2024年8月31日(土)19:00
【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第53回 「きみの色」スクリーンへ飛ばした心情の反射
(C)2024「きみの色」製作委員会
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アニメ映画の多くは、「たとえ話」として機能する。「アニメをつくる行為」自体が、現実世界を構成する諸要素を分解して「誇張と省略」の作法によって再構築することだから、情報を巧みにコントロールすることで、現実の認知を再定義できるからだ。
8月30日公開のアニメ映画「きみの色」は、そういうタイプの作品である。山田尚子監督初となる完全オリジナルの長編で、挑戦的でありながら口当たりは優しい。ひとつの青春を疑似体験した感覚が、客電が点灯した後も残り続け、劇場を出たとき外界が再定義されたように瑞々しく見えるし、脳内にいつまでもテーマソング「水金地火木土天アーメン」が響きわたり、心の中に定着した体験性は清涼感とともに残っていく。
脚本は吉田玲子、音楽は牛尾憲輔と、「映画 聲の形」(16)、「リズと青い鳥」(18)、「平家物語」(21)から続くメンバーが、阿吽の呼吸で支えた点も、映画の芸術性や説得力を高めている。アニメーション制作は「平家物語」以後、山田尚子監督が組んでいるサイエンスSARUである。その美麗な映像づくりも繊細な心情表現を支えている。
物語はシンプルな青春ストーリーだ。トツ子ときみとルイ、女性ふたりに男性ひとり、偶然に出逢った3人がバンドを結成することになり、練習を重ねていく。各人の心の奥にある悩みや過去も描かれるが、あくまでも主軸は現在と未来におかれている。刻々と進んでいく不可逆な時間と空間の大切さは、やがてクライマックスで浮き足立つような晴れやかな気分や、ささやかな幸せな気持ちへと一気に転化していく。そんな映画だ。
新海誠監督の映画「君の名は。」(16)が空前のヒットとなって以後、オリジナルアニメ映画が毎年作られてきた。多くは高校生がメイン登場人物で、心身ともに不安定な時期の男女が登場する青春ものである。夏が季節に選ばれ、成就に困難のある切ない恋愛が描かれることも半ば定番と感じられる。
本作は青春中心ではあるが、ベクトルは異なり恋愛の三角関係は存在しない。三者の演奏がひとつになるシーンもキービジュアル化されているので、音楽メインのような錯覚をするかもしれないが、ミュージックビデオ的ではない。何かと既成概念からハミ出るユニークな映画なのだ。
山田尚子作品では「五感とは何か」が語られてきた。聴覚を封じた「映画 聲の形」、音の響きあいを追及した「リズと青い鳥」、オッドアイによる未来幻視の「平家物語」。今回は「色の意味」を追及している。主人公のトツ子は「人」に感情の「色」が見えるという。ミッション・スクールの学内で、きみという女子に見た鮮やかなブルーの色。題名の「きみの色」はそれに引っかけてあるが、そこには「君の色」の意味もある。トツ子は他者の色しか認識できず、自分の色が分からないのだ。
スペシャルPVにこんなセリフがある。「色というのは光の波のようなもので、長さの違う光の波で、いろんな色のかたちになる」 もちろん楽器の奏でる「音」も「波」である。だからバンドの合奏は、波の響き合い、ぶつかり合いとなる。そこに至る過程で「自分の色」を見いだしていく物語とも考えられる。
アニメで「色」と言えば「塗られた属性」なのだが、現実は「色指定」のようにペイントされているわけではない。光源からの光が物体の表面に当たったとき、吸収する波長と反射する波長がある。その反射波が目に入ったとき「色」として認識される仕組みだ。だから光源の変化(たとえば夕刻になるとか)で容易に色は変わるし、さらには隣に何色が来るかで変化して見えるなど、主観的かつ相対的なものなのだ。
その色合いになぞらえて、人間関係をどんなきっかけで、何を手がかりに、どう構築していくか。それで「君の色」も変わっていくし、合奏したとき波の響き合いがうまく行き、なおかつオーディエンスとも響きあえば、その場に特有の「色」も生じる。そこに「自分の色」の居場所もできる。
この映画が、世界と人と人との関係、それをつなぐ媒体の本質をつかむための「たとえ話」であるサインは、随所に込められている。たとえば空間の巧みな設計。表通りから見えないような、秘密めいた古書店の中には多くの段差があり、店内を移動するだけで上下の差ができる。これは個人の内面を暗喩したものなのだろうか。対照的に教会の内部はやたら広く、装飾も整然としたフォーマルな場だ。一方、練習する倉庫は空間こそ広いものの雑然としていて、質が異なっている。こうした差は静かに進む物語にダイナミズムをあたえている。
楽器に関しても、あえて世界初の電子楽器テルミンが使われている点に注目したい。ロシアで開発され、両手と電極の間にある静電容量を変化させて発振を変化させて音を生じさせる仕組みだ。鍵盤のように決められた音階は出せず、不安定で奏者の技量が必要である。1950年代のSF映画では宇宙的な感覚や恐怖心の表現で使われるなど、神秘的な要素もある。何もない空中から音を引きずり出すようにして演奏する点で霊的でもあり、本作の「色や音の追及」に似合っているのだ。
もちろん、こんな理屈っぽいことをいちいち考える必要はない。多くの事象は一見淡々と進むが、いろんな手がかりが奥深い情感を醸し出すべく散りばめてあるから、しっかり見つめてほしいだけである。
青春期は誰でも通過するものなのに、体験性や覚えた感覚は消えてしまう。しかし完全消滅ではなく、どこか深いところに残滓が眠っていて、何かの刺激で浮かんでくる。「きみの色」は心の深度を掘り下げ、「こういう時期にこんなことを感じて、こんな人たちと、かけがえのない時間を過ごしていたかもしれないな」と、架空の「体験」が過ごせる。そこに最大の価値がある。ストーリー盛り上げのために用意された「試練や困難」が次々と襲ってくるような、ハリウッド式シナリオ術とは違い、画面から刺激的な情報が飛んできたりはしない。親切な解説もない。
その分、気になることに対し観客側が前のめりになればいいのだ。スクリーンの向こうに気持ちを飛ばせば飛ばすほど、いろんな色が反射して戻ってくる仕掛けである。その色の波長が、ほんの少しだけ凍えて固くなっていた観客の気持ちを解きほぐしてくれるであろう。リッチな色彩、柔らかく繊細な動き、ほんの一瞬にこめられた情感。それらがうねりのように統合されたとき、アニメーション映画は現実を超える感覚を、引きずり出してくれる。そのことを再確認させてくれる貴重な作品が誕生した。
氷川竜介の「アニメに歴史あり」
[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ) 1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。
作品情報
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わたしが惹かれるのは、あなたの「色」。高校生のトツ子は、人が「色」で見える。嬉しい色、楽しい色、穏やかな色。そして、自分の好きな色。そんなトツ子は、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみと...
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