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特集・コラム 2025年5月3日(土)19:00

【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第57回 半世紀を超える「パンダコパンダ」の重要性

「パンダコパンダ ファンブック」書影

「パンダコパンダ ファンブック」書影

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パンダコパンダ」のムック「パンダコパンダ ファンブック」(玄光社)が4月15日に発売された。初公開となる資料満載、文献やグッズ類も網羅し、実力派アニメーターたちのイラスト寄稿もあって非常に嬉しく拝読した。一方、53年前に30数分の劇場用短編が2本公開されただけのオリジナル作品が題材であるから、ちょっと驚いた。
 物語は祖母の旅行によってひとり暮らしとなったミミ子が、パパンダとその子どもパンちゃんの訪問を受け、家族として生活を始めるところから始まる。ハートウォーミングでユーモラスな作風で、何年経っても新しく生まれてくる子どもにとっては新作と同様なのだろう。短い時間で楽しく豊かな気分になれ、何度繰りかえし見ても飽きない点で、なかなか他に類をみないアニメである。
 ムック刊行のきっかけは、近年のグッズの大きな売上げだと、監修者・叶精二から聞いた。Netflix、Amazonプライムビデオなどで配信された影響も大きく、親子3代にわたって楽しまれているのだろう。筆者も駅前やショッピングモールに置かれた大量のカプセル玩具自販機に「パンダコパンダ」のアクリルスタンドやチャームを見つけては、よく回していた。立体物はシンプルなのに存在感があり、ミミ子もカラフルで美的である。作品の画面レイアウトの完成度が高いため、コマの切り出しをデザインしただけで映える商品ができる。現役商品として、価値の高いことが分かる。
 「パンダコパンダ」は後のスタジオジブリ作品(「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」)と関連が深く、一方でそれらは配信されていないため、相対的に地位が高まったのかもしれない。その変化が商品を動かし、そこを入り口として高畑勲・宮﨑駿を含むクリエイターたちの仕事を伝えるに至っているならば、その「価値創出」について考えるべきことは多い。
 カプセル玩具自販機の列で横に並ぶ「アニメグッズ」の大半は、「原作つき」であれば厳密には「漫画グッズ」である。アニメオリジナル商品に「機動戦士ガンダムシリーズ」もあるのだが、別途大きな売上を続ける「ガンプラ」の2次商品と見ることもできる。他はグッズ用に開発されたキャラクター、お菓子や料理、家電製品のミニチュア、動物のデフォルメなどアニメから遠いものばかりだ。
 「アニメオリジナル作品」に内在する「1次的な価値」と直結した純然たる「アニメ商品」の代表選手として「パンダコパンダ」が半世紀を越えて大活躍している状況の特異さが分かるだろうか。これもアニメIPのひとつだとして、他のIPとは何が違うのか、特権性をあたえる価値は何か。
 作品の成り立ちに関しては、同ムックの解説「『パンダコパンダ』制作の経緯ーー前史から現在まで--」(文責・叶精二)に詳しいため、ここでは概略を紹介する。34分の短編映画「パンダコパンダ」(第1作目)は1972年12月17日、「東宝チャンピオンまつり」の1本として公開された。いわゆる混載興行形態で、同時上映は「ゴジラ電撃大作戦」(「怪獣総進撃」改題)、「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」(円谷プロダクション10周年記念の短編映画)である。
 なぜ短編なのか。72年、テレビシリーズ「オー・マイ・パパンダ」が企画されたが実現せず、お蔵入りになっていた。これが日中国交正常化にともなうパンダブームに乗り、急遽読切り作品として公開されたのである。
 メインスタッフの高畑勲・宮﨑駿・小田部羊一ら3人が新たなアニメーションの可能性を求めて東映動画からAプロダクション(現・シンエイ動画)へ転籍し、制作にあたったことで、「パンダコパンダ」は日本アニメ史の転換点にも位置づけられる。先んじて転籍していた大塚康生は同社でトーベ・ヤンソンの児童文学のアニメ化「ムーミン」の作画監督を担当していて、これが名作アニメの本格化の端緒をつけていた。
 彼ら3名の大型転籍の目的は、本来はアストリッド・リンドグレーンによる児童文学「長くつ下のピッピ」のアニメ化だった。71年には舞台となるスウェーデンのゴットランド島を現地取材している。その成果は宮﨑駿がピッピの家を中心として膨大なイメージボードに展開している。原作者の許諾がおりずに制作中止となったが、経緯の詳細とイメージボードは書籍「幻の『長くつ下のピッピ』」(岩波書店)にまとめられていて、制作の姿勢が後世に大きな影響を残していることが分かる。
 ピッピは想像力豊かな少女で、論理的な言動で大人を振りまわし、閉塞感のある社会常識をくつがえして自由に冒険を楽しむ。動物に対して人間が優越性を示さないなど、誰とでも対等な関係を結ぶ。あくまでも子どもの目線を重視したうえで、人間本来の豊かな感性で行動したら、日常世界はどう変わって見えるのだろうか。これはアニメが持つ重要な機能「世界観の更新」という点で革新的な考え方であった。食事や家事の場となる「家」が重要な舞台となり、生活描写が重視された点も後世への影響が大きい。
