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特集・コラム 2023年3月9日(木)19:00

【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第44回 新刊「日本アニメの革新」紹介

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3月10日、筆者の新刊が角川新書として出る運びとなりました。タイトルは「日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析」(KADOKAWA)です。
 日本のアニメ史を「鉄腕アトム」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「AKIRA」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」「新世紀エヴァンゲリオン」「千と千尋の神隠し」「君の名は。」など作品を極端に絞りこんで語った本です。
 特に観客側との関係性の変化を意識しながら、ひとつの原因が結果を生み、それが次の原因となる「連鎖」の意識で枝葉を削り、必要最小限の情報にして「歴史の幹」を浮かばせた試みです。すでにアニメに詳しい人だと不足、不満や違和感を覚えるかもしれません。それよりも、これから歴史に興味を持ってくれそうな若い読者を意識しています。なぜこのような構成にしたか、詳細は本をお手に取っていただくとして、本連載なりに紹介をしてみたいと思います。
 まず本書は「研究論文」ではありません。問いに対してエビデンスと検証を重ね、ロジックで明らかにして言語化するのが「研究論文」ですが、該当しません。正確性や網羅性に主眼は置いていないです。
 その方針に関連するのは、最近の流行語「解像度」への疑問です。4Kテレビの影響でしょうか、興味の対象について情報収集をして「解像度を高める」という表現をよく聞くようになりました。しかしテレビ受像器が出画の解像度を上げるのは「送り手」の問題ではないでしょうか。「受け手」がどのようにして微細に受け止めるかは「分解能」ではないのか。英語「resolution」の点では同じでも、エンジニア時代、測定器を使ってさまざまな現象を分析し、問題解決してきた立場からすれば、インとアウト、送信側と受信側は厳に分けたくなるわけです。
 「解像度を上げると正確性が増す」と決めつけていることにも疑問があります。もちろん解像度の向上を正確性の向上に使うことも可能だし、像がシャープになることに価値はあるのですが、「受け手」としての脳処理負荷を失念してはいないでしょうか。特に視覚処理は高負荷であることが知られていて、100ミリセカンド単位で音より映像のほうが遅れることが知られています。分解能を下げ、シルエットで認識したほうが、近づいてくる敵が人なのか獸なのか、瞬時に判断できたりもするのです。
 特にアニメーションは「省略と誇張の芸術」ですから、現実の解像度をあえて劣化させて、線で囲った色面のシルエット化することで「これを人間だと思ってください」と記号化する芸術です。その読み替えで、感覚や感情を誇張するところに急所があるのです。パッと画面が切り替わったとき、その人物が冷静か驚いているのか喜んでいるのか、感情の変化が一瞬でわかる。そこに受け手は、ストーリーやドラマに基づく「真実」を見いだす。これを可能とするのは、「アニメの解像度の低さ」です。
 付随するもうひとつの疑問は「情報量の増大」です。もちろんアニメ表現にも「情報量のコントロール」が重要ですから、それ自体は大事です。しかし細密にして情報量を増やし、解像度を上げたところで「こころの分解能」は、果たして向上できるものなのでしょうか。校了後、仕事で宮崎駿の監督デビュー作「未来少年コナン」を再見して「これで必要充分ではないか」と感じ入るに至り、その疑問がますます大きくなりました。
 本当に少ない情報量と解像度のアニメなのです。ところが驚くべき豊かな感情、感覚が伝わってきて「こころ」が豊かになる。キャラクターにカゲはついていないし、爆発も特殊効果が入っていなくて塗り分けだけ。撮影処理もほとんどなく、透過光処理でさえ「ここぞ」とピンポイントにしか入っていません。「伝える絵が良く出来ていれば、目が離せなくなる」と、言われてみれば当たり前の「アニメの基本」を、虚飾なくスッピン勝負のテレビアニメが改めて教えてくれました。
 もちろん一般的な「研究」の分野で何らか「問い」をたて、整理、整列する中で分解能を上げ、1次情報を増やすことで学術的な進歩が得られることには大きな価値がある。特任教授を5年やったので良く分かっています。ただしこのまま歴史に関する「情報量」を増やし続け、1作品ずつ「解像度」を上げたところで、まず「歴史に興味を抱く若者」が増えるものなのかどうか。「こんなにいっぱい知らないといけないのか」と、先行文献を調査するにしても、強迫観念を抱いた辞退者が増えるばかりではないのか。

