2025年12月5日(金)19:00
【明田川進の「音物語」】第87回 江崎加子男さんとの対談(前編) 声優業界の創成期、ムーミンママのキャスティング秘話

江崎加子男さん(写真左)との対談前編
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本コラム「音物語」を書籍化した「音響監督の仕事」(星海社新書)の発売を記念して、新たな対談をお届けします。
対談のお相手は、明田川進さんに推薦いただいた、江崎加子男(えざき・かねお)さん。江崎さんは老舗声優雄事務所マウスプロモーションの前身にあたる江崎プロダクション(江崎事務所)の創立者で、1950年代から声優をマネージメントする仕事を続けてこられてきた大ベテランです。国内アニメの創成期を描いたNHKドラマ「なつぞら」では「声優考証」を手がけ、現在はアーツビジョンとアイムエンタープライズの相談役をされています。
声優の歴史の生き証人のひとりとも言える江崎さんとの対談は、テレビ放送が開始されたときにあった五社協定、声優としても著名な愛川欽也さんの名前なども挙げられる貴重なお話が満載です。また、単に昔の話というだけでなく、江崎さんが語られるマネージャーとしての仕事の姿勢は今に通じるものがあると思います。

「音物語」の書籍化「音響監督の仕事」発売中
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■18歳で上京、所持金1万6800円
――江崎さんがどんな方なのか、明田川さんから簡単にご紹介いただけないでしょうか。
明田川:日本の外画の創成期からずっと声優のマネージメントの仕事をされている方です。僕がこの業界に入って声優のことを初めて知ったときから、どんなふうにやったらいいのかを教えてくれた、声優に関する先生であり師匠のような方ですね。
僕が虫プロにいた最初の頃は、セリフを録音するためにスタジオにいっても何をしたらいいのか分からず、江崎さんにいろいろ教えていただいたのがはじまりです。おそらく、僕が業界に入った「鉄腕アトム」のときからのお付き合いだと思います。
江崎:「アトム」がはじまったときの勢いは大変なもので、アニメや声優業界にとって「アトム」の貢献ははかりしえないものがあったと思います。「アトム」のときは、キュウさん(お茶の水博士役などを担当した勝田久氏の愛称)のマネージャーでした。
明田川:そうか、「アトム」にはカツキヨ(勝田久氏の愛称)さんがいましたもんね。
江崎:だから、アケさん(明田川氏の愛称)とは付き合いが古いんです。キュウさんは黒柳徹子さんと同じNHK東京放送劇団の出身ですからね。黒柳さんやキュウさんは放送劇団に入れましたが、入れなかった人たちが劇団三十人会というのをつくったんです。そこには加藤みどりさん(「サザエさん」サザエ役など)や栗葉子さん(「昆虫物語 みなしごハッチ」ハッチ役など)がいて、当時僕がいた河の会(「劇団河」の前身)に入ってもらいました。
河の会というのは俳優座をやめた役者たちを中心にした寄せ集めの集団でした。まだタレントプロ(※タレント事務所)が少なかった頃で、雨森雅司さん、肝付兼太さん、青野武さん、納谷六朗さんなどがいました。アケさんが「銀英伝」で長くご一緒した富山敬さんもいましたね。
――あらためて江崎さんの経歴をお聞かせください。東京アクタープロと河の会でのお仕事がはじまりでよろしかったでしょうか。
江崎:その前にラジオ関係の仕事をしていたんですよ。ニッポン放送に出入りしているときに、一緒にやりましょうと声をかけてくれたのが滝口順平さん(「ぶらり途中下車の旅」ナレーションなど)でした。それで東京アクタープロをつくったんです。
明田川:へーっ、それは珍しい話ですね。そのときの滝口さんはどこにいたんですか。
江崎:(グループ)りんどうかな。滝口さんはもともとTBS関係の人で、NHK放送劇団を真似してつくったTBS放送劇団出身の方ですから。東京アクタープロにはキュウさんも入ってくれました。
――せっかくですので、さらにさかのぼらせていただくと、そもそもラジオのお仕事は、どのような流れでやることになったのでしょうか。
江崎:いやあ……色々あるんですよ(笑)
――マネ協(日本芸能マネージメント事業者協会)の会誌のインタビューによると、18歳のときからお仕事をされていたそうですね。
江崎:高校3年のときに学校を退学して、九州からひとりで東京にでてきたんです。忘れもしませんが、肉体労働で稼いだ1万6800円だけをもって二度と帰らない覚悟でした。東京駅の八重洲口でこれからどうしようと思っていたら、仕事を手伝わないかと声をかけてもらい、それが演芸や興行関係だったんです。そこで噺家さんと知り合ってローカルラジオの制作の手伝いをするようになったのが、ラジオの仕事をするきっかけです。
滝口さんたちと東京アクタープロをつくったときは20歳をすぎていて、河の会では愛川欽也さんのマネージャーなどをしていました。僕らは愛川さんを、俳優座の養成所時代からのあだ名の「班長」と呼んでましたが、班長はすごい売れっ子でしたからね。誰もさからえませんでしたが、私なんかは筋が通らないことがあったら班長相手でもダメだよとハッキリ言ってました。今までずっとそんな感じでやってきていますから、人格者の明田川さんとは違って、まわりからは煙たがられることも多かったです(笑)
