーの仕事メインにシフトしたところがあるんだけど、僕は根本的にそれは違うと思っています。アニメーションというのは音が入ってようやく一人前で、アケさんたちの仕事があってこそですから。
 僕は自分で映画をつくるなかで、物の質感はSE、情感は音楽、キャラクター性は役者の演技がつくっていることが分かってきて、あるところから意識するようになりました。これらの音の部分を音響の人たちがつくってくれて、初めて一人前の映画になるんです。
 例えば、ガラスのコップが割れるシーンがあったとして、映像だけだと何も感じられないんだけど、そこにコップが割れる音を入ることによって漫画の絵なのにガラスに見える。音楽や役者の演技も同じで、アニメーションでは音響ってものすごく重要なんです。実写の場合は、基本的に生のものをカメラが撮っているわけで、映っている映像の質感は三次元の人間が見慣れている延長線上のものですからね。ところが、アニメの場合は根本的に違って、我々が自然に見ているものを見せているわけではない。だけど、感情移入させなくてはいけなくて、そこで必要になってくるのが音響なんです。
 音の入っていないアニメーションを一度見てみなさいと、学生にはよく話すんですよ。アニメーションの実態というのはラッシュで、ラッシュというのは映画ではない。そこに音が入ることによって、ようやく立体的な映像世界というものができあがる。だから、アニメーションの音響というのは特別な領域だと思うんです。

明田川:アニメーションの音響は実写のものとは違うという話は僕もよくします。今のギッちゃんの話をうけて、僕が前から考えていることがあるんですけど、アニメーションってストップモーションじゃないですか。見ている人は絵が動いていることを分かって見ているけれど、音はストップモーションにしても何も伝わらないんですよね。つまり、音をどう可視化するかということなんだけど、これは映像と音の大きな表現方法の違いだなと思っています。

杉井:今の話でちょっと思い出したけど、アケさんとやった仕事で忘れられないのは、タックでつくった「のぞみウィッチィズ」(※1992年に発売されたOVA)というボクシングアニメのグローブの音のことです。この音をどう表現するか、音のレベルもふくめてアケさんとだいぶもめたよね。アケさんはこっちがいいと言って、僕はそれでは駄目だとお互い譲らなくて(笑)

明田川:覚えてないなあ(笑)

杉井:最後は、音響に関してはアケさんがディレクターだからそれでいいけど、僕は不満なんだよなというようなことを言ったと思う。そんなふうに監督と音響ディレクターって、音楽のタイミングなどもふくめて、これがいいと思うものが常にイコールかというと必ずしもそうではないんですよ。

明田川:僕がギッちゃんとの仕事で覚えているのは、「氷の国のミースケ」(1970年発表の短編アニメ)の収録のことです。吉田秀子さんのナレーションに対するディレクションがなかなか上手くいかなかったとき、ギッちゃんがパッときて一言二言彼女に言ってくれたことで彼女が分かってくれたことがあって、ああこういう表現方法があるんだなと勉強させてもらいました。

――話は尽きませんが、最後に一言ずつ伺って終えられればと思います。

明田川:ギッちゃんとはたまに電話をしたり、ふらっと会社を訪ねてくれてよく話すんですけど、今日は「えっ、そんなことあったんだ」と驚くことが多かったです。

杉井:ふだん仕事の話はあまりしないものね。田代氏のお墓参りに行こうかとか、ご飯でも食べにいこうかとか、そんな話ばかりだから。ただ、何かあるとやっぱりアケさんだっていうのは、僕のどこかにあるんですよね。長い付き合いで気心はしれているし、お互いがどんな個性をもっているかということをよく知っていますから。だからといってベッタリというわけではなくて、お互い勉強しあっている関係でここまできたように思っています。

協力:マジックカプセル
司会・構成:五所光太郎(アニメハック編集部)

明田川 進

明田川進の「音物語」

[筆者紹介]
明田川 進(アケタガワ ススム)
マジックカプセル代表取締役社長、日本音声製作者連盟理事。日本のアニメ黎明期から音の現場に携わり続け、音響監督を手がけた作品は「リボンの騎士」「AKIRA」「銀河英雄伝説」「カスミン」など多数。

作品情報

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