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特集・コラム 2024年6月29日(土)19:00

【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第52回 安彦良和回顧展とアニメの転換点

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6月8日から兵庫県立美術館で「描く人、安彦良和」展がスタートした。漫画家、小説家、監督、アニメーター、イラストレーターなど多彩な活動をした安彦良和の足跡を追う回顧展である。会期は9月1日まで、その後は9月21日から島根県立石見美術館をはじめ、巡回も予定されている。
 2006年にも八王子市夢美術館で300点規模の「安彦良和展」が行われたことがある。漫画の原画展なども複数あったが、今回はまったく違う。展示総数はなんと1400点以上におよび、格段に規模が違うのだ。初出となる画稿も大変に多く、実現に至らなかった企画書など文書類もあって、開発段階の筆致、創作の源泉に迫れるのもひとつの特徴だ。
 自宅の物置きに長年しまい込まれていた数々の資料を学芸員たちが発掘し、下書きやラフなど徹底的に精査した成果であると聞いた。展示しきれないほどの量が発見され、その中から選りすぐりのものを並べたという点で、まさに空前であり圧巻の展覧会なのだ。
 筆者が注目したのは、中でも「長年の謎」が解けるような秘蔵資料であった。その代表が「宇宙空母ブルーノア」のシリーズ構成だ。絵のない文字が並んだ資料であるため、内覧会では素通りする人が多く、大変残念に思った。そこで今回は、その発見の意義をすこし詳しく解説しておこう。
 1979年4月からテレビアニメ「機動戦士ガンダム」がスタートした。画期的すぎる作品だから、若いファンはスタッフがこれ1本にかかりきりになった作品だと思いこんでいることだろう。精魂こめたことは間違いないのだが、実は富野由悠季監督、メカニカルデザインの大河原邦男、美術監督の中村光毅らメインスタッフ全員が、他のアニメ作品と「かけもち」であった。まだそれほどクリエイターの総数も多くなかったし、兼務でないと食えない時代だったからだ。
 安彦良和も例外ではない。よく知られているのは、同年7月31日に放送されたテレフィーチャー(2時間枠の単発テレビアニメ)「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」だ。78年8月の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」と、それをテレビシリーズ化した78年10月放送の「宇宙戦艦ヤマト2」に対し、安彦良和は絵コンテで参加していた。特に後者は劇場公開の前者のラストを大きく変更し、全26話に展開するシリーズ構成を、ノンクレジットで担当している。
 その流れで、「ガンダム」放送中にもかかわらず、「新たなる旅立ち」の絵コンテと、赤ん坊のサーシャが登場するくだりの原画を安彦良和が担当することになった。西崎義展プロデューサーが安彦良和の画業に惚れこんでの結果だった。
 展覧会の膨大な画稿を見れば、その手の速さが分かるはずだ。それゆえ可能となったことでもあった。とは言うものの、流れが続いて79年10月スタートのテレビアニメ「宇宙空母ブルーノア」――「ヤマト」と同じ西崎プロデューサーによる新作の準備も、安彦良和が手がけていたことは、意外と知られていない。完成した「ブルーノア」には参加していないからだ。
 その参加と降板は筆者周辺ではウワサになっていたのだが、確たるエビデンスがないため、これまで言及を控えていた。これでやっと公になって安堵したという次第なのだ。
 では、その参加と降板は、いったいなぜ重要なのだろうか。それは「機動戦士ガンダム」に関し、安彦良和の関わり合いの「密度感」が、この「ブルーノア参加」の「以前以後」で大きく変化しているからである。
 「ガンダム」の放映リストを見ると、「作画監督:安彦良和」の多さ、その異常さがまず目立つ。通常、原画は4週間で1話分のローテーションを組むものだから、東映アニメーションのロボットアニメでは作画監督もその単位で回っていた。だが、「ガンダム」では第1話から第3話まで3本連続「作画監督:安彦良和」で、その先も第6話と第7話、第9話と第10話と、2本連続の連投が目立っている。それだけ作品が気に入って、思い入れがあったということではないだろうか。
 ところがこの密度が妙に薄い箇所が、ワンクール過ぎる前後に出現するのだった。
 2本連続、3本連続の登板が消える第11話から第16話までをスポット的に精査してみよう。そのエリアでは何かと注目作の第13話「再会、母よ…」が唯一の「作画監督:安彦良和」であり、他の5本は担当していない。それ以前のローテーションを考えると、妙に感じられるのである。
 第15話「ククルス・ドアンの島」に代表されるように、ちょうど1話読みきりのエピソード編が集結しているブロックでもある。その回で完結しているストーリーも多く、劇場版の増補改訂時に割愛された部分も多いため、あまり気にされていないのではないか。
 しかしこれは注目すべきターニングポイントである。今回、「歴史を大きく変えた」ものだと革新した。それを裏づけるのが、「安彦ブルーノア資料」に明記された日付だ。なんと79年6月21日、25日とある。
