2024年5月3日(金)19:00
【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第51回 1980年代アニメ映画群の背負った時代性
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来る5月17日から3日間、名古屋で貴重なセレクションのアニメ映画祭が開催される。詳細は、すでにアニメハックで記事化されている。
●80年代の劇場アニメが名古屋に集結「どまんなかアニメ映画祭」開催決定
https://anime.eiga.com/news/121007/
【上映作品】(詳細はリンク先参照)。
「機動戦士ガンダムI」「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」「★機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」「★超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」「幻魔大戦」「ルパン三世 カリオストロの城」「★王立宇宙軍 オネアミスの翼」「AKIRA」「★ヴイナス戦記」「機動警察パトレイバー2 the Movie」
多くは関係者のトーク付きで、氷川は★マークのインタビュアーを担当、パンフレットにも寄稿をしている。作品選定は「どまんなかアニメ映画祭」総合プロデューサーの近藤良英によるものだ。1980年代には松竹・映画宣伝部に在籍し、NHKのドキュメンタリー番組「ガンダム誕生秘話 完全保存版」では、時代の証言者として登場している(氷川も出演した)。
作品セレクションは「80年代劇場アニメ」に関し、昭和末期(一部平成初期)の雰囲気含めて時代性をうまく切りとっていると感心した。そこでパンフレットには「80年代アニメブームは『日本アニメ史の青春期』」という文章を寄稿した。ここではすこし違う角度から、このセレクションが意味するものを読み解いてみたい。
60年代の「鉄腕アトム」を起点とする最初のテレビアニメ量産期は「第1次アニメブーム」と書籍に記載されることが多い。しかし、その時期に少年期だった自分にはしっくり来ない。理由は「アニメ」という言葉で語られていなかったからだ。しかもその時期を「アニメ」だけで捉えると、「ウルトラマン」など特撮を交えて進化した「テレビまんがブーム」が射程から外れる。だから自分は「テレビまんが第一世代」(1960年前後生まれ)と言うようにしている。そしてその時期子どもだったがゆえに、10代中盤から後半、ティーンエイジャーに成長して迎えた1974年、今年50周年の「宇宙戦艦ヤマト」と、1977年のその劇場版の二段階で火が付いたムーブメントこそが「アニメブーム」だったと自認しているのである。
「どまんなか映画祭」のラインナップは、そのひとつの成果だ。注目すべきは、アニメ以外の漫画・小説原作が先行した映画のほうが少ないことであろう。仮に原作があったとしても「アニメ映画としてのオリジナリティ」を備えた映画が圧倒的多数だ。同時に作り手・受け手ともまだ成熟しきっていない未完成もある。そして決して整ってはいない一種のいびつさが情熱をヒートアップさせていった時期から、次第に現在に近い「クオリティ重視」へ向かっていく流れの変化も見いだせる。
18世紀、ドイツでは「シュトゥルム・ウント・ドラング」と呼ばれる芸術運動が起きていた。それに近い現象ではないか。和訳の「疾風怒濤」は正確ではなく、「嵐と衝動」が近いという。自分の原稿で述べた「青春」にしても、甘酸っぱいとか、ほっこりするとか恋愛ムードのことではない。嵐のようにメチャクチャかもしれないが、衝動的な勢いのイメージが、昭和末期の「アニメブーム」には宿っているのである。
今回のラインナップは「古典として語り継がれるべき映画」でもあるため、そうは思えないかもしれない。もしそうなら、並走していたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)のタイトル、ことに無軌道と思えるエロスやバイオレンスがほとばしる作品群を並べてみれば、より鮮明になるだろう。
その「嵐と衝動」は「メジャー原作」の権利元でコントロールされていない、「アニメオリジナル」が生んだものでもある。それは「アニメブーム」のひとつの側面を浮き彫りにする。「原作つき」の場合、アニメは「二次創作」となる。つまり「植民地」のように支配されている。「アニメオリジナル」によるブームは、そこからの独立運動だったと解釈することが可能だ。
この認識に関しては、コアなアニメファンと一般大衆の間に大きなギャップがある。2017年、「アニメ100年」に関連した放送メディアの打ち合わせで、それが分かった。「80年代中盤、特に1986年も末になるとアニメ雑誌がいっぺんに複数休刊したりして、アニメブームが終わるんですよ」と語ったら、同席したテレビクルーから「えっ、僕たちは当時よくアニメを観ていたけど、そんな印象はないですよ」と言われたのである。自分の返事はこうだ。「それはそうでしょうね。その時期ってジャンプアニメの勃興期と重なっているからですよ。でもそれはアニメ雑誌では扱いにくい作品群だったんですね」
この乖離を実証するのは簡単だ。80年代のアニメ雑誌をズラリと並べてみれば、表紙に「ドラゴンボールZ」「北斗の拳」「聖闘士星矢」などが皆無だということがすぐ分かる。つまりテレビで高視聴率を獲得する人気アニメであっても、アニメ雑誌は原作掲載の出版社とは別会社の出版物だから、特集は「番宣(番組宣伝)」として2ページまで(通称「2ページ規制」)があった。ましてや表紙にすることは不可能だった。
