2019年8月31日(土)19:00
【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第19回 テレビ再編集映画の変遷と時代性
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富野由悠季監督の最新作「劇場版 ガンダム Gのレコンギスタ l 行け!コア・ファイター」が11月29日より2週間限定上映される。テレビシリーズ終了時(2015年3月)から構想が聞こえていた、待望の作品である。「再編集映画」は富野監督の得意ワザではあるが、物語構成や語り口ふくめて見直し、全5部作でリリースする点に驚いた。テレビ版は全26話だから、かなりの物量をカットせず入れられる長さであり、もはや「総集編(ダイジェスト)」ではないということになる。この新しさを考えるためには、「テレビアニメの劇場公開」というスタイルの歴史的確認が必要だ。
最初はやはり初の30分テレビシリーズ「鉄腕アトム」であった。放送2年目の1964年7月に数話をセレクトして再編集し、劇場映画「鉄腕アトム 宇宙の勇者」として日活配給により夏休み興行となった。ほぼ同時期に東映では「まんが大行進」と銘打ち、「エイトマン」「鉄人28号」「少年忍者 風のフジ丸」「狼少年ケン」「忍者部隊月光」と、テレビアニメと特撮の人気作を一気上映する興行を仕掛けた。後の「東映まんがまつり」の原点だ。だからテレビアニメ黎明期から、それを劇場にかけること自体は一般的であった。
形態としては一部手直し程度で、テレビそのままが大半だ。ただし「鉄腕アトム」は白黒受像機全盛期の作品ゆえ、一部をカラー原版として劇場集客の価値としていた。1970年代中盤までテレビアニメは劇場用の35ミリで撮影され、局納品は16ミリの縮小プリントで行われていた。だからネガ原版から劇場用プリントへの転換は容易だった事情も「そのまま」になった大きな理由だ。ただし特撮は16ミリ原版のため、現像所の光学処理で「ブローアップ(拡大)」して35ミリフィルムに転写するため、粒子が荒れる弱点があった。
70年代後半になると、「テレビアニメ総集編の劇場公開」は現在につながる「多彩なアニメ観客層と作品の多様性」の呼び水となり、歴史の転換点を刻んだ。それが1977年8月公開の「劇場版 宇宙戦艦ヤマト」である。その最大の価値は、「テレビの枠に収まりきれない大スケールの世界観と緻密な映像を劇場用スクリーンに提示する」ということだった。企画はアメリカのテレフィーチャー(映画枠の放送)用再編集からスタートしたが、この劇場公開が「アニメは明らかに変わり、もはや子ども向けだけではない」という事実を大衆に示すこととなったのだった。
「ヤマト」大ヒット以後、当然の成り行きとして次から次へとテレビアニメの再編集映画が作られていく。ところがそれは「ヤマト」以後から1982年ぐらいまでが全盛期で、その後は急速に衰退している。その流れを駆け足で追ってみよう。
「ヤマト」の翌年は「科学忍者隊ガッチャマン」(1978年7月)が松竹系で公開されている。すぎやまこういちが映画用に音楽をリニューアル、N響(NHK交響楽団)のゴージャスな演奏を立体音響で聞かせる点に新規の価値があった。他にも名作とされていた作品は、「アルプスの少女ハイジ」(79年3月)、「海のトリトン」(同7月)、「未来少年コナン」(同9月)、「あしたのジョー」(80年3月)、「家なき子」(同9月)、「母をたずねて三千里」(同7月)などが続々と再編集で劇場公開されている。
1978年に創刊された月刊専門誌「アニメージュ」の1979年刊行分は、こうした劇場公開の影響で「トリトン」「コナン」が表紙を飾っていた。ところが同年は続々と作家性が目立つ新しいタイプのアニメ作品が登場する年でもあった。「機動戦士ガンダム」(テレビ版)、「劇場版 銀河鉄道999」「ルパン三世 カリオストロの城」など話題作が続々登場し、歴史のページがめくれるような感覚が生じるのと並行し、アニメ雑誌は旧作依存から脱却していく。そこに至るスターターキットのような役割を、再編集映画は果たしたとも言えるだろう。
