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特集・コラム 2020年8月29日(土)19:00

【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第29回 今敏監督作品が遺したメッセージ

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21世紀初頭に今敏監督と出会えたことは非常に幸運であった。今回は没後10年の節目にあたり、監督との仕事で得たものを振りかえってみたい。
 2002年――DVDによるパッケージ消費が定着し、日本のアニメがアメリカ、ヨーロッパを中心として評価が定着を始めたころだ。今敏監督はすでに「パーフェクトブルー」(1997)により、諸外国の論客や映像作家から注目されていた。長編第2作「千年女優」(02年9月14日公開)はドリームワークスによる世界配給が実現し、筆者は縁あってプレスシートとパンフレットへの寄稿、DVD解説書のインタビューと総論など、深く関わることができた。Webでのインタビュー連載でもこちらから指名し、それが初対面となった。監督はその一連を気に入ったようで、第3作「東京ゴッドファーザーズ」(03年11月8日公開)では最初期の宣材から担当する。
 最終的には長編第4作「パプリカ」(06)に加え、テレビシリーズ「妄想代理人」(04)、「パーフェクトブルー」もブルーレイ化で総論を書いて、全作品のパッケージに関わることになった。まだまだこれからの10年8月24日、突然の訃報には現実感を喪失した。気持ちの整理がつかないままマスコミに追悼対応した記憶は、いまだ生々しく残っている。
 今敏監督は各作品で、趣向や物語の方向性をあえて変えてきた。一方、卓越した画力と視線誘導を特徴とする画面構成(レイアウト)、映画的時空間を飛躍させるカッティングなどを駆使し、虚構と現実のはざまを転倒させる演出力は共通している。映像で何が語れるか、興味ある人が目を離せなくなるような表現力は人間の本質をあぶり出し、そこに国境を大きく越えられる普遍性があった。先の5タイトルは今後も時代を超えて古典として楽しまれ、同時にその奥深さが探求されることになるに違いない。
 さて、ここでは今敏監督作品のどういう部分が自分の関心をひいたのか、話題を絞って語ることにする。多くの論客が「表現と内容は不可分」という大原則を無視してアニメーション作品を扱う傾向に対し、筆者は改善したい意欲がある。自分には通信機器設計経験があり、そのアナロジーで考えることが多い。映画やアニメーションは同様に技術の産物であり、卓越した映像クリエイターには歴然としたメカニズムと理論の実践で全体を統御し、一体のものとして意味を伝える。だから小説に対する批評のように語るだけでは、不充分なエリアが残るはずなのだ。そうした欠落を検証するとき、今敏監督の作品と発言は、多くのヒントと指針をあたえてくれた。
 中でも「映画をフラクタル的に統御する全的な発想」は、実に印象的だった。いまだ正解はつかめていないものの、ここを掘り下げて考えると発見が多く得られる刺激的なものである。フラクタルとは提唱者の名をとってマンデルブロ図形とも呼ばれ、図形の一部と全部が自己相似的になっているパターンを指す幾何学上の概念である。自然界の植生や山脈、あるいは体内の血管構造なども不規則に見えて、実はフラクタルであることが分かっている。今敏が愛聴し、「千年女優」以後の映画音楽を手がけた平沢進も、自身の音楽にフラクタルを使い、芸術分野にも応用されている。
 これを今敏監督がどうアニメーション映画に応用しているのか。理解しやすいのは「千年女優」だ。物語は老女優・藤原千代子が語る身の上話で進行するが、次第に現実と夢と映画が混濁していく趣向の作品だ。各エピソードは「追う・走る・転ぶ」という一連の場面を、状況と時代を変えながら繰り返す。その総体である彼女の人生も、幻影に近い「鍵の君」を追い続けながら、さまざまな挫折と再起が繰り替えされていく。
 この映画は最後の最後で千代子がとんでもないことを言い出し、多くの観客を振り落としてしまうことでも有名だ。しかし筆者は、これもまた同じ構造を仕掛けたものだと見ている。千代子のストーリーとドラマを観客は「ちょっといい話」として追いかけ始める。卓越した演出力によって、カットがジャンプしながらあまたの時空が接続され、あたかも千年のときを一瞬で過ごすような疾走感が、虚実転倒の感覚の中で得られる。
 ここで観客は一般的な映画の作法に基づいて、スッキリと映画館を出るためのカタルシスを求め始めるのだが、あえてそこで監督は「転んで(ズッコケて)ほしい」と願ったのではないか。さらに「そこから立ち上がって《追う・走る・転ぶ》を続けられるかどうか」と問いかけ、観客の人生ごとフラクタルに巻きこんだ。現実の人生も同じ形をしているからだ。そう理解すると整合する。
 自分が取材で聞き出したところによれば、この映画は監督が漫画家デビューしばらくして体験した入院生活と、そのとき「すべてが壊れてしまった、それでも立ち上がれるか」と感じた挫折と葛藤が反映されているという。「千年女優」中では敗戦時の瓦礫に、その想いを凝縮させたとも……。
 再起した今敏はアニメーション映画「老人Z」(91)の現場で美術設定・レイアウトを担当して集団作業の中で新しい仕事に活路を見いだし、漫画家としても復帰する。その体験を通じて「追う・走る・転ぶ」を繰り返す運動の重要性を体得したとすれば、観客が明るい日常に戻ったときも映画を忘れず、「何だったんだ今のは」と考え続けさせるようにするのが、高度なサービスでありカタルシスで、強いて言えば「追い続ける主体たる自分を愛せるか」がメッセージだと。もう確かめることはできないが、今敏監督の急逝も自分にとって「転ぶ」と認識すれば、そこから立ち上がってこうしたことを追い続けてみたいではないか。「ブラックで露悪的な親切」も監督の作風だから。
 振り出しに戻ってまた続けていく「再帰性」もフラクタルの特質だ。唯一のテレビシリーズとなった「妄想代理人」でも、「少年バット事件」の加害者と被害者が連鎖し、壮大な円環を描いている構造は、第1話からエンディングで堂々とオープンに見せているように、「勘のいい人に気づいてほしい」と暗示も多数塗り込められている。「千年女優」で言えば、時代劇にジャンプしたときの床の年輪、老婆の回す糸車などがメタファーの典型だ。シンボルとして配置された「蓮の花」も同様で、宇宙船の発射口を開花になぞらえるなど、時間と空間を超えて相似形が直結するような象徴が無数に塗り込められている。再見するたび発見があるように作りこまれている重層的なサービスも特徴なのだ。
 没後10年を経てまたその名が世に出る昨今、いちばん注目すべきは、アニメーションにこうした高度な表現力のポテンシャルがあると示したことである。追い続ける価値のある遺産に感謝しつつ、自分だけの疾走を時が来るまで続けてみたい(敬称略)。

※「今敏監督」のオフィシャル表記は姓と名の間を半角開けるよう宣材や商品類では統一の指示がありました。本稿では掲載サイトの表記ルール上、ツメルとさせていただいています。

氷川 竜介

氷川教授の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家、明治大学大学院特任教授。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

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