2018年11月28日(水)19:00
【明田川進の「音物語」】第17回 田代敦巳氏の思い出(前編)グループ・タックの名前の由来
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僕は、今でもたまに会社の電話をとると、「グループ・タックです」と言ってしまうことがあります。自分で言って「えっ」と思ってしまうのですけどね(笑)。タックは自分たちでつくった会社だという意識があって、自分なりの夢もありましたので、それぐらい思いいれのある会社でした。
タックを一緒に立ちあげた田代敦巳氏は、虫プロ時代の制作進行の先輩でした。彼は日芸の放送学科出身で、虫プロに音響の専門セクションをつくろうと早いうちから考えていたと思います。第7回 でもお話したように、僕が虫プロに入ったのは大学4年のときで、映画評論家の瓜生忠夫先生が教えるマスコミ論のゼミをとっていました。その授業の論文を提出するときに田代氏に相談したことがあって、それが最初に話すきっかけだったと思います。
その後、進行の仕事をしているとき、りんたろうから「アケも自分で何か技術を身につけたほうがいいんじゃないの」ということを言われたんです。学生時代は芝居を少しやっていて、映画や音楽も好きでしたので、田代氏に話して音響のアシスタントを「ジャングル大帝」からやることになりました。次の「新ジャングル大帝 進めレオ!」からは虫プロ内で効果音もつくることになり、六本木にある東京スタジオセンターという日活系のスタジオの地下を年契約で借りるようになりました。
田代氏はバイタリティがあって、虫プロのなかで何かやりたいという意欲をもっている人でした。また、絵を描くポジションではありませんでしたので、社内では田代氏が唯一、声優さんや作曲家、テレビ局といった外部とやりとりするパイプ役だったので、そうした姿を見て自分もやりたいなと思ったんです。自分が音響をやりたいと思ったときに、先輩の田代氏がいい道を築いてくれて、その中に入り込めたおかげで興味をどんどんもって音の仕事に取り組んでいけるようになりました。
虫プロ時代で思い出深いのは、みんなで自動車によるキャラバンをやったことです。田代氏も僕も車が好きで、田代氏は当時から自分の車をもっていました。日野・コンテッサというスポーツタイプのリアエンジン車ですが、今の人はご存知ないかもしれませんね。そんな田代氏が、年末からお正月にかけて車で全国の児童養護施設をめぐって、ギっちゃん(杉井ギサブロー氏)が子どもたちに手塚先生のキャラ(特に「鉄腕アトム」)を描いてやれば大喜びするだろうと言い出したんです。スポンサーも見つけてきて、広島にある多田製作所というおもちゃの会社から車を借り、明治製菓から子どもたちにプレゼントするマーブルチョコレートをいっぱいもらって、4人で交代して運転しながら九州の施設をまわりました。
暮れの虫プロの忘年会が終わると同時に、忘年会の会場から車を発進させました。年末年始はずっと九州ですごして、年明けの仕事はじめの朝にちょうど車で帰ってくる強行軍です(笑)。わりと評判がよかったので、その後も毎年3回ぐらいやって、大阪や中国地方のほうにもいきました。このキャラバンで仲間意識のようなものが芽生えて、ギっちゃんがタック設立のメンバーになったのは、そうした経緯もあってのことだったと思います。
第8回 でもお話したとおり、グループ・タックは、1968年に設立されました。名前の由来は、田代氏と作曲家の冨田勲さんのT、明田川のA、カンパニーのCで「タック」という意味づけもあったと思いますが、どちらかというと周りがそう言っていて、僕らはそれを否定しなかったというだけのことです(笑)。ハッキリした由来はなくて、「タックっていい名前だよね」という語呂のよさで決まったと記憶しています。当時、社名に「グループ」とつけるのは普通じゃない感じがあって面白いという話もして、「グループ・タック」となりました。
明田川進の「音物語」
[筆者紹介]
明田川 進(アケタガワ ススム) マジックカプセル代表取締役社長、日本音声製作者連盟理事。日本のアニメ黎明期から音の現場に携わり続け、音響監督を手がけた作品は「リボンの騎士」「AKIRA」「銀河英雄伝説」「カスミン」など多数。
作品情報
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