例外として注目すべきは「あしたのジョー」の劇場公開だ。これは新たな世代にヒットし、結果として出崎統監督による「あしたのジョー2」が制作スタートする。しかも1980年10月からテレビシリーズを先行し、1981年7月には溜まったフィルムの再編集に加え、放送を追い超して有名な「真っ白に燃え尽きるラスト」を劇場で先行公開する、変則的なスタイルだった。これを「アリモノ(旧作)の再調理でも観客は来る」という共通認識の限界と見ることができる。
事実、三部作となった「劇場版 機動戦士ガンダム」(81年3月、7月、82年3月)も、この時期の公開である。「1~2年の長いフィルムを1本にダイジェストにする」という無理スジの編集とは異なる志をいだき、「映画的要素と大河的なストーリー」を精度高く再構築する劇場用映画化となった。
面白いことにガンダム公開期間のころ、再編集映画の様相が変化している。「宇宙戦士バルディオス」(81年12月)、「THE IDEON 接触編・発動編(伝説巨神イデオン)」(82年7月)は「打ち切り」となったテレビシリーズの総集編に「真のラスト」を新作で加える趣向だ。そして「あしたのジョー」と同じ原作者・梶原一騎のスポーツもの「巨人の星」(82年8月)はさほどヒットしていない。「再編集映画が必ずしも作られるものではない」と危機感を抱いたファンは1万人の署名を集め、「六神合体ゴッドマーズ」(82年12月)の劇場映画化を実現させる。
またストーリーの再現性にムリがあることを自覚した結果、「戦国魔神ゴーショーグン」(82年4月)、「ザブングルグラフィティ/ドキュメント 太陽の牙ダグラム」(83年7月)などは、すでに分かっているファンが劇場に集結して楽しむ「名場面集的ファンムービー」として作られている。
このように、時代の流れとともに「公開目的」は着実に推移している。そしてこの83年後半以後、テレビ流用の劇場映画は急速に姿を消す。その「興亡の理由」は明解だ。同年末、非アダルト作として世界初のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)「ダロス」のリリースが始まる。ビデオ用アニメの年表を見れば、テレビアニメの総集編、名場面集、続編企画が80年代中盤、特に集中していることがすぐ分かるだろう。
劇場公開は「固定された場所」を事前に押さえるという点で、リスクが大きい。着実に好きなファンの手元に届き、客単価は高騰する一方で、反復視聴も可能となる「ビデオパッケージ」が「再編集映画の役割」を代替することになったということなのだ。携帯電話の世界では新規格が旧規格を置き換えることを「巻き取り」と呼ぶが、それはどのメディアでも起きる変遷なのである。
では、なぜまた「再編集映画の劇場公開」なのか? それはシネマ・コンプレックス時代以後、小規模劇場公開シリーズでいくつもヒット作が出るようになったビジネス環境の変化によるものだ。テレビアニメ自体も35ミリ制作は70年代中盤までで、「機動戦士ガンダム」も16ミリ原版からのブローアップで苦労しているが、地上波デジタル放送時代以後はテレビでもHD制作が一般化している。
こうして条件設定が変わった場に「テレビよりも長いかもしれない再編集映画」という前代未聞の挑戦状を叩きつけるという姿勢が、実に富野由悠季監督らしい。そして歴史とは、直線的に変化するものではなく、外部条件の推移と化学変化を起こしつつ、同じようなことが螺旋のように繰り返される性質をもっている。
「ガンダム Gのレコンギスタ」自体が、そのような発想の物語を描いている。であれば、どのようなシンクロニシティを作品の内外に見せてくれるのか。そんな観点でも楽しみな劇場公開となった(敬称略)。
氷川竜介の「アニメに歴史あり」
[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ) 1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。
作品情報
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