 第13話「再会、母よ…」の放送日をチェックすると、6月30日と直近なのだ。筆者は心中飛び上がり、近くにいた内覧会参加者に日付を指さして注目を集めた。つまりこれこそは「ガンダムへの関与が薄い時期」に書かれたドキュメントなのである。換言すれば、「西崎義展プロデューサーに取られそうになった時期」ということなのだ。
 この時期、強固な意志をもって西崎プロデューサーと縁を切った経緯は、安彦良和が以下のように語っている。
「彼は人をとっつかまえたら離さないところがあって、僕は途中で、もう「ガンダム」と同時に「ヤマト」までやってられないってのもあって、抜けたくて抜けたくて仕方がなかったんですけど、抜けられなかった。最後にはもう相当シリアスなケンカでもしない限り抜けられないと思って、シリアスなケンカをして抜けました。」(講談社発行、Web現代ガンダム者取材班編、「ガンダム者 ガンダムを創った男たち」2002年10月9日発行より)
 さらに6月下旬に刻まれた日付の意味を裏づける雑誌記事も存在している。それは安彦良和が初めて「ガンダム」のイラストを表紙に描きおろした月刊「アニメージュ」(徳間書店)79年9月号(8月10日発売)、その特集に掲載された特別寄稿“アムロと母に想う”である。
 このエッセイは、ウワサの「ブルーノア参加とそこからの帰還」を裏づけるものではないかと、当時の筆者は考えていた。文中、安彦良和は第13話を絶賛し、どこにやりがいがあるかを熱く語っている。あげくアムロと別れる母の背後、車で待っている男性が「間男」であり、絵コンテに明記されていることも紹介した。衝撃の事実にファンは騒然としたから、ご記憶の方もいるかもしれない。
 しかし筆者が驚きとともに、さらなる注目をしたのは、締めくくりとして書かれた以下に引用するブロックである。
「このような作品の創作に参加できるということは大変うれしいことである。創り手のいつわらぬ心情や本音をかいまみてしまうことは無上の快感である。少なくとも、こういう充足感は〇億の金をかけた大作のミクロのスタッフとしてや高名な原作ものの窮屈な製作過程からは得られない。
 だからこそオリジナルアニメは創られなければならない。
 私自身もそうした作品との関わりを、できれば、それのみをこれからも求めつづけていきたい。」
 掲載当時の筆者は、これぞ「ブルーノア離脱と西崎義展プロデューサーとの絶縁直後の感慨」であろうと読んだ。近い時期、富野由悠季監督も安彦良和も、さかんに「メジャーへの反逆」を語っているのも一因だ。この「メジャー」とは、西崎義展プロデューサーの方法論を代表とするものであろうし、「〇億の金をかけた大作」は「ヤマトの続編」やそれが可能とした「ブルーノア」のことではないだろうか。
 なぜならば、メジャー志向からマイナーかもしれないが、より人肌が感じられる、愛おしい作品への参加を誓っているからである。極端な見方をすれば、「ヤマトの時代から、ガンダムの時代への転換点」がここに刻まれている。そして推測に過ぎなかったその転換点は、79年6月20日からほどなく、つまり第13話「再会、母よ…」の放送日6月30日にあったとなると、さらなる「問い」が深まっていく。
 うがち過ぎかもしれないが、若手スタッフとの共同作業で作画の方法論を革新した第19話「ランバ・ラル特攻!」が放送されたのは8月11日だからだ、これが掲載されたアニメージュの発売日の翌日なのである。その表紙、母に会いにいく姿のアムロが読者をにらみつける鋭い視線を見ていると、「ガンダムに本腰をいれたタイミング」が、この時期と一致しているとしか思えない。

今回の「描く人、安彦良和」は回顧展に位置づけられている。なおかつ総展示数が飛躍的に多いという特徴は、こうした検証のヒントを無限にあたえてくれるものである。関係者の尽力には、心底感謝ばかりである。
 文章による資料掲示も多いため、じっくり読んでいくと4時間、5時間かかるような密度感である。しかし、あの多才な安彦良和でさえもが、これぐらいの物量を積みかさねた上に、ごく一部が花開いたということでもある。それが実感できる点でも、若いクリエイターを触発するまたとない機会だ。
 設計したものがすんなり完成に結びつくわけではないのだ。その成立にはさまざまな現実世界のドラマがある。その中には歴史を左右する「究極の選択」さえもが含まれている。そのことは、ぜひ目に焼きつけておいてほしい。自分もいつか、歴史を変える当事者になるために。
 いろんな事実や仮説とクロスチェックしていけば、まだまだ歴史的発見がありそうである。「創作とはなにか」を考える人、特に若手には大きな刺激となるはずである。この機に、新発見を試みる研究者、時代を変えるクリエイターの登場に、期待したい。(敬称略)

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

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描く人、安彦良和 0
開催日
2024年6月8日(土)
時間
10:00開始
場所
兵庫県立美術館(兵庫県)

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