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加えて大学生・大学院生と接し、共通認識が乏しいと思える要因は、歴史の「情報量の多さ」にあるようなのです。ただでさえ年間数百のタイトルが増える中、作品個々の情報量を増やし、解像度を上げることは、当然やらねばならない基礎作業ですが、若年研究志望者の恐怖心を喚起することは避けたい。そんなことも思うようになったのです。
 「研究」における解像度の高さは主に「正確性」に向けられます。その反映か、SNSにうっかりしたことを書くと、「知識量」「正確性の追求」を主目的に突っこんでくる論客も増えました。ご指摘は常々感謝しています。とは言え「それでおしまい」の傾向もあって、何か新しい知見が加わって「新しい像」が浮かぶとか、議論が深まるとか、その種の発展はめったにありません。そんなSNSの様子をウォッチしている若者にとっては、「うかつに歴史に手を出すと叩かれるな」みたいな恐怖心もわくのではないか。
 「これぐらい見ておけよ」と親切心で言う部活のセンパイも、毎週の大量消費で忙しいのかいなくなったようです。量的消化と最先端ばかりを競う消費物としてのアニメ鑑賞は、社会に出て「自分の生活」が忙しくなればやらなくなるのが普通でしょう。枝葉の葉ばかりが細かく多くなれば重たくなる。枝は折れるし、幹は倒れるというイメージが、脳裏から離れません。だったら解像度はむしろ抑え、何らか「これが全容だよ」と幹になる指針が出せないものか。もしそれに不足があったり間違っていたりしたら、そこに突っこむだけでなく、補正した指針を新たに出してもらえればいいのです。
 筆者の新刊は、たとえば物語内容みたいな方面は深く掘り下げていません。なぜならば絞りこんでみたら「物語がすごいという理由」だけで歴史を変えたとは思えない作品ばかり出てきたからです。たとえばそれは、「宇宙戦艦ヤマト」の章を見てもらえばすぐ分かることだと思います。
 結局、「解像度高く楽しむ」みたいな受容にしても、調理方法を多種多様に提供、みたいなことに過ぎないのであれば限界が来ますし、全容が見えないまま先に進めば、簡単に全滅もすることでしょう。その兆候は既に始まっています。前回取りあげた池田憲章先輩の早すぎる物故も、そのひとつです。解像度と情報量を高めたいち個人の死が虚無に帰すことは、今後も続くでしょう(原稿執筆中に松本零士先生の訃報が届きました。その知識の喪失も好例だと思います。心よりご冥福をお祈りいたします)。
 自分もこの2月で前期高齢者となりました。明治大学大学院特任教授の任期5年も、途中コロナ禍がはさまった影響もあり、あっという間にこの3月で終わりです。この連載のカンバンも次回からかけ替えのタイミングで、新著が出るというのも象徴的である気がしてなりません。

氷川 竜介

氷川竜介の「アニメに歴史あり」

[筆者紹介]
氷川 竜介(ヒカワ リュウスケ)
1958年生まれ。アニメ・特撮研究家。アニメ専門月刊誌創刊前年にデビューして41年。東京工業大学を卒業後、電機系メーカーで通信装置のエンジニアを経て文筆専業に。メディア芸術祭、毎日映画コンクールなどのアニメーション部門で審査委員を歴任。

作品情報

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宇宙戦艦ヤマト 7

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