2025年12月6日(土)19:00
【明田川進の「音物語」】第88回 江崎加子男さんとの対談(後編) 役者の個性とキャラクターをつなぐ声優マネージャーの仕事

江崎加子男さん(写真左)との対談後編
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「鉄腕アトム」の前から声優マネージャーの仕事をされている江崎加子男さんとの対談後編では、江崎さんが独立して声優プロダクションを設立しようと思った理由、のちに禅譲したさいマウスプロモーションという名前になった由来、声優マネージャーの仕事の醍醐味などが語られました。

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■劇団と自身の事務所、それぞれの苦労
――野沢雅子さんに取材したとき、フィルム時代の収録ではセリフを間違えることへの緊張感が今とはまったく違っていたという話をうかがったことがあります。
江崎:それは本当にそうですね。だから、人によっては間違えないことを第一に声の調子で映像にあわせるようにやっている人も多かったんです。もともと、アテレコという言葉は造語ですからね。アフレコ(※アフターレコーディングの略)は、絵を見ながら演じたものを録音するという言葉通りの意味ですが、アテレコはもともと外画で人が演じたものに声を「アテる」からアテレコと言うようになったんです。当時、劇団で声の仕事をしていない人のなかには“アテレコ調”と揶揄するニュアンスで言う人もいました。
ちなみに、声優というネーミングはNHKのラジオがはじまった戦前からあって、当時のマスコミがそう書いていたそうです。「声だけの俳優」という意味で今とはちょっとニュアンスが違いますが、言葉自体は随分前からありました。このことは川久保潔さんから聞いた覚えがあります。
――マウスプロモーションの前身にあたる江崎事務所(※1969年設立。のちに江崎プロダクションに改名)をつくろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
江崎:最初にお話ししたように劇団河は役者の集まりですから、役者の意向がいちばんになりがちで、マネージャーの立場が低かったんです。劇団河の事務所は四谷のアパートを借りていたのですが、私がいない夜にテレビ局のプロデューサーから事務所に電話がかかってきたことがありました。電話の用件が、たまたま事務所で飲んでいた役者指名の仕事だったものですから、電話にでた本人が「俺やるよ」とその場でその仕事をうけてしまいまして。翌日、私がすでにとっていた仕事を外してほしいと言われて、いきさつをきいたら、それはないなと思いました。そもそも事務所で酒盛りをしているのがよくないですし、そんな仕事のとられ方をしたらマネージャーはたまったものではありません。そういう苦労が積み重なって、じゃあ自分でやろうかと思い立ったんです。そうしたら、雨森雅司さんや嶋俊介さんが一緒にやろうと言ってくれて、北村弘一さん、肝付兼太さんなんかも入ってくれました。
明田川:雨森さんは「天才バカボン」のバカボンのパパ役、北村さんは「リボンの騎士」(シャルネ殿下役など)などでお世話になりました。
江崎:今思うと、事務所をつくってからの苦労のほうが多かったですね。当時の役者はやっぱり舞台が大事ですから、芝居の稽古や公演とレギュラーの収録が重なったら、抜きで録ってもらわなければいけないわけです。これはマネージャーと番組プロデューサーとの交流が上手くいっていないと、お願いすることができないんですよ。
明田川:そういうときに江崎さんのように、ふだんからキャスティングの相談にのってくれるような方だったら番組側もなるたけ協力しようとなるんです。持ちつ持たれつの関係ですよね。
■夜遅くスタジオに差し入れたおむすび
――マネ協(日本芸能マネージメント事業者協会)の会誌のインタビューでは、江崎さんは収録終わりの夜遅くにおむすびを差し入れていたと話されていました。
明田川:たしかに、よくおにぎりを差し入れてくださいました。
――コンビニもない時代ですから、夜遅くに差し入れがあると喜ばれたと思います。
江崎:四谷の居酒屋に頼んでおにぎりを10個か20個つくってもらって、よく届けてましたね。スタジオの台所で番茶をいれて一緒に差し入れると、みんな喜んでくれました。派手な仕事にみえますが、スタジオの人たちはみんな給料が安かったんですよ。給料が安かったのは役者の人たちも同じで、ある文学座の女優さんから、人をかいして声の仕事の面倒をみてくれないかと相談されて、吹き替えの仕事に推薦したこともありました。
