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特集・コラム 2020年5月1日(金)19:00

【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第27回 「エースをねらえ!」の再評価と演出技法

(C)山本鈴美香/集英社・TMS

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2020年5月27日発売の「エースをねらえ! COMPLETE DVD BOOK」(ぴあ)に関連し、このテレビシリーズの歴史的位置づけを引き続き語っていこう。
 現在定評ある本作も最初のアニメ化は原作ストックの乏しい時期で、中盤からオリジナル展開が増え、宗方コーチの死までたどりつかず2クールで最終回を迎えた。1973年の本放送の裏番組は特撮シリーズ「ウルトラマンタロウ」で、視聴率も苦戦していた。
 ところが77年になって放送局(毎日放送)とは系列が異なる日本テレビで夕方に再放送され、これが転機となった。これは「ルパン三世」や「宇宙戦艦ヤマト」の再放送が繰りかえし行われてファン増加の契機を生み、77年には「ルパン」は第2シリーズがスタート、「ヤマト」も劇場版が大ヒットするという「アニメブーム」の触媒となった枠だ。「エース」もまた、そこでリピートされることにより、再評価を受けたのだった。
 中高生以上のアニメファンが激増し、新鮮な刺激を欲する機運が高まっていた時期に本作は、「こんなすごい作品があったのか……」という再発見の喜びをもたらした。筆者周辺でもアニメファンに加え、特撮系同人誌でも大きな話題となるほどだった。「ファンが望むものがなければ、作ればいい」という商業的ムーブメントの拡大期でもある。雑誌「ランデヴー第4号」(月刊OUT増刊/みのり書房/1978年5月発行)では、「エースをねらえ!」大特集が組まれるに至った。徳間書店の「月刊アニメージュ」創刊直前である。
 こうして再評価がボトムアップ的に起きた結果、再放送で手ごたえを得ていた日本テレビで78年10月14日から「新・エースをねらえ!」が始まる。これは「宝島」と併走していたため出崎統監督は参加せず、その翌年、改めて冒頭から宗方コーチの死までを新作映画にまとめたのが、79年9月8日公開の「劇場版 エースをねらえ!」であった。わずか6年程度の間に3回も「ほぼ同じストーリー」でアニメ化された歴史的経緯は、アニメ年表を追うだけではつかみにくい部分がある。
 「ランデヴー」の記事制作には筆者も参加していた。当時はまだスチル写真が潤沢でないため、高価なビデオデッキで全話録画した遠方の知人宅へ出向き、ここぞというカットとキャラクターほぼ全員をテレビ画面から一眼レフカメラで撮影した。そして故・伊藤秀明氏が同年代の若手アニメーターを集め、写真から動画を起こし、セルに仕上げて掲載したのだった。拡大コピーも簡単に使えない時代だから、通販されていたパンタグラフのような装置でサービス判の写真からアタリを起こし、「キャンディキャンディ」関連のトレス台的な玩具を使って清書していた。なんとも原始的な手段であるが、こういう行為は「なければ、作ればいい」の一心である。
 作品に話を戻す。筆者として衝撃だったのが、出崎統監督の映像表現であることは言うまでもない。それまでは半端な知識で、段取りを組んで演技をつけ、カットを割っていくことが「演出」と勘違いしていた。だが、止め絵や色彩のコントラストでカットの流れにメリハリをつけ、サーブを打つ衝撃をエアブラシの光だけで示し、ズームバックにオーバーラップをかけて繰り返し、ケガをしたときの血しぶきを花に置き換えるなどなど、「イメージ優先」の姿勢に衝撃を受けた。
 再見してみると、かなり荒削りな部分も多い。出崎統監督自身の談話から察するに、方法論がシリーズを回していくスタッフ全員には共有しづらく、先鋭さは全体として控えめになったようだ。逆に最終回は、総力戦的に思いのたけが全開になったようだ。「お蝶夫人という最高峰を乗りこえる」という原作にはない展開ごと、その精神性は「劇場版」で発展的に継承されている。さまざまな角度で「出崎演出の進化」を考えたとき、興味深い分析の対象となれるシリーズなのである。
 さて多くの出崎統関係の資料では、監督・演出作に注目が向いている。シリアス系では「あしたのジョー」の次が「エースをねらえ!」になってしまうのだが、その間に実は重要な作品がひとつ脱落している。それは原画で参加した「哀しみのベラドンナ」だ。公開日は「エース」直前の73年6月30日。おそらく虫プロダクションで手がけた最後の作品であろう。
 総監督は山本暎一。耽美的でエロティシズムにあふれたイラストレーター深井国の淡い色調で描かれたイラストそのものを止めの長尺で見せ、動く・動かないもシーンの要請に応じて自在に変え、ヒロインが犯される衝撃を無数に飛ぶ蝙蝠に置き換え、延々と横スクロールする画面ではイラストに主線を乗せたハーモニーを使用、ペストが流行する恐怖は白と黒で建物が溶けて崩れる様で描き、急に絵柄をポップに変えたり、油絵が完成する過程をコマ撮りするなど、型破りで挑戦的な表現技法で満ちあふれた作品である。
 演出の意図を作画陣に伝えたのは、杉井ギサブローだ。出崎統も原画でクレジットされている。別班でダミーとして作られたバージョン(現存していない)への参加ともされてはいるが、「ジョー」との間に「ベラドンナ」があるとすれば、「エース」の方向性に得心がいくことが増える。特に出崎統監督の特徴「止め絵とカメラワークの組み合わせ」は、「エース」における「イラスト的に描きこんだ絵」の多用で大きく発展していて、それは「ベラドンナ」の志向とも合致する。
 出崎統は山本暎一監督のアニメラマ「千夜一夜物語」(69)で演出助手を手がけ、「カメラに何ができるか」を学んだとも語っている。アニメの絵はもともとフレームを意識して描かれる。とは言え、上がってきた素材にカメラを向けたとき、被写体にどんな照明を当て、間にどんな空気感を置き、どうレンズとフレームで切りとるか、それによってフィルムが伝える意図や意識は、まったく変わってしまう。この思想は、さまざまな取材で聞いた「撮出し(素材をチェックして撮影に出す演出工程)の重要性」とも符合する。
 何と言っても筆者が初見でもっとも驚いたのは、川尻善昭によるエンディングの止め絵の数々だった。「うわっ! ベラドンナだ」という77年、19歳のときのこの印象、直感に「これはきっと何か深い理由があるはずだ」と43年間、考え続けて分かったことの一部ということでもある。研究とは明解で唯一の答えを発見することではなく、探求し続けるプロセスに大きな意味がある。その探求心に、終わりはない(敬称略)。

【参考文献】
「エースをねらえ! DVD-BOX(2)」解説書(2001年8月25日/バンダイビジュアル)
WEBアニメスタイル「アニメラマ三部作」を研究しよう! 杉井ギサブロー インタビュー(前編)[再掲](2004年2月3日/株式会社スタイル)

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

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