あくまでも昔の話である。超ヒット作「鬼滅の刃」をアニメ雑誌合同で一連のイラストになるような表紙にできる「コラボレーションの時代」の現在とは違い、昭和末期はまだ何かと対立軸を設けたがる「冷戦の時代」だったのである。
さてここで話は少々飛躍する。筆者は近年「知的財産権」を意味する「IP(Intellectual Property)」という言葉の大流行に、違和感を覚えて仕方がない。ビジネスを論じる場合に不可欠であることは分かるし、文脈次第では使わざるを得ないのだが、「作品性や物語性と無縁」という言葉の性格に懸念があるのだ。たとえば「ゆるキャラ」もIPだが、そこには「物語性」が欠如している。それらと横並びにする言葉だと言えば、分かってもらえるだろうか。「コンテンツ」も「カンヅメの中身」「目次」という意味で違和感があったのだが、もう一歩進んだ感じさえする。
もちろん「IP」は重要だ。その運用益によってアニメ作品が成立するのだから、その点で根幹にあることは重々理解している。懸念を抱く理由としては、「Property」の背負った語感を、日本人の大半は十全には理解していないであろうことがある。「オレのものだ」というニュアンスがあり、ましてや「リスペクトも謝意」などが介在しない、冷徹な「こちらのルールで決めますよ」という強制力が宿った言葉である。
自分はIT企業のエンジニア時代、いま話題にしている80年代中盤に、さまざまな企業(日本、外国)と守秘義務契約を交わし、仕様書を入手して機器開発をしていた。そうするとその仕様書には全ページ「○○社 PROPRIETARY」と印が押してある。「所有権」「独占権」の表示であって、勝手にコピーをしてはいけない、という意味だ。つまり「IP」にはこの種の「貴方には契約がない限り使わせない」という拘束力の強い意味が宿っている。
最近、ある西部劇を見てギョッとした。インディアン(ネイティブ・アメリカン)への差別を背景にした映画である。主役級の人物に対し、街の有力者は支配者として「お前たちは、ただちに政府のProperty(所有地)から出ていけ! Reservation(居留地)へ帰れ!」と恫喝したのである。
この強制力の行使が、自分の脳内では80年代中盤に起きた、アニメ雑誌の休刊ラッシュに連なる。「Propertyから離れたオリジナルアニメは、お前たちの場所に帰れ!」であって、その「Reservation」がOVAということだ。
従来、この「アニメブームのピークと終焉」は「オリジナルアニメの興亡」という文脈でとらえてきた。しかしこういう補助線を引いて考えてみれば、「排他的IPの行使」がアニメ雑誌を休刊に追いこんだわけだから、実際には「IP至上時代の始まり」であったのではないかと思えてくる……。
しかし「IP」は何も既存のものだけではない。オリジナルアニメはアニメ業界にハンドルのある「新規IP」も生みだした。その最大の成功事例が「機動戦士ガンダム」である。つまりこの時代、「作品」は「オリジナル性の獲得と新規IP開発の幸福な融合によって、若者の心を情熱的に動かしていた」、と考えられるのだ。
この思考実験に基づいて現在の「オリジナルのアニメ」と比較対照すれば、いろんなことが見いだせるであろう。量だけに関しては、現在も「オリジナル」は隆盛であるし、内容的に充実している。しかし「新規IP開発」の観点ではどうだろうか。数十年の時を超えて語り継がれるにしても、アニメの場合は作品の外に出て、IPによる二次商品が潤沢になければ永続性が獲得しづらい性格もあるのだ。
やや挑発的に述べたかもしれない。若い読者やアニメ関係者がカッときて「そんなことはない!」と立ち上がってくれれば、そのほうがいい。
近年、大学院に来る研究者たちが「ユーザーがコンテンツ、IPを消費する」という作文に、何の疑問も抱いていないことに、空疎さを感じている。アニメ作品とその物語は「ユーザーが使うもの」ではない。もっと心に近い作用をする。送り手・受け手の心情が交わって何か新しい物語を生み出すことが、永続性にもつながるはずだ。カンヅメの中身のようなコンテンツが問題なのではない。そこで生まれる感動、感興こそが価値を発生させる。
読者、観客ならば、IPのように囲いこまれたところで家畜のようにしたがっていていいのかと、疑念を抱いてほしい。心の自由のままに鑑賞し、価値を見いだす権利を持っていることを思い出してほしい。クリエイションは「費やして消してしまっていいもの」では絶対にない。なぜならば「アニメーション」とは「生命を吹きこむもの」だからだ。この「生命」は「心血」と言い換えてもいい。
もちろんポップカルチャーの創造、再生には金銭の流通が必要である。だが、それは「手段」に過ぎない。「手段」が「目的」に入れ替わったとたん、どういうことが起きるのか。歴史から学ぶべきことは、あまりにも多い。
「どまんなか映画祭」開催の趣旨とは外れてしまったかもしれない。だが今回の機会が、「かつてこういう時代があった、今はどうなのか? 違うとすれば、何が原因か?」を、熟考する契機になってほしい。映画祭に集まる観客は「コンテンツを消費する目的」で来たわけではないはずだから。
氷川竜介の「アニメに歴史あり」
[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ) 1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。
イベント情報・チケット情報
- 『ヴイナス戦記』 どまんなかアニメ映画祭
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- 開催日
- 2024年5月19日(日)
- 場所
- ミッドランドスクエアシネマ(愛知県)
- 出演
- 安彦良和, 佐野浩敏
タグ
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