――そうした相談にも親身にのられていたのですね。
江崎:その女優さんから聞いた話ですが、彼女の声の仕事が軌道にのったとき、文学座の稽古場にいた先輩に声の仕事で食べていると話したら、「いっぱしの役者はアテレコなんかやるものじゃない」と言われたことがあったそうです。
明田川:昔は、そう考えている人のほうが多かったですよね。
江崎:ただ、それから半年後ぐらいに、その先輩から声の仕事を誰から紹介してもらったんだとたずねられて、「俺にもその連絡先を教えてくれ」と言われたそうです(笑)。ただ、舞台の役者がみんな声の仕事を上手くやれたわけではなくて、坂本武さんという古い役者がいるのですが――
明田川:懐かしいですねえ。
江崎:坂本さんはスタジオに来て、「やっぱり俺には無理だ。間(ま)が違う」と言って途中で帰ったことが一回だけありました。アケさんも知らない、そういう昔の懐かしい話もいっぱいあるんですよ。アケさんの本(※「音響監督の仕事」)に永井一郎さんの話もありましたよね。永井さんは京大出身で、東京にでて芝居だけでは飯が食えないからと声の仕事をやりはじめて、最初のレギュラーが「ローハイド」(※アメリカの西部劇ドラマ)のおじいさん役(※ポール・ブラインガーが演じたウィッシュボーン役)でした。
明田川:そうか。あのおじいさん役は永井さんでしたね。
江崎:永井さんは若い頃から老け役が得意で、それが「サザエさん」の波平役につながっているんですよね。
■マウスプロモーションの名前の由来
――話がぐっと飛びますが、1969年に設立された江崎事務所は1974年に江崎プロダクションに改名され、その後、2000年にマウスプロモーションと改名されます。
江崎:名前をマウスに変えるときには、私はもう引退をきめていました。納谷六朗さんの奥さんの納谷光枝さんに会社を引き継いでもらったのですが、たまたま2人がネズミ年だったんです。
明田川:あ、そうなんですか。僕は江崎さんがネズミ年だからマウスなのだと思ってました。
江崎:最初は2人もネズミ年だから「ツーマウス」という名前にしようと話していたんですよ。そうしたらスタッフが、歌舞伎町あたりに同じ名前の店があるというから、じゃあやめようとなって、もう時間もないからツーだけとってマウスにしようとなったんです。
その後はのんびりしようと思っていたのですが、縁あってアイムエンタープライズの手伝いをすることになりました。そのときにアイムの新人を何人か連れて、アケさんと(明田川)仁くんのところに売りこみにいったのをよく覚えていますよ。
明田川:そのなかに中原(麻衣)さんや釘宮(理恵)さんもいたと思います。
江崎:当時は「おい、仁」なんて言ってましたが、今は立派な社長ですから呼び捨てにできないですよね(笑)
――江崎さんは、マネージャーは役者だけでなく自分を売りこむのも大切だとマネ協の会誌のインタビューで話されていました。
江崎:マネージャーは人を売るのが商売です。その前に、特に新人のうちは自分を売れとはよく言ってました。私はお酒が飲めませんから接待とかはやらなかったんですよ。そんなお金もないですしね。深夜になったらみんなお腹がすくだろうからと、それでおむすびを届けていたんです。飲むよりおむすびのほうが安いですし、たいそうなことをしていたつもりはないのですけれど。あとは、他事務所の人でも相談があれば、なるたけ親身に相談にのるようにしていたぐらいです。それと、場を和ますためにダジャレをよく言っていたぐらいですかね(笑)
会社を経営する信念としてあったのは、真面目にやる人が損をするような組織にしては駄目だということでした。そのためには、多少煙たがれるようなことがあっても社外問わずハッキリものを言うようにはしていました。
明田川:僕なんかも、声優以外のことでもちょっとした悩み事や頼みごとがあったら、江崎さんにはよく相談にいかせてもらっていました。そんなふうに昔から今までずっと付き合っているマネージャーさんは、今はもう江崎さんしかいません。
――マネ協の会誌は業界誌のようなものですから、昔のバックナンバーを見ると、声優の権利が話し合いや条件闘争などを経て確立されていったことがあらためて分かりました。
明田川:昔はランク制度のようなものはありませんでしたからね。この人が主役をやるんだったら今回はギャラを上げようみたいに、ランク制度の前はマネージャーさんと直接交渉できたんです。今はそういうことはありませんから。
――それこそノーランクとなったら時価じゃないですけれど……。
江崎:時価以上ですね。バブルじゃないですけれど、起用する側にとってはノーランクが逆に邪魔になっている面もあると思うんですよ。(明田川さんに対して)そうでしょう?
