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特集・コラム 2019年2月4日(月)19:00

【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第12回 「どろろ」と白黒アニメの終焉

(C)手塚プロダクション・虫プロダクション

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1月から新作テレビアニメ「どろろ」が放送中だ。二度目のテレビ化である。人体欠損や流血も多く、表現的に苛烈な中から人間性の本質を浮き彫りにしようと試みる意欲作である。彩度を抑えめの色彩設計でモノトーン描写も多く、回想中心の回は白黒で表現されているなどの配慮に感心した。
 テレビアニメ第1作は1969年4月から放送され、白黒制作作品の最後期にあたる。カラーテレビの普及率は1969年が13.9%(白黒は94.7%)、1970年が26.3%となっていて、20%を超えて急速に「2台目買い換え需要」が立ち上がった時期だった。以後は1971年に42.3%、最後の白黒アニメ「珍豪ムチャ兵衛」が放送された1972年には61.1%となり、以後日中帯のカラー化率は100%となる。
 映画の世界では1958年の東映動画(現:東映アニメーション)による長編映画は最初からカラーだった。実写映画は60年代末期まで白黒映画が少なくなかったのに対し、アニメはNGフィルムが出にくいという性質からカラー化が先行したのである。テレビでそうならなかったのは、制作をカラー化しても受像機が普及していなければペイしないからだ。
 「どろろ」の原作漫画は、手塚治虫が1967年に「週刊少年サンデー」誌上で連載開始した。戦国時代の乱世――父の欲望で身体各部を鬼神に奪われた百鬼丸という若者が、盗賊の子ども“どろろ”と妖怪退治の旅を行い、欠損を取りもどしていく。水木しげる中心に起きた妖怪ブームに対抗した部分もあり、それまで科学が牽引していた幸福感が公害問題や交通戦争など文明の暗部へと転換し始め、政治闘争が起きるという社会の大激変期の雰囲気が投影されている。アニメーション制作は虫プロダクションが手がけた。「鉄腕アトム」から6年が経過し、著名な手塚漫画も「ジャングル大帝」(65)、「リボンの騎士」(67)とアニメ化が立て続けに行われた後で、華々しい時期はピークを過ぎ始めていた。1966年初頭には「ウルトラQ」を代表とする特撮番組が選択肢に加わり、裏番組の「W3(ワンダースリー)」(65)を視聴率で圧倒するという事件も起きている。
 こうした変化を反映し、1968年の虫プロは川崎のぼる原作のスポーツもの「アニマル1」や、江戸川乱歩の古典的探偵小説「少年探偵団シリーズ」を現代風にアップデートした「わんぱく探偵団」を手がけ、手塚治虫色から離れ始めている。「どろろ」の連載も迷走し、手塚はいったん連載を中断して「バンパイヤ」という人間が動物に変身するホラー漫画を始めた。このテレビ化は、系列の虫プロ商事株式会社が製作した実写とアニメーションの合成作品となった。要するに「アトム」で築いたはずの「手塚漫画を続々とアニメ化する」という虫プロの優位性と特質は、失われていたのである。
 1968年でむしろ注目したいのは、10月からスタートした石ノ森章太郎原作の「佐武と市捕物控」のテレビアニメ化である。これは夜9時という「大人の時間」の異色時代劇であった(第27話より夜7時台へ移動)。制作も石森プロが元請けで、アニメーション制作をスタジオ・ゼロと虫プロダクションで分担(後期は東映動画も2話分参加)する、変則的な体制である。原作は「どろろ」の前年に同じ「少年サンデー」で連載された少年漫画だったが、1968年に青年向け漫画誌として創刊された「ビッグコミック」に転籍する。その結果、内容的にも表現的にもアダルトテイストへ大きくシフトした。特に江戸の四季の風物を詩的な映像として追うといった表現の進化は、大きな評判を呼んだ。
 アニメ化もそれに呼応した成熟の映像を多々打ち出していく。特に虫プロ担当分は村野守美、りんたろうらがエッジの立った先鋭的な演出を連発し、虫プロ後期の表現主義的な印象を決定づけている。画面の大半を黒で潰し、般若の面を写真貼りつけで表現するなど、想像力を触発する挑戦的な画面づくりを続発している。描線もエネルギッシュで荒々しいものとなっていて、それはこの時期の技術革新「トレスマシン」の導入によるものだった(本連載の第2回を参照)。こうした「野性味」「挑戦精神」「表現のエッジ」は1970年代に虫プロから独立していった会社のひとつマッドハウスの作風のルーツにあたる。前回述べた川尻善昭監督の「妖獣都市」もその代表だ。2019年版「どろろ」がマッドハウスの流れをくむMAPPAと手塚プロダクションの共同制作で、60年代後半に虫プロで台頭していったアニメーター杉野昭夫が原画を担当しているという点には、大きな意味がある。
 こうした流れの後に制作された「どろろ」は、必然的に手塚キャラの漫画的テイストやコミカルな表現から距離をおくことになった。スタート時の総監督は虫プロダクション創設時からのメンバー杉井ギサブロー監督で、麻雀劇画でも著名な北野英明による大人びたデザインの百鬼丸は、1970年代に急成長する思春期向けアニメの青年キャラの原型のひとつにもなった。手塚治虫自身は漫画・アニメと「どろろ」についてネガティブな発言を多く残している。テレビ化についても「予算がなくて白黒となったので不満」(趣意)としているが、これは少々定説と異なっている。先行して作られたカラーのパイロット版に対し、流血がテレビ放送にふさわしくないという意見が放送局やスポンサーサイドから出た結果、白黒が採用された。杉井監督や美術スタッフは、これをむしろ好機ととらえ、時代劇としての説得力、迫力を増すために、モノクロの重厚な時代劇映画を参考に「乱世もの」と「政治の季節」の苛烈さを重ね合わせようと試みた。だが、「ギャグものに路線変更したい」という手塚治虫の提案に違和感を覚えた杉井監督は降板し、第14話から「どろろと百鬼丸」と改題されてしまう……。
 このように随所に歪みのあるシリーズではあるが、出崎統演出の第13話「ばんもんの巻 その三」のように、この時期、この瞬間にしか成しえない独特の雰囲気を宿した情熱のテレビアニメである。時代が内包したコンフリクトが、簒奪された者たちが秘めた抑圧のエネルギーを高め、挑戦的な表現として放たれたのだった。その熱い姿勢は1970年に出崎統の初監督作品となる「あしたのジョー」に受け継がれ、テレビアニメの世界に数々の革新をもたらすことにつながっていく。
 こうした歴史的背景のある「どろろ」――それを2019年の新作として、どのように再提示しようとしているのか。新たな挑戦の到達点を、最後まで見届けていきたい。

追記:2019年2月10日に開催されるワンダーフェスティバル2019[冬]に、氷川が理事をつとめる[ATAC]特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構が展示を行います。ブースではロストテクノロジーとなりつつあるトレスマシンを持ち込み、動画からセルへの転写を展示員が実演を行うとともに、希望者には体験していただくことを予定しています。ぜひご来場ください(氷川は都合により欠席いたします)。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

どろろ(1969)

どろろ(1969) 3

時は室町時代、戦国の世。父の野望の犠牲となり、魔神に身体の48箇所をもぎ取られて生まれた“百鬼丸”。呪われた運命の下、「48の魔物を倒せ!」という闇の声を聞いた彼は、天涯孤独な少年“どろろ”と共...

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