 準備期間が短かったこともあり、「ピッピ」のために用意されたアイデアや表現の多くはそのまま凝縮され、まず「パンダコパンダ」に注ぎこまれる。この「子どものための濃密さ」は「パンダコパンダ」の魅力で、当時の上映を視察に行った高畑勲と宮﨑駿は、子どもたちが驚くべき集中力で画面を見つめ、一体となっている様子に大きな手ごたえを得たという。
 すぐさま38分の続編「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」が制作され、73年3月17日に公開された。同時上映は「ゴジラ対メガロ」ほかテレビ作品の拡大版であった。こちらは大洪水により水没した街並みを描き、「日常を異世界に転換する」という大胆な試み(やはり「世界観の更新」)が続いている。クライマックスには「ルパン三世(PART1)」にも登場した「蒸気機関車が森の中を自由に走り回る」といった大冒険も用意され、やはり大きな反響を得た。
 その人気をバックにテレビシリーズ化も検討されたが、高畑・宮﨑・小田部らは74年早々からスタートする「アルプスの少女ハイジ」を手がけるため、ズイヨー映像へと転籍する。その結果、「パンダコパンダ」の成果と手ごたえ、発想や方法論は今度は「ハイジ」に投入されたのだった。スイス、ドイツと日本人にとっての非日常を日常化した上で、生活の中の驚きを浮かばせることは継承の主軸となり、国民的人気作となった要因である。それは「世界観の更新」の文脈の成果だとも言えるだろう。
 ではなぜ児童文学では、日常性に大きな比重を置くようになったのか。その理由のひとつは「戦時の世界観(価値観)の精算と刷新」の潮流だったのではないか。1950年代から1960年代にかけて商業アニメーションが活況となった当初、多くは「非実在性」に重きを置いていた。古来の伝承や講談に材をとり、SF、魔法もの、スポーツものなど激しいジャンルを選び、アクションの刺激を主体として児童の関心を喚起していた。
 ところが欧州圏で戦後活況となった児童文学は、これと対照的に「エブリデイマジック」を重視していた。第2次世界大戦があらゆる土地から「日常」を奪い去った結果、退屈に思えるかもしれない「日常」のほうの価値が相対的に上がったのだ。見過ごされがちな生活の大きな価値、それを子どもたちが自主的に発見できなければ、ふたたびそれが破壊されても良しということにもなりかねない。だから「日常の中に特別な驚きが潜んでいること」が強調され、「エブリデイマジック」が基調を成したと筆者は理解している。
 この姿勢は高畑・宮崎両監督も重視し、「ハイジ」以後の作品も含めて「スタジオジブリに至る軸」を通している。そのフィロソフィーはやがて戦争を意識することなく日本アニメ全体に大きな影響をあたえていく。学園ものなどで日常生活を丁寧に描く作品が多くなったのも、ある種の派生として理解が可能だ。
 このような大きな文脈を前提としたとき、児童文学の原作をもたないオリジナルアニメは非常に重要だと考えられる。しかも「パンダコパンダ」には、後の世を左右する思想・発想を短期間に凝縮したことで「ピッピ」に代わって「原点」となったのだ。別格の特権性は、こうして獲得されたのだと思えてならない。
 こう考えてくると、日常を刷新する「世界観の更新」という価値観が、キャラクターグッズを経由して2020年代の「現実世界」を塗り替えていること、その意味の大きさもあると、筆者は考えている。実際、机上でパパンダのミニフィギュアが笑顔でたたずんでいるだけで、作品鑑賞時の豊かでユーモラスな気持ちを思い出して癒やされる感覚がある。ミミ子が逆立ちしているアクリルスタンドを見て、「世の中を逆さに見れば悩みも突破口が見えるかも」と触発されることもある。「パンダコパンダ世界」が現実のほうの世界観を更新しているのである。
 「パンダコパンダのデザインがIPとして優れているから、このカタルシスの効果が出る」というわけではないことには、注意が必要だ。あくまでもオリジナルの児童文学的アニメを成立させている姿勢、発想などが重要で、それがIPの価値を高めているこうしたフィロソフィーが芳醇で、ユニークな世界観を成しているからこそ、キャラクター商品にもその「価値」と「効果」が宿っているということだ。こうした「主従の構造」に、もっと注目が集まってほしい。
 これはあくまでも仮の話だが、商品が売れているからという理由、IP運用で利益を出す目的のためだけに新作「パンダコパンダ」をシリーズ化したら、どんな結果が待っているだろうか。いわゆる炎上を招くような最近の事例を連想するのではないか。
 筆者は半世紀前から「パンダコパンダ」の魅力に取りつかれ、大学時代には上映会やレコード化にも携わった経験もある。そんな当事者性もある立場から、この時ならぬ「パンダコパンダブーム」を大歓迎しつつ、今後の運用はくれぐれも慎重にしてほしいと願うばかりである(敬称略)。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

パンダコパンダ

パンダコパンダ 1

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