明田川:(苦笑)
江崎:役者を売りこみたいマネージャーも、ノーランクであるがために役者を休みにしなければいけないなんてこともおこりえます。ランク制度は役者を守るための制度ですが、それが足かせになってしまう側面もあるんですよね。
明田川:昔の「この人はいい芝居をしているから上げよう」と直接話し合いができた時代もよかったように思いますね。
江崎:今は声優事務所乱立の時代ですからね。事務所が(音響)制作会社、制作会社が事務所をつくるところもでてきて、個人的にはひとつの会社が両方やるのは本当はよくないと考えています。そうなると自分のところの役者を起用することになりがちですし、仮にそうでないとしても、外からの見え方が違ってきますから。
■役者の個性をいかしたキャスティング
――江崎さんは、役者のどんなところに注目してマネージメントをされてきたのでしょうか。
江崎:それはやっぱり個性です。役者の個性をいかしたキャスティングができるよう、作品と上手くつなげるのがマネージャーの仕事ですから。役者にあったキャラクターを見つけて、それが上手くはまったときは気持ちいいですよ。江崎プロ時代だと、大谷育江さん(「ポケットモンスター」ピカチュウ役など)は声が特徴的ですから売りこむときには苦労しましたが、それでも彼女の声にあった役に上手くはまることができました。
アニメのシリーズの場合はオーディションで決めますが、外画の映画は基本的に1本きりですから、オーディションをやっている時間はありません。作品を見て第2、第3まで役者の候補を挙げ、計算しながら決めていきます。ですから、マネージャーの責任というのは重いんです。
明田川:僕ら音響側としては、マネージャーさんにひと言お願いすれば信頼できるキャスティングがでてくるというのは本当に助かるし有難いんですよ。今僕は音響監督の仕事をほとんどしていませんが、自分なりの考えをもって、こういう作品だったらこんな役者にというふうにと言えるマネージャーさんが最近は少なくなってきたような気がします。
江崎:外画の場合はすでにできあっている作品、アニメの場合は絵ありきですからね。そこに役者の芝居をどうあわせるかを考えるのがマネージャーの仕事であり醍醐味です。そこを間違って営業すると信用をなくすことになりかねませんから、そうならないよう役者と関わりながら自分自身も勉強して積み重ねていく。それだけですよね。
――今と昔では声優のマネージャーの仕事も変化していると思いますが、江崎さんが後進のマネージャーを育てるとき、どんなことに気をつけるよう言われていたのでしょうか。
江崎:マネージャーに大事なのは、広い意味での信頼だと思います。例えば、よその事務所に行ったり、自分とは関係ない作品の収録現場に行ったりしたときに、発表前の香盤表を見たりメモをとったりしてはいけません。それって、アケさんの会社にきて音響の予算組みをみるようなものですよね。当たり前の話ですが、ようするにマネージャーとしての分をわきまえなさいということです。
あと、さきほどもお話ししたように、キャスティングで人を紹介する場合、「〇〇さんが連れてきた人は間違いない」という人でないといけません。今は業界への憧れだけでマネージャーになる人もいるようですが、本当はそんなに簡単なものではないんですよ。人の人生を預かる責任の重い仕事だと意識すれば、行動も自然とそれにあわせたものになると思います。
司会・構成/五所光太郎(アニメハック編集部)
協力/マジックカプセル
明田川進の「音物語」
[筆者紹介]
明田川 進(アケタガワ ススム) マジックカプセル代表取締役社長、日本音声製作者連盟理事。日本のアニメ黎明期から音の現場に携わり続け、音響監督を手がけた作品は「リボンの騎士」「AKIRA」「銀河英雄伝説」「カスミン」など多数。
作品情報

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21世紀の未来世界で、十万馬力等7つの威力を持つロボット少年アトムが大活躍する物語。日本初の国産テレビアニメシリーズとして記念すべき作品。
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