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特集・コラム 2020年1月4日(土)19:00

【藤津亮太の「新・主人公の条件」】第13回 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」北條すず

(C)2019 こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

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2019年12月から公開中の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、16年公開の「この世界の片隅に」に新たに30分以上の新作カットを追加した作品だ。これは単に長尺になっただけではない。追加されたエピソードによって映画が描いているものが拡張され、もうひとつの新たな映画として改めて完成しているのである。
 映画が拡張されたということは、主人公像もまた拡張されているということだ。
 16年の「この世界の片隅に」は、観客と主人公・北條すずが“出会う”映画だった。すずは、大正14年に生まれ、昭和19年に呉の北條家に嫁ぎ北條すずとなった。すずは、80年近くも前の時代に生きる架空の人物だ。だが徹底的な考証によって描かれた背景(空間)と、日常を追いかける丁寧な演技(時間)を通じて、観客は実在の人物のようにすずを感じるようになる。そしてこの出会いは、そのまま観客が戦時下の日常を体感することに繋がっている。つまりすずという主人公は、観客の想像力を戦時中まで導くためのインターフェースという役割を果たしているのだ。
 そしてもちろんすずにはすずのドラマがある。突然結婚し、名字が変わり、知り合いが誰もいない呉で暮らし始めたすずは、自分のアイデンティティを失い、新たに自分とは何者かを探らなくてはならない。そこに気が強く自分の意志で人生を選んできた径子という義姉が対照として置かれる。こうして2人の人生が互いに照らし出され、すずは改めて自分の人生を掴み直す。このようにすずは、自己を確立していくタイプの主人公でもあった。
 ではこのすず像は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」でいかに拡張されたのか。
 それにはリンの存在が果たした役割が大きい。本作で追加されたシーンの多くは、すずと親しくなる遊郭の女性・リンに関わるシーンだ。
 遊郭で働くリンは、実はすずの夫・周作が過去に結婚しようとした相手でもある。そのことを知ったすずは、自分が「代用品だったのではないか」と感じることになる。しかしその一方ですずは、同年代のリンを友人のようにも感じている。その気持ちは、すずが幼い日に草津の祖母の家で見かけた“座敷童子”の存在とも繋がっている。こうして、すずにとってリンは、すごく近くにいながら、触れ合うことのなかった“もうひとりの自分”という意味合いを帯びてくる。
 このリンの存在を通じて、すずというキャラクターは「誰かであったかもしれない私たち」を代表する人物として観客に迫ってくるようになった。自分が自分であるのは偶然の結果であり、もしかしたら自分は別の誰かでありえたかもしれない。いわゆる偶有性と呼ばれるものだ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のすずは、もしかしたらリンであったかもしれないし、もしかしたら径子であったかもしれない人間としてそこに存在している。それはさらにいうと、死んでしまった人間は私であったかもしれない、ということも含んでいる。
 「自我を確立する女性」「観客と作品を繋ぐインターフェース」だったすずに、この映画には新たに「人生の偶有性」を体現した主人公像を付け加えたのだ。

藤津 亮太

藤津亮太の「新・主人公の条件」

[筆者紹介]
藤津 亮太(フジツ リョウタ)
1968年生まれ。アニメ評論家。2000年よりWEB、雑誌、Blu-rayブックレットなどで執筆するほか、カルチャーセンターなどで講座も行っている。また月1回の配信「アニメの門チャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/animenomon)も行っている。主な著書に「チャンネルはいつもアニメ」(NTT出版)、「声優語」(一迅社)、「アニメ研究入門【応用編】」(共著、現代書館)などがある。東京工芸大学非常勤講師。

作品情報

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

この世界の(さらにいくつもの)片隅に 7

広島県呉に嫁いだすずは、夫・周作とその家族に囲まれて、新たな生活を始める。昭和19(1944)年、日本が戦争のただ中にあった頃だ。戦況が悪化し、生活は困難を極めるが、すずは工夫を重ね日々の暮らし...

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