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特集・コラム 2021年3月13日(土)19:00

【前Qの「いいアニメを見にいこう」】第35回 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が終わっても人生は続く

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※編集部注:映画本編鑑賞後に読むことをお勧めします

弟子の的川泰宣によれば、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫は生前、「独創力を発揮するための三条件」を以下のように語っていたという(※)。「一度決心したことは、石にしがみついてでもやり遂げる強い意志」を持つこと、「過去にどんな人がいて、何をやったかを徹底的に学習」すること、そして、独創的な仕事が埋もれないように、「他の人とのネットワークをしっかり築いてよい関係を作っておくこと」。読んだ瞬間、ひとりの人物を思い浮かべた。庵野秀明だ。

前作「Q」から8年以上の時を経て公開された、シリーズ完結編となる「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。新劇場版プロジェクトの始動からは、およそ14年になる。最初のテレビシリーズからカウントすれば、足掛け25年。テレビシリーズの準備期間もカウントすれば、ほぼ半生をかけたプロジェクトだ。

完成した映像には、高畑勲的な農本主義コミューン=「風の谷のナウシカ」「おもひでぽろぽろ」、「宇宙戦艦ヤマト」、「機動戦士ガンダム」、小松左京作品、東宝特撮などなど、数多の作品のエッセンスがこれでもかと詰め込まれていた。庵野自身が作り上げた「ふしぎの海のナディア」「トップをねらえ!」の匂いも感じられ、さらにはこれまでの「エヴァ」も含まれている。テレビシリーズ全26話と劇場版、新劇場版の先行する3本の内容を分解、再構築して自作に取り込み、物語のうえでも、テーマ性のうえでも、しっかりと一本の筋を通してみせた。かつてのテレビシリーズと劇場版に対して、本来あるべきだった物語が完遂されなかったとして不満を抱えた人も、逆に、あのビルドゥングス・ロマンの失敗にこそ重要な何かがあると感じた人(私のように)も、新劇場版から本作に触れた人も、いずれも満足させ得る、堂々の大団円だったのではないだろうか。

正直なところ、今作の公開前、私の新劇場版に対する思いはあまりポジティブなものではなかった。企画発表時には、思春期の美しい思い出を汚されるような気がして脊髄反射的に反発したし、実際に公開された「序」も、単に映像面をグレードアップしただけの空疎なものに見えた。「破」は映像としての強度の高さには唸らされたが、二次創作的なファンサービスが行き過ぎているように感じたし、「Q」はテレビシリーズのライブ感を表層的になぞった、「一度目は悲劇、二度目は喜劇」を地で行くようなものと感じていた。しかし、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見届けた今では、大きく見方が変わる。プロジェクトに対して、感謝の気持ちがある。

かつての劇場版は、暴力的に「現実に帰れ」というメッセージを観客に叩きつけた。その衝撃を重く受け止めたうえで、私はアニメを見るのを止めなかった。むしろ、その経験によって、アニメという表現形式に対する執着を強く抱えたといっても過言ではない。そのパラドックスに対して明確な答えを出さないまま、現在まで生きてきた。オタクであることを止めなくとも、現実を生きられるはず。それを立証するために、ずっと必死だった。

新劇場版のメッセージは、「現実を生きよう」だと受け止めた。「帰れ」ではなく、「生きよう」。他人と向き合う痛みを引き受けて、ゆっくりとでも、自分の世界を広げること。アニメファンであること、オタクであることが問題なのではない。問題は、アニメであれ、なんであれ、何かに強く依存することによって、他者との関係をきちんと取り結べないことなのだ、と。

凡庸な結論だ。そう批判する人も、少なくないだろう。25年もかけなければ辿り着けないようなものか。それを描くために、壮大なSF設定と、すさまじい映像によるスペクタクルが必要なのか。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が大きな反響を巻き起こし、シリーズのファンとしての前提を共有しない、外部の視線にさらされることが増えるほどに、おそらくそうした声は大きくなることが予想される。その論理に一定の正当性を認めつつも、私はやはり、否といいたい。なぜなら、この世界に生きるどれだけの人が、家庭で、学校で、会社で、政治の場で、そうした「凡庸な結論」を引き受けられているかと思うからだ。理屈のうえで凡庸であっても、実践としてどうか。私たちの社会は、未だに根本的なコミュニケーション不全の只中にある。他人としっかりと向き合えている人は、思ったよりも少ない。そうした認識は、劇場版の時点よりも、新劇場版が完結を迎えた現在のほうが、私の中で強くなっている。だから、他者ときちんと向き合うべきだという「凡庸な結論」を繰り返す必要がある。何度でも。

さて、庵野秀明というひとりのクリエイターが、心血を注ぎ込むようにして作り上げた「エヴァ」の世界は終わった。しかし、これで「エヴァ」は終わるだろうか。想起するのは、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」だ。あの作品で、富野由悠季はアムロとシャアを通じて描くニュータイプの物語としての「機動戦士ガンダム」のサーガを終わらせた。だが、その後も宇宙世紀の物語は続く。ファンによって年表やキャラクターのバックボーンがさらに掘り下げられ、モビルスーツの存在のみを共通とする別世界のシリーズも作られ、「ガンダム」のフランチャイズ展開は、現在も華やかだ。「エヴァ」も遠くない未来に、おそらくはそうなるのであろう。こう書いている現在も、ファンの考察や、無数のファンアートがSNSに流れてくる。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で登場した新設定に準拠した「エヴァ」グッズも、これから次々と世に送り出されることだろう。各種コラボ展開も、ファンが求める限り続くに違いない。こうした流れが、やがては映像作品として、まったく新しい「エヴァ」に結びつく可能性もありうる。そうしたものに一喜一憂しながら、私たちの現実は続く。先に書いたとおり、劇場版のあとは、そんな現実に対する嫌悪感があった。でも今は、それでいいのだと思える。「止められない喪失の予感」を知ってもなお、期待と幻滅の繰り返しを楽しむことが、人生だから。そして、そのような無数のリアクションの連なりによって作り上げられる、人と人の繋がりが、庵野秀明が「エヴァ」でなしとげたことを肯定する。「コピーのコピーでしかない」ことに苦悩し続けたひとりのクリエイターの、「独創」を証明すると思うからだ。

(※『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』藤尾秀昭監、致知出版社 P35)

前田 久

前Qの「いいアニメを見に行こう」

[筆者紹介]
前田 久(マエダ ヒサシ)
1982年生。ライター。「電撃萌王」(KADOKAWA)でコラム「俺の萌えキャラ王国」連載中。NHK-FM「三森すずことアニソンパラダイス」レギュラー出演者。

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