――1954年にNHKでテレビ放送がはじまり、それまで劇団で芝居をしていた役者の方々が洋画や海外ドラマの吹き替えなどの声の仕事を副業的にやるようになり、そこで江崎さんのようなマネージャーの仕事が必要とされていった、という認識でよろしかったでしょうか。
江崎:大事なことを説明しますと、当時は五社協定というのがあったんです。映画会社の5社(※松竹、東宝、大映、新東宝、東映)に所属する俳優たちはテレビやラジオにはでてはいけないという縛りがあって、それで劇団の人たちに声がかかるようになったのが最初ですね。
明田川:僕が虫プロにいた頃はまだ声優事務所なんてほとんどなくて、劇団の稽古場までいって参考用の声を録音することもありましたからね。アニメのための声のノウハウなんてまったくなかった頃ですから、江崎さんには本当に色々なことを教えていただきました。
■自分の役者を売りこむだけでは相手にしてもらえない
――江崎さんがマネージメントの仕事にのめりこむきっかけのようなものはあったのでしょうか。
江崎:お答えとはちょっとずれるかもしれませんが、今でも忘れられない出来事があるんです。「看護婦物語」(※アメリカの海外ドラマ/1962~65年度放送)という作品のキャスティングを決める集まりがNHKであって、他のマネージャーはみな売りこみにいってたんですが、たまたま私はいけなかったんです。そうしたら後日、芳村さんという女性のプロデューサーから「どうして来てくれないの?」と電話があったんです。「大勢マネージャーが行っているでしょう」と答えたら、「みんな自分のところの役者を売りこめばいいとだけ思っていて、作品全体をみた助言をしてくれない。これじゃ全然役に立たないわよ」と言われて、その言葉は胸にささりました。
それに関連して余計なことを言いますが、明田川さんと一緒にやった仕事で忘れられないのはムーミンママのキャスティングのことです(※1969~70年放送の「ムーミン」テレビシリーズ)。明田川さんが「この人ではどうでしょう」と言ってしまって(笑)
明田川:(笑)
江崎:「じゃあ誰がいるの?」と言うから「俺が探す」と返して、最終的に高村章子さんにお願いすることになりました。
明田川:つまり、江崎さんは自分の事務所の役者では作品にあわないと思われて、わざわざ他の事務所に所属する高村さんをキャスティングしたということです。高村さんは、「ムーミン」が初めての声の仕事でした。
――なるほど。そういうお仕事をされる江崎さんだからこそ、NHKのプロデューサーの方はどうして来てくれなかったんだと言われたわけですね。
明田川:当時のキャスティングって、今のようなオーディションはせず、スタジオのロビーでわいわい話して決めることが多かったんですよ。そこでムーミンママの話になったときに、江崎さんが動いてくださって。
江崎:本来、私なんかが言うのは余計なことで、怒られてもしょうがないんですけどね。ただまあ、アケさんとは長い付き合いでしたから。
明田川:そういう話がいっぱいあるんですよ。
――すごい話ですね。自分の会社に仕事がきているのに、別の会社の人のほうが向いているからとはなかなか言えないと思います。
明田川:キャスティングの相談をしたときに、どんな役にも同じ人しか勧めてこない人よりも、こういう人もいるよと自分の会社ではない役者もふくめて言ってくれるマネージャーさんというのは、やっぱり一目おかれるわけです。そういう勉強はたくさんさせてもらいましたし、僕自身、仕事の内容は違えどそうありたいと考えるようになったのは、江崎さんから教わったことのひとつです。
江崎:やっぱり、NHKの芳村さんのひと言ですよね。マネージャーは自分の役者を売るのが仕事ですが、それだけだと相手にしてもらえないということです。外画の話になりますが、「河の女」という映画のソフィア・ローレン役は今井和子さんがやっているのですが、その続編の「島の女」をテレビ東京が「木曜洋画劇場」で買ったんです。ただ、当時のテレビ東京は予算がないから今井和子さんをキャスティングすることができない。プロデューサーから別の人を考えてくれないかと相談されて、俳小(俳優小劇場)の此島愛子さんがいいよと勧めたこともありました。人に勧めるためには勉強しないといけませんし、芝居もたくさん見ていました。
明田川:当時はマネージャーさんからのそうした意見は重要で、採用されることが多かったんです。今のキャスティングはなかなかそういうふうに決まることはありませんが、僕自身は状況が許すときには、なるたけ新しくて面白い人をいれようとささやかな抵抗をしていました。
江崎:今はなかなかそういうわけにはいきませんよね。キャスティングのあり方も変わりましたし、それに関わる人たちそれぞれの立場がありますから。
司会・構成/五所光太郎(アニメハック編集部)
協力/マジックカプセル
明田川進の「音物語」
[筆者紹介]
明田川 進(アケタガワ ススム) マジックカプセル代表取締役社長、日本音声製作者連盟理事。日本のアニメ黎明期から音の現場に携わり続け、音響監督を手がけた作品は「リボンの騎士」「AKIRA」「銀河英雄伝説」「カスミン」など多数。
作品情報

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21世紀の未来世界で、十万馬力等7つの威力を持つロボット少年アトムが大活躍する物語。日本初の国産テレビアニメシリーズとして記念すべき作品。
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